Category Archives: 算数

懇親会で楽しい発見!

北海道教育大学の石塚教授、IT企業の大西取締役と懇親会を開きました。
いろいろな話になったのですが、話題とは全く関係ないところで、面白い物を発見しました。

輸入ワインのボトルなのですが、容量として「75CL」と記されています。
75センチリットルです。

ルワンダでは大方のビンがCL表記だったので、たぶん、西洋方面ではCLは普通の表記なのだと思います。
それが輸入されて、ラベルを変えずに上陸します。
そうして、日本の居酒屋のテーブルの上に出て来ています。

近い将来、小学校の単位としてセンチリットルが登場する日があるかも知れないと思えてきます。
いきなりの登場は厳しいかもしれないですが、外国でよく用いられる単位、あるいは時々見かける単位といったコラムだったら可能性はありそうです。
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8日(祝・月)の「道徳読み」セミナー、少し増席をしたようで、残席3となっていました。
まだ、3人の先生の参加が可能と言うことですので、「道徳読み」が少々気になっている先生、この機会にぜひ学んでみてはいかがでしょう。
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ルワンダの単位換算、広さの単位「ca」って?

ルワンダの算数は、論理的だなぁと思っています。
傾向として、私の好むタイプです。

また、ルワンダの算数には、算数好きの私の知らないことが教科書に出てきます。
面白いです。

例えば、広さの単位換算です。

ソフト画面を見ると分かるのですが、平方kmの下の単位として、平方ヘクトメートルが出てきます。
その下は、平方デカメートルです。
このぐらいは知っているという先生もいると思います。

しかしながら、ヘクタール(ha)、アール(a)の下がセンチアール(ca)であることを知っている先生は、少ないと思います。
このように書いている私も、「caってなんだ?」「カルシウムがなんで??」と思った次第です。

よくよく考えれば、なるほどと言う配列です。

小学生の時、「キロキロと、ヘクト、デカけた、メートルが、デシに追われて、センチ、ミリミリ」と教えてもらいました。
何となく、面白い言い回しで、即座に暗記してしまいました。
こういうの、ルワンダにはあるのでしょうか。
そこがちょっと気になっています。
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わくわくプリントが10枚も!

明日・明後日の大阪・京都の大垣書店でのイベント、台風も通過した後となりそうで、ホッとしています。
両会場とも、参加した子供達には、28日発売の『わくわくプリント』の中から厳選10枚の英語プリントがプレゼントされるそうです。
これは、うれしいですね。
会場で楽しんで、その後、家でも楽しめますね。

プリントの中には定規で直線を引く問題が出てきます。
右のようなプリントです。
アルファベットのoからuまで、順に点を直線でつなぎます。
きちんとプリントに向かってほしいので、家から定規を何枚か持って行く事にしました。
引き出しの中を探したら、案外とあるものですね。小さい定規と、小さい三角定規があったので、それを袋に入れました。

ところで、「定規」と「物差し」の違いをご存じですか。
どっちでも良いと言えば、その通りなのですが、意味がそれぞれ違っています。

定規は線を引く道具です。
物差しは長さを測る道具です。昔は「差し」とも言っていました。

定規に目盛りが付いているので、兼用となっていますが、国語好きの先生は使い分けをしていると思います。

ついでに、定規を使って線を引く時のポイントをご存じですか。
子供達の直線の引き方を見ていると、なかなか面白いです。
定規を押さえる指が、全部、定規に乗っている子もいます。
これは、定規がズルッとしやすい押さえ方です。
かなりかわいそうな世界で直線を引くことになります。

指が次の3点に位置するようにします。
1,定規の上
2,定規の縁(定規と紙を同時の押さえる)
3,紙の上
これでずれにくくなります。
三角定規なら、穴のところに指を1本当てます。
この穴は定規と紙を同時に押さえるためにわざわざ空けているのです。

大阪と京都で、ちょっと悲しい使い方をしている子がいたら、そっと教えてあげようと思います。

それにしても、『わくわくプリント』は楽しいですね。
28日の発売が待たれます!
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素麺塾での瀧澤先生、松島先生

野口塾の流し素麺。
とにかく一日がゆったりと流れます。
その間に、いろいろな先生方との話でにぎわいます。

瀧澤先生とは、道徳読みの話をしました。
瀧澤先生は、ここ数年、バンバン教育書を出している売り出し中の先生です。
先月出たのが、右の『国語の授業がもっとうまくなる50の技』です。
その中味は、野口先生を彷彿させる内容です。良い本です。

その瀧澤先生から、「道徳読み」で2学期から授業を進める先生が増えてきたと知らされました。
その中の1名は、校内研が道徳なのだそうです。
校内研が道徳になっていても、道徳読みで授業をしてみたいとのことです。
うれしいことですね。

「道徳読み」は校内研のテーマにそぐわすことも容易にできます。
柔軟に頭を使えばいいのです。
2学期にも瀧澤先生とは何度もお会いするので、その後の「道徳読み」が楽しみになりました。

松島先生が算数の発表をした後、司会者から「何か質問は?」と促されました。
国語や道徳のメッカである野口塾です。
そこに算数が出てきても、あまり関心が向かないだろうなと思っていました。
打ち切られるかなと思ったところへ、「文章題ができない子へ、どう取り組んだらいいのか」というような質問が出ました。

配られていた資料に1年生の文章題が事例として出ていたので、そこから誘発されて出た疑問と思います。

この質問にズバリと答えられる先生はそうそういません。
非常に内容が複雑だからです。
相手や場を考えて、どこを話すべきか決めないとうまいこと伝わりません。
そういう伝え方の良い練習になると思って、手を挙げて、ちょっとお話をしました。

話し終えると、良い感じの拍手をいただきました。
上手く話せたようです。
松島先生には特に響いたようで、その夜の算数談義につながりました。
良かったと思います。

8月26日のセミナー。残席が5となりました。
いよいよ満席が間近です。気になっている先生、お早めにお申し込みを。
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松島宏典先生の算数は良いです!

日曜日は、今年2回目の流し素麺野口塾でした。

今回は珍しく算数の発表がありました。
発表者は、私がかなり強めに注目をしている栃木の松島宏典先生です。
なにしろ、高学年を担任しても算数の平均点は特に問題が発生しない限りほぼ100点なのです。

今回は高学年の算数パズルが紹介されていました。
面白い問題でした。
松島先生が紹介してくれた算数パズルは事例が3つほど示されているタイプでした。
この形、良いですね。
算数の授業原理のもっとも重要なところだったので、私には「んっ!」と来ました。

今回の算数パズル。
その大きな特色は、「きまり」が分かった瞬間、類例があっという間に解けるようになっているところにあります。
質が高いです。

この出題の仕方は、実はそのまま授業にも当てはまります。
幾つかの例題を示し、そこからきまりに気づかせます。
そして、パズルの時のように、「あっ、そうか!」となれば、練習問題もどんどん解けるようになってしまいます。
この良さに松島先生が気づいていること。それが実に素晴らしいことです。

ところが、普通の算数の授業では「きまりに気づく」というところが、なぜか、えっちらおっちらしています。
一つの問題を30分ぐらいかけて考えさせるので、わざときまりに気づきにくいようにしているるようにも思えます。
多分に、頭の良い子だけがついている授業となっていきます。
できの悪い子は、後から学ぶ練習問題で「こうやるの」と教わるのです。
だったら、先にやり方が見えやすい授業をしてあげればいいのにと思います。
何というか、「底辺の子も本領を発揮できる授業」
そう言う授業が展開される時代を迎えたいですね。

松島先生は言っています。
「算数の分からない子はいない。」
「授業展開の転換が必要」
楽しみな青年です。

松島先生とは、この先もちょくちょく会うので、そのたびに算数の話をしましょうということになりました。
良いですね。

松島先生は、算数ソフトを使っています。
時には、10倍速で理解が進むことがあるそうです。
すごい先生ですね。
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遠山啓「量と質の転化」の量の構造

『遠山啓』は面白いですよ。
今日も一つ、グッと来たところを引用しましょう。

エンゲルスは弁証法の主法則として、“量と質との転化” “対立物の相互浸透” “否定の否定”という三つの法則を上げている。(p177)

頭の良い子はなぜすぐに分かり、そうでない子はなかなか分からないのか。
若い頃から、この極めて自然に現れてくる現象の原理がどうなっているのか、どう理屈づければ、この問いへの解答となるのか、と考えることがありました。

この疑問は、引用した「量と質の転化」の問題となって私の課題となっていました。
量をこなすことで、質的に変化していく。
その構造はいかなる様相をしているのか。

その答えとなりそうなことが、前回も引用したところに記されています。

それは質の差ではなく量の差に過ぎない(p241)

優れた見識です。
子どもの頭に質的な差があるのではなく、こなした量に差があるのだと言うことです。
量をこなせば、誰でも分かる!
遠山のこの言葉は、そういう命題を示しています。

これは、教師をやっていればそう願わずには居られません。
たくさん練習してできるようになる子。
少ない練習でできるようになる子。
そこにあるのは、量的な差だけと考えたいのが教師なのです。

と思っても、その差が大きくなってしまうと、心がくじけます。
どうにも質に差があるように思えてきます。
恐いのは、この瞬間です。
質に差があると見なしてしまうと、それはもうお手上げという感覚に襲われ、教育の無力さが頭を覆い始めます。

こういう落とし穴的思考にフタをして、「量の差とは何なのか」という問題意識を持っていると、出会うべき本に出会うようになります。
私の場合はデカルトの『精神指導の規則』でした。

尚それらすべを記憶して居らねばならないのである。この故に私は、一々を直感すると同時に他に移り行く一種の連続的な想像の運動によって、幾度もそれらを通覧するであろう。(p31、岩波文庫)

一つの事例を見ることで、その事例で何が起こったかが頭の中に入り、それを忘れない内に次の事例、さらに3つ目の事例をみること。
これができるのが頭のよい子で、2つ目、3つ目の事例に接する頃には1つ目の記憶が消えかけてしまうのが、そうでない子の頭の働きなのです。
よく、1時間で1問の問題を考えるタイプの授業があります。
これは、翌日まで、記憶の持続を求める学習になるので、そうでない子がアウトになるようにしむけている授業とも言えます。

大事なポイントは、忘れない内に次の事例を示ていく活動をすることです。
「短時間」がキーワードになります。

こういう思いがあって、算数ソフトをつくりました。
ですので、私の作った算数ソフトは、その大方が理解の伴う類題を連続的に出題できる仕組みにしています。

短時間の内に類題を数問体験することこそが、遠山啓の言う「量の差」を克服する方法なのです。

このあたりのことを、御存命だったらお話ししてみたかったですね。
算数ソフトも見てもらいたかったですね。
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