明治25年,福井県遠敷郡高等科雲城小学校が発行した『生徒手帖』が手元にあります。
表紙をめくると,明治23年に出された教育勅語が載っています。
勅語のページをめくと,「生徒心得」となります。
左の画像は,その生徒心得の第二条です。
読んでみると,すぐに伝わってきますが,文末が良いですね。
---守るべし
---たるべし
---すべからず
---あるべからず
文末が文語調になっているだけで,心への響き方が変わります。
歴史の重みが文に加わっていると感じるからでしょう。
面白いなと感じるのは,「登校降校」です。
「降校」が珍しいです。
『広辞苑』を調べると,「登校」「下校」は出ています。
でも,「降校」は出ていません。
昭和10年の『辞苑』(広辞苑の前身)を調べると,「登校」は出ています。
でも,「下校」「降校」は出ていません。
明治37年の『言海』を調べると,どれもこれも出ていません。
この変化も面白いです。
「登校」「下校」という学校用語が一般化するのに,かなりの年数がかかったことがわかります。
その原因は,明治期の小学校が登校下校という漢語を用いていなかったからだと推測しています。左の資料は高等小学校です。今で言う中学ぐらいです。通っている生徒さんの数がうんと少なかったのです。
もう一つ面白いことがあります。
登校下校と言う言葉です。
この言葉は学校ができてから生まれた言葉です。
学校へ行く,学校から帰るのですから,基本的には「行校」とか「帰校」とか言えばいいのですが,まるでお城に上り,お城から下るような言い回しの「登校」「下校」が採用されています。
登城・下城
登校・下校
どうも学校はお城と同列の扱いに思えてきます。
明治期,新しく生まれた学校は,お城のように精神的に高い位置にある立派な場として存在していたのでしょう。そのぐらい,素晴らしい場だったのでしょう。
大分県の校長先生からメールをいただきました。
春休みに向けての話しを,学校とお城を関連づけて子ども達にされたそうです。
子ども達は,きっとお侍さんのようにしっかりした心で春休みを過ごそうと思ったかもしれません。嬉しい限りです。
その校長先生のお名前は,古城校長先生です。