Blog

『死ぬほど読書』の中の道徳(2)

道徳の評価が追補された『所見辞典』の著者である山中伸之先生が「特別の教科道徳の評価/所見の書き方」のお話をされます。
授業道場野口塾in宇都宮の第1講座です。

このセミナーは10月7日(土)です。
『所見辞典』の発売は10月17日です。

山中先生の話を聞いて、本の道徳の評価を読む。
これはナイス流れです。
お近くの先生、ぜひ、御参加下さい。
--
SG会の課題図書になっている『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎著)。
道徳が分かるように登場しています。
そこを読むと、自然と線を引きたくなります。
そうして、ちょっと味わいます。
もし、時間があったら、それを書いてみると「読んで終わり」とならなくてすみます。
今回もちょっと私なりに思ったことを書き記します。
p41の道徳を御紹介します。

私が考える教養の条件は、「自分が知らないということを知っている」ことと、「相手の立場に立ってものごとが考えられる」ことの2つです。(p41)

「自分が知らないということをしっている」に関しては昨日書きました。
知らないことを恥ずかしいと思える心があれば、学ぶ気持ちが高まります。
大事なことは知らないことをも包み込む、「恥ずかしい」という気持ちを押し殺そうとするのではなく、前向きにつきあうことです。

2つ目の「相手の立場に立ってものごとが考えられる」ですが、これは実に難しいです。
自分のこともよくわからないのに、人のことがわかるのだろうか。
素朴に、このように思います。
まあ、「立場」と限定しているので、それぐらいだったら・・・と頭が動くのですが、そういう厳密性ではないなと、思えてきます。

相手の立場に立つというのは、言い換えると、「相手の話をよく聞く」ということです。
聞けば、相手のことが分かってきます。
それから自分の言いたいことを言うようにすると、これが自然に相手の立場を考えたことになります。
孫子は「彼を知り己を知れば百戦危うからず」と言っています。
相手の話を聞き、自分の思いをそこに重ねれば、良い形で事は進行するということです。

「相手の話を良く聞く」というのは、自分の中に相手を大切にする心があると言うことです。
孔子も似たようなことを残しています。
人と与(まじ)わるに 恭しくして礼あらば、四海の内、皆兄弟也。(論語、顔淵第十二)
一番大事なことは、相手のことを大切に思うことです。その上、礼儀正しくしていたら、世界中のどこへ行ってもみんな兄弟のようになりますよ、ということです。
『日めくり 教室論語』にも載っているので、私にはかなり良い感触の言葉となっています。

道徳はこんな風にして自分なりに考え進めることができる大変ありがたい学問です。
--
関連記事:

Comments are closed.

Post Navigation