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野口家での流し素麺(野口塾in仙台御一行様)

関大初等部の本のKindle版ができました。
関大初等部式思考力育成法
思考ツール<実践編>
思考ツールを使う授業
関大初等部式思考力育成法ガイドブック
・関大初等部式思考力育成法研究 平成28年度版

また、前田康裕先生の『まんがで知る教師の学び』シリーズの第1巻もKindle版が出ました。
まんがで知る教師の学び これからの学校教育を担うために

タブレットやスマホで教育書を読む先生、ぜひ、ストックに↑の本も入れてみてください。
どれもこれも、内容が濃いです。
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土曜日は、野口先生の御自宅で流し素麺が開催されました。
今回は、仙台の鍛国研の先生方が7人、野口先生の御自宅へ。
菅原先生、渡辺先生、渋谷先生と、力のある先生方と御一緒でき、充実した一日になりました。

午後からのスタートで、素麺をいただき、御自宅散策。
俳句。懇親会。
一つ一つ、楽しい時間となりました。

最高点句は、渡辺先生。賞品の短冊を持っています。
第2位は菅原先生でした。今、校長先生をされています。

慈母観音の手前に「観経箴銘(かんきんしんめい)」が建っています。

「観経」は読むことです。声に出しても良いですし、黙読でもかまいません。
「箴」は戒め。
「銘」はそれを書き記した文のことです。

自分を戒めるために書いてある文です。
読みましょう!
ということです。

少にして学べば 壮にして成すあり
壮にして学べば 老いて衰えず
老いて学べば 死して朽ちず
--佐藤一斉--

自分を省みる力が付いている人は、こういう戒めの文を読んだだけで、何か感じてきます。
それを上手く言葉にできなくても、少々心に熱くなってくるものを感じます。
心に落とすことを自然に行えているからです。

同じ文を読んでも、何とも感じない人もいます。
省みる力がひ弱で、道徳の学びが遅れています。
心の未熟さが、戒めの言葉を頭で処理させてしまいます。
可愛そうな人となるのですが、本人は自覚できません。

佐藤一斉は江戸後期の儒学者で、『言志四録』を著しています。
この文は、その3巻の『言志晩録』に載っている言葉です。
講談社学術文庫の『言志四録』の第3巻に載っていますので、お手元にある方は開いてみてはいかがでしょう。

ところで、「観経」と書いて、「かんきん」と読みます。
「経」を「キン」と読むことはまずありません。
気になりますね。「キン」という読み方が。

音読みは伝わってきた時代によって読み方が異なります。
漢和辞典で調べれば、すぐにわかることですので、『漢字源』で調べてみました。
「経」の音読みが3つ出ています。
・ケイ[漢] ・キョウ[呉] ・キン[唐]

キンは一番最後に伝わった読み方と分かりますね。
唐ですから、奈良時代頃でしょうか。
勝手な想像ですが、遣唐使で出かけていった学者が、経を「キョウ」と覚えて唐に渡ったら、唐の偉い人たちの間で「キン」と読むようになっていて、それってハイカラじゃん!となり、伝わってきたのかなと思います。
しかし、日本ではハイカラすぎて大して広まらなかったとドラマが続く感じです。

「キン」と読ませる「経」の字は、野口家のこの銘に記されている「観経」を除くと、全く記憶にありません。
一つの読み方を印象づけさせてくれる、ありがたい銘です。
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『中央公論』の8月号、良いですね!

『中央公論』の8月号を読みました。
「日本語は生き残るか」というテーマで記事が載っています。
トップに出てくる水村見苗氏の論は良いですね。
ハッとさせられました。

日本語や英語に関心のある先生には、良い刺激のある1冊になるでしょう。
個人的には、この特集の中に宇佐美先生の話が出てきてほしかったですね。

6月の埼玉でも話しましたが、これから先の時代は言語の壁が希薄な時代になります。
こうなってくると、これまで以上に日本人が世界に飛び出すと思います。
世界のあちこちに日本人。
そういう時代がやってきそうで、わくわく感ばかりが高まりますね。
良い時代です。

英語と言えば、小学校でもいよいよ英語に「書く活動」が入ります。
書く活動を楽しく実践できるようにと、目下、英語学習用の『わくわくプリント』の制作が急ピッチで進んでいます。
8月末頃に発売します。
どうぞ、お楽しみに!
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「宥座の器」が『孔子家語』に

日曜日、野口家への出立時刻にはまだ間があったので、少し『孔子家語』を読んでいました。
すると、「宥座の器(ゆうざのき)」の話が出てきて、おやまあと驚きました。
『荀子』に出ていることは知っていたのですが、『孔子家語』にも出てくるとは思ってもいませんでした。

そして、野口家へ。
お昼の散策で、山中先生がいつものように野口家ガイドをしてくれます。
その中に「宥座の器」もあり、なるほどと思える素晴らしい語りで聞かせてくれました。
山中先生は宥座の器の資料も用意してくれています。
それを開いたら、出典が私の読んでいた『孔子家語』だったのです。
嬉しくなりました。
こういうこともあるのだなぁと良い気分でした。

良い機会のですので、家に帰り、「宥座」を調べました。
辞書には直接は出てこないですね。
こういう時は、漢和辞典で第1漢字を調べると、案外出てくることがあります。
やってみたら、出てきました。
宥座=人君を鑑戒する。〔字通〕

「鑑戒」の意味が分かりません。調べると・・・。
鑑戒=戒めとすべき手本。また、戒めとすること。戒め。かがみ。〔日本国語大辞典〕
すると、今度は「人君」が怪しい気分になりました。
人君=人の君たるもの。君主。帝王。〔日本国語大辞典〕

だいぶ分かってきました。
上に立つ人が自分自身への戒めとして使う器ということです。
「省みる」を促す器と言えます。
良い勉強になりました。

野口家について座に座っていたら、見覚えのある先生が近づいてきました。
名古屋の佐々木直美先生です。
快活ないい感じの先生です。
すぐに、あれこれ話が始まり、特別支援校、支援級での話をたくさん聞かせてもらいました。
最後の方は、お涙を頂戴いたしました。朝から血行もよくなりました。

宴会でお名前を聞いた先生が、実は昔からの知り合いでした。
茨城の田上和久先生で、今は教頭先生をされています。
役所柄かとても貫禄のあり、まったくわからなくなっていました。
大変失礼なことをしたと思っています。
でも、久しぶりにお会いしての話はとっても楽しかったです。

そうして、夜も更けたころ。
松島先生と算数談義。
松島先生は算数を教えるのが好きと言う程度の先生ではありません。
話題が「緑表紙の算数は・・・」と始まります。
記憶の奥の方にあるあれこれを引っ張り出して話を聞きました。
若い先生と算数の話ができるのもありがたいことです。

8月にも流しそうめん野口塾があります。
仙台の竹川先生御一行様が参加する素麺塾です。
近くのなので少し顔を出そうと思っています。
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「忠告」の「告」のナイスな読み

16日(日)に開催される流し素麺野口塾in野口家。
いよいよ、今度の日曜日です。
23日(日)の流し素麺野口塾は、すでに満席ですが、16日の部はまだ少しだけ残席があるようです。
今からでも参加してみたい!と思われる先生、<こちら(山中伸之先生のブログ)>を御覧下さい。

野口先生の御自宅の敷地(かなり広い)を散策するのも楽しいです。
また、野口先生の書斎(と言っても、一軒家)を見学するのも楽しいです。
名人の進行形の仕事場を見学できます。
妙に胸打つものがあります。

今日もちょっと『論語』を再読していました。
「告」という漢字について、「しかと伝える」と出ていて、ちょっと響きました。
単に「つげる」のではなく、「確かに伝える」ということなのです。
すると、忠告は心を込めてやんわりと言いつつも、きちんと伝えるべきを伝えると言うことになります。
こういう解釈ができることがうれしいことです。

忠告のできる人が、「助ける友達」なのです。
「助ける友達」には2タイプあります。
1,困っている時、手を貸す。
2,悪い方に歩んでいる時、忠告する。
そうして、親しんでいる間柄が本当の善良な友達ということなのです。

やっぱり、論語は良いですね。
『日めくり 教室論語』もありがたいです!
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6年前の『現代教育科学』貝塚茂樹氏の論文、光っていました

2011年の『現代教育科学』4月号。
特集テーマが「「道徳教育」で伝えたいことは何か」。

あまりの暑さでちょっと休憩していた時、ふと、背表紙のこの文字が目に入り、サラッと読んでみました。
巻頭の梶田叡一氏と貝塚茂樹氏の論文、光っていますね。勉強量が違うということが、すぐに伝わってきます。

貝塚先生の論文タイトルは「修身科はいまだに精算されていない」です。
そこに、柔道の嘉納治五郎の考えが記されていました。
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嘉納によれば、そもそも道徳教育には、「邪悪正邪を明らかにする」智的な側面と、それを基盤とする意志の鍛錬と習慣の形成の側面が重要である(p25)
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読んですぐに、「これは道徳読みの解説か?」とも思いました。

「道徳読み」のパート2は、明らかに「正邪を明らかにする」活動です。しかも、言われてするのではなく、子供達が自分で見つけてくるのです。

「道徳読み」のパート5が目指しているのが、「意志の鍛錬と習慣の形成」です。自分自身に省みることで、人の意志は強くなるからです。

智的な側面」というのは「道徳読み」の「学問道徳」です。これを積むことで人の図に示した第二の天性(習い性)が「習慣の形成」となります。

貝塚氏は論の最後を次のように締めくくっています。
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修身科が問題点を抱えていたということと、修身科を感情的に否定するということは、そもそも次元が違う問題である。大切なことは修身科の功罪を検討することで新たな道徳教育の可能性を探ることである。その際、こうした修身科に対する批判のいずれもが、徳目を「教える」という道徳教育の本質的な役割を否定したものではないことは決して看過すべきはない。(p25)
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上から押しつける形で授業をしたら、道徳ほどやる気を失う勉強はないでしょうね。「心は自分から」というのが基本だからです。そこを押しつけてしまったら、うまく行くものもダメになっていきます。
それが戦前の修身の授業スタイルだったのです。

こういう事が分かると、指導法と徳目とを別物として考え進める必要がある事が分かります。まあ、そんなことはイロハなのですが、どうも戦前のことになると理屈抜きで全部ダメという考え方があります。頑固にはなりたくないものです。
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佐々木正美先生が亡くなられました。悲しいです。

悲しいお知らせです。
佐々木正美先生が、昨日亡くなられました。
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

2011年の5月。
この2冊の本をさくら社から出させていただきました。
佐々木先生のお導きも素晴らしいのですが、それ以上に、先生のお人柄がたくさんの方々に届くようにと、自叙伝を出版しました。

発売されてすぐに読みました。
当時、書き込んだラインが今も本の中に残っています。

「ただ一生懸命やればいいというものではなくて、何をするかが大切なのだよ」と実に穏やかにおっしゃった臺弘先生の声が、心に響いたまま、今も残っている。(『私の半生』p22)

困ったこだわりなどの行動をなくさせようとするやり方ではなく、本当に意味のある好ましい概念や行動を教えてやることが、自閉症の人々との共生には重要であることを、私は多くのお母さんから教えられてきた。(『私の仕事』p87)

今、読み返しても胸が熱くなってきます。
人としての生き方を教えて下さっていると痛感します。

もっとも心を打たれたのは、どちらの本にも書いてあるこの言葉です。

この本を 妻 洋子に捧げます。   佐々木正美

本を開くとすぐにこのように記されています。
人生を教えてくれている本なのだとつくづく思います。

それにしても、悲しいですね。
素晴らしい先生です。もっともっとも人々に語っていただきたかったですね。
でも、もう、かないませんね。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
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