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『木簡から古代が見える』も面白いですね。

b8544_300『続日本紀』を読んでいたら,突然,木簡には何が書かれていたのか気になり,続日本紀がまだ途中だというのに,『木簡から古代が見える』を購入しました。
半分ぐらいまで読み進めていますが,面白いです。私の知りたいことは何も書いてないことが分かりましたが,それでも面白いのは,平安初期の頃の都の様子や物流の様子などが書いてあるからです。

横道にそれつつも,『続日本紀』を少しずつ読んでいます。
今日は,岩波の新日本古典文学大系の『続日本紀一』が届いたので,早速,気になるところを探して,どのように記されていたのか調べました。

そうしたら,読み下し文が実にいい文章で,平安の世の日本語の響きを生で聞いているような気持ちになりました。意味は分かりにくいですが,読み心地はいいです。

気になっていたことの一つは,法要の初七日とか四十九日という表現です。お葬式になどで,「七七日」という書き方を見ることがあるので,これがいったいいつ頃から使われていたのか,気になっていました。
そうしたら,現代語訳に「初七日」「七七日」とあったのです。原文でもそのように書いてあるのかどうか,気になり,確認したかったのです。

調べてみたら,キチンとそのように書いてありました。
特に嬉しかったのは,持統天皇が死去されてから700日後に当たる日に,「百七斎(ひゃくしちのさい)」と記されていたことです。
持統天皇ですから,奈良時代に入るちょっと前の天皇です。飛鳥時代の末期には,仏教の法要が貴族の間に浸透していたのです。

結構面白いところまで進んだので,国史大辞典で七七斎を調べてみました。
そうしたら,続日本紀がその初見と書いてありました。これより,昔のことは,中国の魏書となるそうです。
初七日などは,法華経にも書いてなかったように思うので,どういう経緯でこういう儀式が生まれたのかも気になりますが,出所が中国の魏の時代となっては,これ以上は追うことが出来そうにありません。
きっと,誰か考えついた人がいたのでしょうね。
たぶん,葬儀はいろいろと大変だったので,それを簡略する方向で七日に1度という形が作られたのではなかろうかと,私は思っています。でも,どうして7日毎なのか,それも気になります。

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