立腰教育を進めている新田先生から、嬉しいメッセージをいただきました。
新学期が始まり、立腰の指導を進めていたら、保護者の方から大感激されたそうです。
「あれ、めっちゃいいです!
うちの子水泳やってるんですけど、コーチに姿勢を治すように言われたとこなんですよ!」
水泳と姿勢がどうつながっているのか、私に分かりません。
でも、コーチが保護者に言っているのですから、平素の姿勢は運動に大きく影響するのでしょうね。
新田先生の立腰指導のポイントは3つ。
1,足ぴた!
2,おへそ前!
3,おしり後ろ!
もちろん、指導用の掲示物もあります。
その掲示物を、御家庭用にも作られているそうです。
素晴らしいですね。
道徳がいよいよ教科となります。
ありがたいことです。
道徳の時間には、いっそう意図的に「姿勢」の指導が入れられるからです。
柔道や華道など、およそ「道」とつく世界は「姿勢」を大切にします。
道徳は人としての道そのものを学ぶ時間です。
姿勢は基本中の基本となりますね。
★来月、道徳のセミナーで1コマ持ちます。
「第2回 主張ある道徳授業を創る!」セミナーです。
姿勢を良くしたいと思う先生、ぜひ、御参加下さい。
できるだけ、私がよく見える位置に座ってください。
自然と姿勢が良くなっていきます。
私は一番前の席に座る予定です。
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「速く終わった子は、良い姿勢で待ちましょう。」
この指示の良さについて昨日書いたのですが、銅像教育の丸岡先生から
「新年度実践させてください!!すごい指示ですね!!」
とうれしいコメントをいただきました。
前向きで、良いですね。
道徳が教科化へと進んでいるので、「道徳を勉強しよう!」と考えている先生も多いと思います。
その勉強の中に、ぜひ、「姿勢」を加えてほしいです。
道徳は昔から2つに分けて考えられてきています。
「心」と「形」です。
その形を行儀とか作法と言い、その基本中の基本が「姿勢」なのです。
ちょっと大げさに言うと、
「姿勢を制する者、作法を制す!」
です。
それぐらい姿勢は重要です。
姿勢の話しは、「第1回 主張ある道徳授業を創る!」セミナーでも、少しだけ話しました。その時の感想を1つ、紹介します。
・「人間“もたれて”いいことはないです。これは『背もたれ』ではなくて、『背休め』にしましょう。」という話がありました。このたった一瞬のフレーズでしたが、私の心に残り、「背休め」いう意識で椅子に座るようになりました。このように、子どもの心に自然と残っていく授業をすることこそ、道徳の授業の目指すべき像であると感じました。
椅子が日本で広まったのは、明治以降のことです。
座るところを「座面」と呼び、背中を支えるところを「背もたれ」と呼んでいます。
どうして、こういう名前になったのかは分かりませんが、「背もたれ」という少々侮蔑的な名前を付けたのは、背後に「もたれるんじゃない!」という意識があったのだろうなと思います。
新学期が始まっていますね。
教卓の上には日めくり論語。
道徳という善玉菌がジワーッと広がっていきます。
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「主張ある道徳授業を創る!」セミナーで、道徳の形として一番重要な「姿勢」の話しをしました。
話しは極めて簡単に「あなたの姿(すがた)に勢(いきお)いがありますか」と、訓読みをするところから入りました。
訓読みというのは、日本人にとっては、意味が分かる読み方であり、そこには日本人の思想が込められているとも受け取れる読み方です。
基本は椅子の奥に座ります。
背もたれにはもたれません。
姿勢良く座り続けていて、疲れたら、そっと背もたれにもたれて、また元気になったら姿勢を良くします。
セミナーに参加していた鈴木文男先生から、「姿勢のお話は、卒業式が迫っているためたいへんありがたく拝聴しました。」とメッセージをいただきました。
卒業式の練習では、呼びかけ・歌・返事・証書のいただき方・歩き方など、いろいろと指導する内容があります。どれもこれも、目立つところの指導なので、自然、指導にも力が入ります。
これに比べて、座った時の姿勢は、実に地味です。ですので、通常はぐらぐらしないで座ってさえいれば、それで良しとされます。
ところが、この地味な姿勢がきちんとできるようになって、そんな子がそろって椅子に座っていると、「お見事!」と言いたくなるような光景になります。
「人間ができている」という雰囲気も漂ってきます。
なぜでしょう。
日本人は、「直」を好み、「曲」を好まないからです。
正直者は好きですが、曲者(くせもの)は好まれません。
姿勢という言葉を使う時に、「良い姿勢」「正しい姿勢」「姿勢良く」「姿勢を正して」と、「良い」とか「正しい」という言葉がついて回ります。
「良い」「正しい」がついている姿を全員の子がしていたら、その子たちはみんな良くて、正しいのです。
そう言う姿を人々は見事と言うのです。
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明石先生に誘われて、「第4回 日本マナーマイスター学会大会」に参加しました。
会場は、東京の目白にある学習院大学です。
午後1時スタート、午後6時終了。
少し長いと思えたのですが、途中に花嫁儀礼を模擬的に行ってくれたり、包丁儀式を実際にやってくれたりと、非常に盛りだくさんの楽しい大会でした。
シンポジウムもあり、司会は明石先生です。
日本の礼儀作法として、次の3つが大切と話して下さいました。
1、時間を守る
2、清潔にする
3、うそをつかない(正直でいる)
休憩時間には、明石先生がいろいろな方を紹介してくれました。
これから先、どのような交流があるのか分かりませんが、人とのつながりで世の中は動いています。
これをご縁に・・・と思いました。
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明日は、野口塾ビギナーズです。
東京未来大学。
楽しみですね。
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長く生きていると,面白いことと出会うものですね。
1通の封書が会社に届きました。
開けてみると,私が書いた本の一部が,中学の入試問題に採用されているので,それを会員向けwebに掲載したい,とのことです。
受験向けのサイトのようです。
入試問題に採用された本というのは,右の『行儀作法の教科書』です。
どこが用いられたのかわかりませんが,日本人として大切な行儀作法が出題されたのだと思います。
これは実にありがたいことです。
『行儀作法の教科書』から入試問題を出題したのは青山学院横浜英和中学校だそうです。
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「行儀作法で一番重要なのは何ですか?」と問われたら,皆さんはどう答えるでしょう。
歴史的にも論理的にも体験的にも,「自分の姿勢を良くすることです」と答えるのがベターと思っています。
自分の姿勢がきちんとすると,他の所作も姿勢に比例して丁寧になります。
また,見ている人も,姿勢の良い人の所作としてみるので,少々立派に感じ取ってくれます。
行儀作法は所作です。手や顔や体や腰などで表現する仕草です。
その動きをする中心・根本は体なので,その体の軸がしっかりしていれば,後は枝葉です。
長幼,師弟,前後,表裏などの対を考えれば,大筋良い感じで過ごせます。
姿勢を良くしつつ,伸びやかに愉しげにいることです。
これが作法を楽しんでいる人の姿です。
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横浜の山内小学校の6年生の皆さんに見せた「人生の図」がこれです。
これから先をどうしたいか。
できれば,グッドな方向にグイッと歩ませたい!
そんなときにこの図を使います。
まず,折れ線グラフのような図を書きます。
原点からの縦横のラインを引き,学年の目盛りを打ちます。
6年生の3学期に入ったばかりですので,6年の所だけは3等分します。
次に,原点から右上がりにラインを引き,「今,皆さんはここにいます」と,自分たちの立ち位置を示します。
最後に,卒業式までの未来の図を書き加えます。
「このまま順調に進むと,このあたりにたどり着きます。
これを『普通』と言います。」
続けて話します。
「でも,ちょっとダレてしまったり,やる気がなくなってしまうと,こちらに進みます。
これは『低』です。」
そうして,子供達に聞きました。
「普通と低。どっちに進みたいですか。」
それぞれに挙手を求めました。
しかし,誰一人手を挙げません。
できる子供達です。
誰も手を挙げない光景を見て,「自分たちはもっと伸びるんだ!」という強い意識を感じました。
そこで,図に付け足しをしました。
「高」の存在を知らせ,その中の上の方には「最」という所があることも知らせました。
「最高」を目指す。
でも,「最高」にたどり着けるかどうかはわからない。
でも,たどり着けるように心を強くして前進して行くこと。
これが大事なのです。
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このように未来を正しい方向に力強く歩むこと。こういった道はきわめてまじめな道徳です。
孔子が活躍をしていた2500年もの昔から当たり前のように言われていることです。
「子曰わく,君子は上達し,小人は下達す。」(『論語』憲問第十四)
しっかりした心を持っている人は上に達しますが,そうでない心では堕落するのです。
昔から良いとされる所の教えを,私も子供達に伝えることができました。
ありがたい一時でした。
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ところで,論語など古典には,このような図は出てきません。
もし,この「人生の図」が論語の時代に示されたら,どうなるでしょう。
まず,誰一人理解できないでしょう。
なぜなら,この図には「座標」という算数数学の概念が用いられているからです。
座標はデカルトが作ったとされています。
1600年以前の人には,基本的に理解不能な図なのです。
日本では江戸時代までの人たちにはかなり複雑な図として映ると思います。
そんな「人生の図」。
日本の小学生はすんなり理解します。
小学校の先生方が熱心に算数を教えて下さっているからです。
そういう教えの場がつくられている日本の教育システムにも感謝の気持ちが起こってきます。
道徳を勉強するにも,算数や国語の学力は大切なのです。
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