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占いを占うということ

オリンピックを見ていると,「最後の最後まで何が起こるかわからない」ということをダイジェストで見ている気がします。
自分の将来も,もしかしたら大逆転があるのかも知れないと思ってみますが,何を持って大逆転とするのか,それが定まっていないので,単なる感傷で終わります。
そこを,ふと,少しつっこんで,もしも大逆転があるとしたらと考えてみると,急にがっかりします。
それは今が負け組ということになるからです。
逆転は負けているから生じる現象なので,これは良い感じがしません。
そうこうすると,私の周辺には勝ち負けが無い方がいいなあと思えてきます。

勝ち負けではありませんが,占いが当たっているかどうかを見るのは,そこそそ面白いです。
四柱推命という占いが学生の頃から好きで,その手の本を開いてはあれこれ思っていました。
今は,インターネットで簡単に調べられるので,時折,楽しんでいます。

今日は,「一見素直そうに見えても実はがんこものです」と出ました。
そこそこ当たっているように思います。
また,「親分肌だけどちょっと頼りないタイプ」とも出ていました。
これも,そんな気がします。
ということで,今日も良い占いとなり,「当たり」でした。

「占いなんか信じているのですか??」と言われそうな気がしますが,私は占いを信じているのではなく,出てきた言葉を楽しんでいるのです。

四柱推命は生年月日を入力すると,占いの結果が出てきます。
ですが,自分の人生を今さら占ってっても始まりません。
占いの言葉より,自分の歩みの方が実に面白いからです。
なので,自分の生年月日を入力せずに,指に任せて適当な年月日を入れて,OKをクリックします。
そうして出てきた占いの言葉を見て,良い言葉が出てくるかどうかを占うのです。
先ほど書いた「一見素直そう・・・」というのも,そうやって出てきた言葉です。

その出てきた言葉を良い言葉と思うかどうかは自分の解釈によるので,たいていナイスとなります。
こうして占いの言葉を楽しんでいると,すこし超越した気持ちになってきます。
この感覚が,ちょっと面白いのです。

自分のことを占って一喜一憂するのは,若い人のやることと思っています。
年を重ねたら,おみくじで23番と出ても,「そうか,49番だな」と,別の番号の引き出しを開けるぐらいがちょうど良いのです。
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