Category Archives: 論語

巨大日めくり教室論語、ナイスです

熊谷青士先生から素敵な写真が届いています。
『日めくり教室論語』をB4に拡大して教室に掲示しています。

大阪で万博が開催されていた頃、「大きいことは良いことだ」というようなCMが流行しました。
大は小を兼ねるというのでしょうか。論語も大きくなると迫ってくるものが違います。

湯島聖堂にあった石碑の「有教無類」もインパクト有りました。
人には生まれながらの差があるのではなく、教育によって良くも悪くもなる。
というような意味です。

熊谷学級の巨大教室論語。
ここに書かれていることは、道徳の授業で特に重要な内容です。
この力は、「省みる」ことを繰り返すことで次第に着いてきます。
価値項目には、このような内容は記されていませんが、教える先生は強めに意識していることが肝要です。
こういう良い教えを受けた子は幸せ者になりますね。

鬼澤信一先生のサークルで、「道徳読み」のお話をすることが本決まりになりました。
18日(祝・月)午前10時~11時半ぐらい
会場は、調布市文化会館たづくり
「ブランコ乗りとピエロ」を題材に、少しゆっくりとお話をする予定です。

この集会、26日のセミナーで突如湧いて出た話です。
それがあっという間に形になりました。
鬼澤先生の行動力は素晴らしいですね。
当日が楽しみです。
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家庭学習で「論語」!

夏休みが近づいてきた日。
熊谷青士先生から、家庭学習のノートの写真が届きました。

「学而第一」「為政第二」「里仁第四」「雍也第六」から、一条ずつ引用され、解説も記されています。

中を読むと、書き写した内容であることが伝わってきます。
きっと、家に論語の本があったのでしょうね。
その本の存在に気づいて、開いて、猛烈に書き写したくなったのですね。

でも、通常は、論語の本が家にあっても、子供が関心を示すことはありません。
読んでも、さほど面白い内容ではないからです。
よく分からないことが書いてある本、という感触に近いです。

その論語を書き写してきたのです。
非常に強い衝動が起きたと想像できます。
その強い衝動が起きる源をつくったのが、熊谷青士先生です。

熊谷先生が教室の机の上に『日めくり 教室論語』を置いたのが3週間前。
気づいた子が日付に合わせて日めくりをめくったことと思います。
感心が少しずつ高まってきて、ふと、家で論語の本を見つけ・・・。
「おおっ! 家にもある!」
「先生と同じだ!」
「うれしい!」
・・・・・
というような感激が体中を走ったものと思います。

小学生にとって、担任の先生は大変偉い人です。
あこがれの人でもあります。
その先生が何を好むかによって、子供達の感心は左右されます。
熊谷先生は良いことをされました。
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「忠告」の「告」のナイスな読み

16日(日)に開催される流し素麺野口塾in野口家。
いよいよ、今度の日曜日です。
23日(日)の流し素麺野口塾は、すでに満席ですが、16日の部はまだ少しだけ残席があるようです。
今からでも参加してみたい!と思われる先生、<こちら(山中伸之先生のブログ)>を御覧下さい。

野口先生の御自宅の敷地(かなり広い)を散策するのも楽しいです。
また、野口先生の書斎(と言っても、一軒家)を見学するのも楽しいです。
名人の進行形の仕事場を見学できます。
妙に胸打つものがあります。

今日もちょっと『論語』を再読していました。
「告」という漢字について、「しかと伝える」と出ていて、ちょっと響きました。
単に「つげる」のではなく、「確かに伝える」ということなのです。
すると、忠告は心を込めてやんわりと言いつつも、きちんと伝えるべきを伝えると言うことになります。
こういう解釈ができることがうれしいことです。

忠告のできる人が、「助ける友達」なのです。
「助ける友達」には2タイプあります。
1,困っている時、手を貸す。
2,悪い方に歩んでいる時、忠告する。
そうして、親しんでいる間柄が本当の善良な友達ということなのです。

やっぱり、論語は良いですね。
『日めくり 教室論語』もありがたいです!
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道徳、1つだけ教えるとしたら

「主張ある道徳授業を創る!」の最後は、「質疑応答」でした。
4つの質問が出たのですが、その内の2つの質問は、私にとっても良い勉強になりました。

その1つの質問は、
道徳で1つだけ教えることを選ぶとしたら。
というような、内容でした。

いろいろと教えることはあるのですが、その中でどれか一つを守るとしたら、つまり、他のことは捨て去って、どんどん捨て去って、最後の最後に1つだけ残すとしたら、それは何かという問いです。

この問いは、ある意味、「志」を問われているような質問でもあり、守らなければならない「最高の道徳」を聞かれているような問でもあります。
質が高いと感じ入りました。

同時に、この種の質問をする人にありがちなことが頭をよぎりました。
この種の質問をする人は、自分なりの解答を持っている人と、持っていない人に分かれます。
解答を持っている人なら、こちらの答えもそれなりに響きます。
自分の持っている解答と比較し、考えが巡るからです。

しかし、自分なりの解答を持っていない人だと、こちらの言葉が右の耳から入って、左に抜けていきます。
頭の中にも、心にも、引っかかるに値する思いが無いからです。
この状態の人に答えても、虚しさだけが残ります。
お粗末な場合は、こちらがテストされている状態になります。

そこで、質問者に聞き返しました。
「あなたの心にある一つだけ守る道徳は何ですか?」

その答えはスッと出ません。
きっと自分の考えを持っていないのだろうと思いました。

どうなるかと思っていたのですが、質問者は立派でした。
私からの質問に、答えてきたのです。
「尊敬です」
退かない力強さ。
自ら答えを定めた前向きさ。
良いものを持っている青年だと思いました。

これで、とりあえず質問者の頭には、「尊敬」こそが一番大事な道徳と位置づきました。
有り難いです。
私が答えても、何かしら質問者の中に引っかかると思います。

このやりとりは、私にとって重要で、「道徳のそもそも論」で話しているところと重なります。
◆心は教えられない。心は自分から。
心の部分へのアプローチを、このやりとりで再確認できました。
道徳は学び甲斐のある学問ですね。

セミナーでは「ブランコ乗りとピエロ」を扱ったのですが、この作品をよく言い表しているのが「上に居りて寛 礼を為して敬」かなと、思っています。
論語が好きで、道徳も好きという先生とは、少しゆっくり話したいですね。

今週の土曜日は、埼玉の本庄早稲田でのセミナーです。
こちらでは、「講演者、発表者と語るフリートーク」が1時間ほどあります。
どんな語らいになるのでしょう。楽しみですね。
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「道徳読み」と「永遠の今」

論語の本はいろいろと発売されています。
訳文を読んで、「ああ、いいなぁ」と思う本は、自然開いています。

昨日はカバンの中に、この『論語』を入れて、電車の中で読みました。
端の席に座れたためか、思考がうまくすすみました。

24ページ。
君子 重からざれば、則ち威あらず。
学びても則ち固ならず。

ここに感じ入りつつ、あれこれ思いを巡らせていたら、フッと気がつきました。
「道徳読み」に「永遠の今」の概念が当てはまることにきがついのたです。

こういう一瞬は感動しますね。
まさに、「学問感動」です。

この感動は、どうにも人に伝えようがありません。
もしかしたら、少し分かるかも知れないのが、大阪の丸岡慎弥先生です。

丸岡先生から、「子どもたちがぐんぐん伸びていっております!!」といううれしいメールをいただきました。
「道徳読み」には、何か大きな効能があるようです。
「永遠の今」とも絡んでいるからかもしれません。

明日は、埼玉の大宮で、「道徳読み」の話をします。
道徳の教科化がはじまります。
教科書の読み物教材に真っ正面から取り組む授業を、誰でも簡単にできる時代を迎えたいですね。
セミナーのお申し込みは、<こちら>です。
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孔子像

御茶ノ水の駅近くに、湯島聖堂があります。
そこにあるのがこの孔子像です。

孔子は上背のある人だったのですが、この像もかなり大きいです。
近寄ってみると、上からぐいぐい来るものを感じます。
孔子はそういう人ではないように思うのですが・・。

ウィキによると世界最大の孔子像とのことです。

孔子像を見ていると、自然と感動をします。
改めて勉強をしなければと感じてきます。

崇敬の念に浸りつつ、ふと近くを見ると、碑があります。

「有教無類(ゆうきょうむるい)」
「教え有りて、類無し。」
像からの感動とはまた違う、学問としての感動が走ります。

大事なことは、教えがあるかどうかですよ。
生まれついての差なんか、大したことないですよ。

この言葉、もちろん論語の一節です。
論語には、この言葉の後に、もう一つ、よく似た言葉が出てきます。

「性相近し。習い相遠し。」
生まれつきの天性には大して差はありませんよ。
でもね、習うことで違いが大きくなるんですよ。

孔子がいかに教えること習うことが大事なことだと考えていたかが分かりますね。

『日めくり 教室論語』も大いに勉強になります。
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