道徳の徳って何かと問われたら,「天の声を聞くことができる聖人のような目で人々を見る心」などとなるのですが,これはなんだか,だらだらしています。
そうなのだと思いつつも,間延びを感じます。
図を見ればわかるように,道徳の徳とは,要するに「学校の先生の心」なのです。
でも,昔も今も,どうしようもない先生もいます。
いつも「自分に正しく」と天を仰いで我が身を省みている先生の心が,道徳の徳なのだと思っています。
ですので,簡単に言うと,「先生らしい先生」こそが道徳の徳の体現者なのです。
先生にはこういうことで,すっきりさ加減がでてきます。
しかし,これを子ども達に伝えるとなると,このままではどうにもなりません。
「先生らしい先生の心です。よく見て下さい」となってしまい,かなり滑稽です。
子どもには子どもにふさわしいように,道徳の徳を語れたら,それがベターです。
子ども達には,「お父さんお母さんが見ていると思って行動する時の心」となります。
子ども達にとって,お父さんお母さんがこそが,天なのです。
成長して大人になると,父母とは別に,新たにお天道様も天になってきます。
こういう日本人っぽい道徳が私は好きです。
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