このソフトは,「分数を見て,わり算をして小数に直す」事を学ぶソフトです。
割り切れるタイプもあれば,割り切れないタイプもあります。その両方を並べてつくりました。
左側は÷2,÷4,÷5,÷8が出てきます。正確に割り切れるタイプです。
右側は,÷3,÷6,÷7,÷9が出ます。多くの場合,循環小数になります。正確に割り切れません。その場合には,1/100の位までの概数で表す答えも出るように作り込んであります。
青と緑の桜スライダーは,分数の数値を変更するときに使います。
スライダーですので,分母が小さい順に,分子が小さい順に分数が登場します。ですので,学習させたい分数をズバリ表示することが簡単にできます。
クリックボタンは,ランダムに数が選ばれて,問題として登場します。
スライダーで勉強して,クリックで練習。そんな流れがつくれます。
右下にピンクの桜スライダーがありますね。
小数が画面からはみ出す場合があるので,画面をスクロールできるようにしたのです。
奥の方から「正確に表せない!」という言葉も登場し,それなりに学習効果を高めるようにつくりました。
今週末には,もっと算数サイトにアップできると思います。
もっと算数サイトにアップされているソフトは無料で使えます。どんどん使っていただけたらと思っています。
『子どもが夢中で手を挙げる算数の授業』 のソフトを使って,研究授業をされるというメールをいただきました。嬉しいですね。子ども達も大喜びでしょうね。
算数ソフトを使う研究授業。
これは,まさに,新しい指導となります。
授業のどんなところで使われるのでしょう。
想像するだけで,ウキウキしてきます。
参観される先生方にも,算数がこんな風に盛り上がるんだと伝わると思います。
嬉しい限りです。
友達の堀 裕嗣先生の本『一斉指導の10の原理100の原則』です。
一斉指導のあり方について,正面から取り組む本は,とても嬉しいです。
前書きに「子どもたち学校にいる時間の8割程度は授業」 ,「授業の中心は〈一斉指導〉です」とあります。
全く,その通りです。
「一斉指導をしっかりできる」これこそ,教師の基本中の基本の指導力です。
堀先生は中学校の国語の先生です。
私は小学校でしたので,全教科を教えていました。その経験からわかることは,一斉指導で先生がエネルギーを大きく出すのは国語と算数です。作業が少なく,頭で勝負する勉強だからです。
そういう感触を持っているので,国語系の先生か算数系の先生が書いた一斉指導の本は,良い本になりやすいと思っています。
堀先生は国語の先生ですから,授業イメージとして国語を念頭にして読むと,この本からしっかりとした指導法がたくさん吸収できます。
10の原理の第1番目は「ゴールイメージの原理」です。
3学期末にどういう状態で授業をしているか,それを明確にする。これができれば,流れを考える事ができます。どこで何を授けて・・・と。
2番目は「フレームワークの原理」です。「授業目標の自覚化」という意味です。第1と関連しての第2です。なるほどと思います。
この先は,本を読んでください。
自分の専門教科が算数や理科,社会など,国語以外の先生には学びがとても大きいと思います。
国語が専門という先生には,ドンピシャです。御自身が日頃から感じている一斉指導の肝と比べつつ読むと,得るところが多いです。
一斉指導の本は,力のある先生にどんどん書いて欲しいところです。
良い本です。お勧めします。
「横山先生、本日ご講演アップしました」
原点セミナーでの私の話を収録してくださり,それを良い感じで編集してくれました。
「教職ネットマガジン」に『算数ソフト最前線』というタイトルでアップされています。
自分でも見てみたのですが,これがなかなか面白いです。
「この人,面白い!」と言っている自分がいました。
話しの流れを聞いていて,ここは笑いをと思うと,そんな事を話しています。
ここで笑いを取ると脱線する,と思うところは抑えが効いていました。
なかなか良い感じでした。
講座の後,参加された先生方の感想を読ませていただく事があります。
なぜか,私の所は「おもしろかった」「話術がすごい」が中心となります。
その理由も分かりました。
算数ソフトより,語りの方が勝っているのです。
感想が内容に踏み込めないのも頷けます。
それでも,お話しをすると,算数ソフトを購入する先生が多数いらっしゃいます。
やっぱり,目利きの先生方は算数ソフトをしっかり見てくださっているのです。ありがたいことです。
だめ出しをするとしたら,言葉のフックがやや甘いです。
もっと,「野口先生から学べ」が,自分へのアドバイスです。
村岡さん,ありがとうございました!
プロゴルファー横峯さくらさんのおじさんとしても有名な横峰吉文先生の本です。
保育年齢の子ども達ですが,ヨコミネ式で育てると,子ども達は驚くほどの成長をします。
跳び箱10段,当たり前です。入学前に漢字も覚え,九九も覚えます。
やる気になれば,どこまでも伸びるのが子ども達なのです。
そのやる気スイッチが4つ紹介されています。
1,子供は成長したがる
2,子供は真似をしたがる
3,子供はちょっとだけ難しいことをしたがる
4,子供は認められたがる
この4つを上手に扱うと,子ども達はどんどん学びの世界に入っていきます。
やる気にさせて,高い世界へ誘う。
どんどん自分から学びたがる。
こういう世界,良いですよね。
読みつつ強く感じるのは,手取り足取り教える事はしないで,子供が学びたがるようにしていることです。
「教えずに,学ばせる」
そういう事例に感動します。
さらに,強く感じた事は,同様の事を算数で実現しているのが,算数ソフトなのだと言う事です。
◎ソフトを見せると「スイッチオン!」となります。
◎見せただけで,驚くほどのやる気がでてきます。
◎授業中は,バンバン手が上がります。
◎目からは,「私を指して光線」が出ます。
◎マウスが自分に回って来たら,最高!です。
この状態で,さらに,
◎算数の最重要事項である「きまり」を見つけやすいのです。
すごいとしか言いようがありません。
そうして,自分なりに気付いた事を
◎話したくてたまらない状態になります。
ですので,先生が教えようとしても,「僕が言いたい」状態になります。
「教えずに,学ぶ」
簡単に実現します。
この素晴らしい状態になるのですから,ここに,「よりしっかりと学ぼうとする姿勢」を植え付けることもできます。
◆姿勢よく学ぶという,学びの土台づくり。
◆ソフト学習後には,教科書(資料)の自力読解。
やる気にあふれた算数の授業がどんどん広がります。
嬉しい事です。
これが足利学校でいただいた『論語抄』です。
「抄」は,元の内容から一部を抜き出すということです。ですので,この本には論語の一部が収録されています。
ということは,「論語抄」という同じ名前の冊子があったら,どんな内容が選ばれているかは,選び手によって変わってくるという事です。
そういう意味で,「抄本」は面白いです。
葉公,孔子に語げて曰く,
吾が党に直躬という者有り,
其の父羊を攘みて,
子之れを証す,と。
孔子曰く,
吾が党の直き者は
是れに異なり,
父は子の為に隠し,
子は父の為に隠す。
直きこと其の中に在り,と。
子路第十三の一節です。
父親が羊を盗んだ事を,子が正直に話しました。
しかし,孔子は,自分の里の正直は違いますよと言われ,父は子のために悪事を隠し,子は父のために悪事を隠します。
本当の正直はこの中にあります。
孔子の時代は戦乱に向かい,人々を法で治める時代になっていきました。
しかし,孔子は法で治めるのではなく,昔の王がそうしたように,徳で治めることが大切と考えていました。
その考えがとても良く出ているのがこの一節です。
人は放っておくと次第に堕落し始めます。
悪さもします。そんなときに,戒めを与え元の人に戻れるように働きかけるのが「法」です。
一方,「徳」は普通の人から少しでも立派な自分になろうと,少しでも善に向かいましょうと,自ら自分に向ける働きかけです。
法は他から与えられ,徳は自ら行う。
この大きな違いが,今の時代も見えにくくなっています。
親の悪行には,3度やんわりと話しますが,それでも親が聞き入れなければ泣いて言うとおりにします。それほど大切にするのが親なのです。親を大切にする事こそが,孝のはじまりであり,親を自分以上に大切にするからこそ,我が身を傷つける事を良しと思えず,兄弟も子も友も大切にできるのです。
羊を盗んだのですから,それをかばう子も一緒に罰せられます。場合によっては命を落とすかもしれません。そこまでして親をかばう子の姿。その思いに,なんで親が気付かないでいられましょう。きっと改心し,善に向かおうとします。
法という他からの力に頼らず,自らの心で善に向かおうとする事,これこそが真っ直ぐな正直の道です。
こういう有り難いことを学べた1日でしたので,野口先生のお話も一段と心に響きました。
私が好きな論語の本は『論語』(吉川幸次郎著 朝日選書)の上下巻です。
栃木県の足利市で野口塾が開催されました。今回は,足利学校で学ぶというオプションが付いていました。
足利学校というのは,日本最古の学校ですので,この機会を逃したら・・・という思いで参加しました。
写真の門に「学校」とあります。小学校で勤めていたので,この「学校」という言葉は心に響きます。
ところで,この「学校」という言葉ですが,記録に残っている最古のものは「孟子」と言われています。随分前の事ですが,そんな一節を作法の本で読み感動した事を覚えています。
ちょっと気になり,岩波文庫の『孟子』を読んでみました。
読み進めていくと,「庠序(しょうじょ)学校」とありました。
昔,中国に「庠序」という名前の学校があったという事ではありません。夏の時代には「校」と呼び,殷の時代には「序」,周の時代に「庠」と呼んでいたのを孟子がまとめて書いたのです。それぞれ学びの場の名称で,「校」は「教える」という意味だと,孟子は書いています。
「庠序校」でも良かったのでしょうが,思うに,一番古い周の時代「校」にある種の敬意をもって,その前に「学」をいれたのでしょう。それが今の普通名詞になっています。孟子がどれほど読まれてきたかが伝わってきます。
そんなことをフッと思い出しながら,この門をくぐりました。
それから30分。論語のお話しを伺いました。
論語抄から3つお話しを頂きました。
有名なところですので,私でも多少知っていました。知っている状態でお話を聞くと,話しは実に味わい深く感じられてきます。
この感覚は,授業にもいえることです。
この日も,算数ソフトのお話しをしました。子ども達がソフトを見て内容を理解した頭で,教科書を見るとどうなるか,ということです。
教科書に書いてある事柄への理解が深まります。
野口先生のお話は,何時にもまして濃い内容でした。下の板書からも,そのすごさが伝わると思います。
今回野口塾で,友達の駒井康弘先生がお話しをしました。実践的に研究を進めている「素読」のお話しです。
私には,かつて無いほど素晴らしいお話しとして聞こえてきました。1日5分の素読が,荒れている学級を前向きな学級へと変えていくのです。素晴らしい事です。しかも,簡単です。素読に使う最高のテキストとして,まずは野口先生の『言葉と作法』(登龍館)を使えばよいのです。クラスが落ち着いて来たら,大学などへと進みます。
参加された先生方の感動も呼んでいたのが印象的でした。