花巻での作法の講演で「お茶碗の持ち方」について,画面を出したところで算数に移らねばならず,中途半端に終わってしまいました。
お茶碗はどう持つとよいのかについては,書店に並んでいるマナー本などにも正しく掲載されています。
一般的な正しい持ち方の代表は,図のように4指でお茶碗の下の部分(この部分を「糸底」といいます)を,親指で上端を支える持ち方です。これ以外にも,良い持ち方とされている方法が2つあり,たいていのマナー本に紹介されています。私の書いた『明治人の作法』にも紹介しています。参考にしてください。
逆に,悪い持ち方として,掌にお茶碗をのせる食べ方が紹介されています。昔から,掌に乗せる食べ方は,悪い食べ方として扱われています。
でも,どうして悪いのかについては,あまりふれている本はありません。日常作法の研究は実践性を求められるため,今現代の作法にどうしても注目がいってしまい,歴史的に研究することがあまりなされてこなかったからです。
手の仕組みを理解しておくと,お茶碗の持ち方の理由がわかります。手の仕組みといっても,「作法における仕組み」です。
日常作法では,基本的に手を次のように考えます。
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指は物をつかむところ。
掌は物を乗せるところ。
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お茶碗は持つ物です。ですから,指で支えるようにして持つのが作法となります。持ち方の基本は,「4指+親指」です。4指の基本は「そろえる」です。
掌は,お菓子を食べるときにちょっと乗せることがあるように,「台」や「敷物」の代用として使われるところなのです。台ですから,そこにお茶碗をおくと言うことは,台の上にお茶碗を置いたまま食べることになり,これは「犬食い」と呼ばれる食べ方に通じ,卑しまれるのです。
同様に,糸底には全くふれず,茶碗の縁を人差し指で引っかけて食べる方法もあります。これも,卑しい持ち方とされています。引っかけるのは,猫がお皿などを引っかけてとろうとするのに通じ,「猫がけ」とも言える食べ方です。
もちろん,このような手の仕組みは,軽い小さな物の場合です。ですので,軽い小さな物を持つときに「手の仕組み」が顔を出してくると心得るとよいでしょう。
(甲の画像は,古書『日常礼法の心得』(徳川義親)より)
先生に問われて,自分の意見を言うとき,小学校では手をまっすぐに上方に向かって挙げるのが一般的です。肘を伸ばし,指先も伸ばし,ピンと張って堂々と手を挙げてこそ,「さすが,日本の小学生」となります。「天井に突き刺さるように!」と気合いを入れて手を挙げるように促すことも,教室での大切な指導となっています。
このような手の挙げ方は現代だけの独特の姿ではなく,戦前の小学生も同様にしていました。
しかしながら,戦前の女学校では,肘を曲げて手を挙げるように教わっていました。
この手の挙げ方をみていると,どことなく慎みが感じ取れてきます。自分に考えや答えがあっても,「私をさして!」「私に注目して!」といった,「我先に感」がありません。慎み深く,僭越ですが・・・という雰囲気です。
明治時代より一つさかのぼった江戸時代には,殿様の前で自分から意見を言うことは基本的には許されていませんでした。殿様からの指名を受けて,初めて自分の意見を言うのが礼儀作法だったのです。どうしても,自分の意見を言うときには,体をグッと小さくして「お恐れながら・・・」と,申し出るのが一般的でした。
こういった歴史が日本にはあるので,大人になると会議の場では小学生のような手の挙げ方をあまりしません。若いとき,職員会議で「ハイ!」とすっくと手を挙げたら,大先輩の先生方から苦笑がでました。「元気があってよろしい」というようなお言葉をいただきましたが,思い返すに,少々恥ずかしいことだったのです。
この女学生さん,手の先を頭の頂より下にしています。なんとも上品です。
頭を越えて手を挙げると,自分の姿が他の方々より大きくなってしまいます。「先生に見えるのでしたら,頭を越えない範囲で手を挙げることが,日本的な手の挙げ方ですよ」とこの女学生さんが教えてくれているようです。(画像は古書『作法要項筆記帳』より)
(この後,「指名を受けたとき」に続きます。これは,後日,書きます)
五十嵐先生からメールがあり,年明けの1月15日(土)の「野口塾in三鷹」のお誘いを受けました。
テーマは「もともと日本人はどういう人たちだったのか」です。立川の実道研と同じ話を,とのことで,このテーマとなりました。
この話は,作法の一環として位置している内容です。構築中の「作法ファイル」に作り込みをして,1月15日にはプロジェクターから大きく投影してお話を進めたいと思っています。
「作法ファイル」というのは,花巻でお見せしたファイルのことです。鎌田先生が強い興味を持ってくれ,時代を観るチカラのある先生だと感じました。作法ファイルのような先端的なところにグッと来る先生は,未来に何かを作り上げる可能性が高いです。注目度がアップしています。
岩手県花巻市で開催された「第6回鍛える国語教室in花巻」に参加,いろいろな先生と出会いました。
古典の100人の会の三好先生とすぐにご挨拶ができました。インターネットで知り合った先生ですが,向き合ってお話をすると,大きな親しみがわきました。ありがたかったのは,三好先生が最前列に座っていてくれたことです。プロジェクターを使って話をしていましたので,三好先生にもマウスでクリックしていただきました。お会いしたばかりの三好先生ですが,夏からの古典プロジェクトで何度もメール交換をしていましたので,とても安心してマウスをお願いできました。
仙台の桜井先生ともお話ができました。中国の北京の日本人学校に勤められていた頃,絵はがきをいただいたことがあり,とても懐かしくご挨拶しました。お話を伺うと,2月11日,仙台で野口塾を開催するとのことで,とても感激し,その場で参加申し込みをしました。
懇親会では,青森の駒井先生や鎌田先生と本作りの話で盛り上がりました。駒井先生が年度末までには!と宣言していたので,こちらもとても嬉しく思いました。明治図書さんからの発売です。
そうして,前夜から照井先生とどっぷりとお話をさせていただきました。国語教室には,100名に迫る先生方が参加され,まさに照井先生のご人徳の大きさを感じた次第です。
私の話は作法です。テーマがテーマなので,いつもとは違うトーンでお話をしました。ちょっと会場が沈んだかなとも思ったのですが,予想以上に好評でした。野口先生からも,本当の姿が見えるほどまじめでとても良かったとご好評をいただきました。最近,社長として人と会うことが多くなってきたこともあり,こういう私も良いのかも知れないと思っています。
宮沢賢治記念館が近くにあるので,帰りに寄りました。宮沢賢治の作品より以上に,明治時代のどんな香りがするかに関心があり,足を運びました。写真に写っていた黒板が良かったです。板を4,5枚横に並べ墨を塗った「塗板」と呼ばれていた明治初期の雰囲気がありました。節も見え,節の穴もありました。こういうの,実に良いです。また,原稿用紙の使い方にも感動しました。とにかく書いて,後から直す。そのための原稿用紙なのだと再確認しました。
さくら社から算数ソフトを売り出してから,ソフトを使う先生がどんどん増えています。時代の流れとはいえ,とても嬉しいことですので,私もさらに何かできないかと考え,ネット上に算数ソフトのサイトを作ることにしました。
算数サイトといっても,すでに販売中のソフトをアップすることはできませんので,新規に作った算数ソフトを順次アップし,先生方のお役に立つ場にしたいと思っています。もちろん,無料で使えるように進めています。
算数ソフトのサイト作りの大筋の構想が先日決まったので,目下,少しずつ環境設定を進めています。お借りしているサーバーの容量も1ランク大きくします。これを12月の上旬に行い,その後,画面構成などを考え,作り込み,アップしていきます。
順調に進めば,年末の大晦日ごろには,仮オープンできるかもしれません。本格オープンは3月ごろを予定しています。
どうぞ,ご期待ください!!
金曜日に千葉を出て,花巻に向かいます。照井先生の「第6回鍛える国語教室in花巻」に出席をするためです。
今回は,作法についてお話をします。講演のテーマは「『作法』から見える教育の原点」です。照井先生が設けてくださったテーマです。とても,良いテーマです。どれだけのお話ができるかは,何とも言えないのですが,今回は気張ってプレゼン用のソフトを作りました。それが,さっき,とりあえずできあがりました。使ったソフトは,パワーポイントではなく,使い慣れているディレクターです。目次も作り,各ページを作り,画像もふんだんに入れたので,少しはわかりやすくお話ができると思います。
懇親会では,照井先生とこの先のことをあれこれお話しできたらと思っています。千葉先生とお会いするのも,楽しみです。
前日から,花巻に入るのですが,メイン講師の野口先生も前日夕方から花巻に到着されます。「一杯やりましょう」とお電話をいただきましたので,夕方からずっと楽しみが続きそうです。