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6年前の『現代教育科学』貝塚茂樹氏の論文、光っていました

2011年の『現代教育科学』4月号。
特集テーマが「「道徳教育」で伝えたいことは何か」。

あまりの暑さでちょっと休憩していた時、ふと、背表紙のこの文字が目に入り、サラッと読んでみました。
巻頭の梶田叡一氏と貝塚茂樹氏の論文、光っていますね。勉強量が違うということが、すぐに伝わってきます。

貝塚先生の論文タイトルは「修身科はいまだに精算されていない」です。
そこに、柔道の嘉納治五郎の考えが記されていました。
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嘉納によれば、そもそも道徳教育には、「邪悪正邪を明らかにする」智的な側面と、それを基盤とする意志の鍛錬と習慣の形成の側面が重要である(p25)
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読んですぐに、「これは道徳読みの解説か?」とも思いました。

「道徳読み」のパート2は、明らかに「正邪を明らかにする」活動です。しかも、言われてするのではなく、子供達が自分で見つけてくるのです。

「道徳読み」のパート5が目指しているのが、「意志の鍛錬と習慣の形成」です。自分自身に省みることで、人の意志は強くなるからです。

智的な側面」というのは「道徳読み」の「学問道徳」です。これを積むことで人の図に示した第二の天性(習い性)が「習慣の形成」となります。

貝塚氏は論の最後を次のように締めくくっています。
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修身科が問題点を抱えていたということと、修身科を感情的に否定するということは、そもそも次元が違う問題である。大切なことは修身科の功罪を検討することで新たな道徳教育の可能性を探ることである。その際、こうした修身科に対する批判のいずれもが、徳目を「教える」という道徳教育の本質的な役割を否定したものではないことは決して看過すべきはない。(p25)
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上から押しつける形で授業をしたら、道徳ほどやる気を失う勉強はないでしょうね。「心は自分から」というのが基本だからです。そこを押しつけてしまったら、うまく行くものもダメになっていきます。
それが戦前の修身の授業スタイルだったのです。

こういう事が分かると、指導法と徳目とを別物として考え進める必要がある事が分かります。まあ、そんなことはイロハなのですが、どうも戦前のことになると理屈抜きで全部ダメという考え方があります。頑固にはなりたくないものです。
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佐々木正美先生が亡くなられました。悲しいです。

悲しいお知らせです。
佐々木正美先生が、昨日亡くなられました。
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

2011年の5月。
この2冊の本をさくら社から出させていただきました。
佐々木先生のお導きも素晴らしいのですが、それ以上に、先生のお人柄がたくさんの方々に届くようにと、自叙伝を出版しました。

発売されてすぐに読みました。
当時、書き込んだラインが今も本の中に残っています。

「ただ一生懸命やればいいというものではなくて、何をするかが大切なのだよ」と実に穏やかにおっしゃった臺弘先生の声が、心に響いたまま、今も残っている。(『私の半生』p22)

困ったこだわりなどの行動をなくさせようとするやり方ではなく、本当に意味のある好ましい概念や行動を教えてやることが、自閉症の人々との共生には重要であることを、私は多くのお母さんから教えられてきた。(『私の仕事』p87)

今、読み返しても胸が熱くなってきます。
人としての生き方を教えて下さっていると痛感します。

もっとも心を打たれたのは、どちらの本にも書いてあるこの言葉です。

この本を 妻 洋子に捧げます。   佐々木正美

本を開くとすぐにこのように記されています。
人生を教えてくれている本なのだとつくづく思います。

それにしても、悲しいですね。
素晴らしい先生です。もっともっとも人々に語っていただきたかったですね。
でも、もう、かないませんね。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
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『授業づくりネットワーク』最新号は学習ゲーム

『授業づくりネットワーク』の最新号に、私も少し書きました。
テーマが学習ゲーム系だったので、藤川先生が私にも・・・とお声を掛けてくれたのだろうと思っています。
ありがたいことです。

私がここに書いたのは、「新感覚の授業をしましょう!」ということです。
英語ソフトを使った新感覚の授業の一例、算数ソフトを使った新感覚の授業の一例を示しています。

セミナーで「道徳読み」の話を聞いて、目から鱗だった先生には、この雑誌に書いた内容も良い感じで受け止められると思います。

「道徳読み」で、3学期に10回も道徳の授業をした丸岡慎弥先生は、この雑誌を手にして、すぐにメールをくれました。
授業作りネットワークでの横山先生の玉稿を拝読いたしました!!
算数ソフトの具体的な進め方、ソフトを事前に学習するからこそ語れる「教科書自力読み」
そして、わからないところは子どもたちで補っていく、なるほど!!!!と、横山先生から今まで学ばせていただいていたことが整理され進化致しました。
ありがとうございました!!」

「道徳読み」が気になるという先生も、余裕がありましたら、私の稿をお読み下さい。

原稿と言えば、今週、文章題について書いてほしいと依頼が来ました。
9月か10月頃に発売になる雑誌です。
こちらも、「道徳読み」を研究している先生には、読んでいただきたい内容になります。
勘の良い先生は、近未来に向かった新しいスタイルの授業の骨格を創れるかもしれません。
そう言う先生が、私の知り合いから出てほしいです。

『日めくり論語』は私の家の机の上にも置いてあります。
今日は23日ですので、「和して同ぜず」が出ています。
道徳の基本的な考え方が学べるので、私は論語をお薦めしています。
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『やさしい漢詩教室』は良い本です

論語などを読んでいると、漢文の書き下し文も読むことになり、次第に、書き下し文の調子がいい感じに入ってきます。

そういう調子の良さは漢詩によく表れるので、身の丈に合わせて、『やさしい漢詩教室』を読み始めました。
最初の漢詩は「胡隠(こいん)君(くん)を尋ぬ」です。
いきなり知りません。
ですが、スウッといい感じで入ってきます。
高校生のころ口ずさんでいた「青春の城下町」に似た雰囲気で、なかなかいいです。

6つ目の漢詩は「春夜(しゅんや)」。
もちろん、知りません。
その最後の行に「鞦韆」とあり、ちょっと強めに反応しました。

道徳教材「ブランコ乗りとピエロ」を、もし国語で指導するとなると、真っ先に「ブランコ」にチェックが入ります。
ぶらんこは日本語なので、ひらがなで書くのが小学校国語と言うものです。
そのぶらんこの漢字が「鞦韆」なのです。
そのむかしは、「ゆさはり」と日本語で言っていたのですが、江戸時代のころに「ぶらんこ」が一般的になり、今に続いています。

すると、「春夜」はいつごろ書かれたのかが、気になってきます。
その気になった心に応えてくれるように、『やさしい漢詩教室』には、読みやすく分かりやすい解説が載っています。
そこに、作者の蘇軾(そしょく)は1036-1101をありました。
平安時代の後半でしょうか。
その時代の中国では、「鞦韆」が普通に使われていたとわかります。

この体験で道徳の周辺教養の得方を学んだ気持ちになりました。
『やさしい漢詩教室』はいい本ですね。
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3日の土曜は、山中伸之先生の「聞く力」セミナーです!

今週の土曜の「第7回いつも上手くいく先生の学級経営・授業づくり講座」が、もうすぐ満席です。
まだ、お申し込みできます。

講座1「聞く力を高める指導のポイント(1)」(山中伸之先生)
講座2「聞く力を高める指導のポイント(2)」(山中伸之先生)
講座3「聞く力を高める指導のポイント(3)」(山中伸之先生)

徹底して、聞く力をつけることにこだわったセミナーです。

国語に、「話す」「聞く」「読む」「書く」と4つがあります。
この中で、マイペースでできないのは、どれだかわかりますか。

話すのはマイペースです。
読むのもマイペースです。
ノートに書くのもマイペースです。

しかし!
人の話を聞くのは、相手のペースです。
相手のペースに自分を合わせる力がないと、聞くことはできません。

デューイは次のように書いています。
ものを聴くという態度は、比較的にいえば、受動的の態度であり、ものを吸収する態度である。『学校と社会』p46)

端的に言い表されていますね。
山中先生は具体的な内容として、次のことを話してくれます。
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・話を聞かないクラスの共通点
・聞くための構えの作り方
・動かない、しゃべらない、じっと見る
・「注目指示」の原則

・「一時一事」の原則
・「指示確認」の原則
・集中力を高めるワーク

・ワーキングメモリを鍛える
・集中して聞かせるワーク1
・集中して聞かせるワーク2
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私はセミナーには参加できませんが、若い先生、聞く力を付けさせたいと思う先生、ぜひ、足を運ばれてみて下さい。

遠方で行かれない先生、所用で行くことができない先生。
こちらの本も良いです。

『3ステップ 「聞く」トレーニング』(上嶋 惠著)

この本は、評判がよく、トレーニング・スタートアップキットも発売されています。
『3ステップ「聞く」トレーニング スタートアップキット』

「その道の専門家は違う!」とうなったことを覚えています。
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『遠山啓』は名著!

英語のわくわくプリントの新作が、さくら社HPにアップされました。
関心のある先生、ぜひ、御活用下さい!
<こちら>です。

今日は、読書ぐらいしかできないまとまった時間があったので、『遠山啓』を読みました。

これは、名著ですね。
よくぞ、ここまで編んで下さったと、ありがたい気持ちで一杯になります。
いつもなら、ペンでガンガンに印を付けるのですが、畏れ多い気持ちが湧いてきて、薄く少し書くにとどめました。
それでいて、勇気が湧いてくる、実に素晴らしい本です!!

◎ 身近なものほど“経験しやすい”ことは事実だが、“認識しやすい”とはいえない。(p214)

障害児を「特殊」とみなす教育観から脱却し、それは質の差ではなく量の差にすぎないという人間観・知能観に立ち、人間としての知的発達をあきらめず、指導のしかたを工夫しさえすれば、健常児同様、障害児も抽象的な概念に接近していけるという事実を見せられ、滝沢は驚愕したことを率直に告白している。(p243-244)

50年も60年も前、まだコンピュータが身近になかった時代に、遠山啓はここまで見通していました。
私も量をこなせば質に転化することは、「量質転化の法則」から、実にそうだと信じていました。
しかし、実際にそれを算数の授業で展開することは、できませんでした。
繰り返しの授業をしても、肌感覚で質的に転化することを実感できなかったのです。
肝となる「短時間」「大量の反復」の両方を満たすことが、黒板の授業ではできなかったのです。

時は流れ、PCが登場。
ソフトを使って授業ができるようになりました。
「量質転化は起こる!」と確信していたことが、現実となりました。
それが、日本のみならず、ルワンダでも。

障害児に「2+3」を教えるとき、実物のタイルを使って説明しても、2のタイルと3のタイルは離れたままで、「足して5」というまとまりになることを理解できなかった。だが、二つのタイルをぶつけてカチンと音をたてるようにしたら、はじめてひとつになったことを理解してくれた。(p251)

ここを読んだ時、算数ソフトを遠山先生に見ていただきたかったと痛烈に思いました。
動きを見せること。
それを短時間に繰り返し見せること。
効果音を入れること。
これこそが理解への究極の道なのです。

この本を読んでいると、遠山先生が算数ソフトへ太鼓判を押して下さっている気持ちになります。
そうして、「横山先生、やれることを精力的にやり進めてください。」と声をかけられている気になりました。
夢に描くアフリカプロジェクト。
アフリカチームの皆さんと一緒に、しっかりと進めたいと思います。

この本、読むのは4時間ほどでした。
しかし、この本は制作に時間がかかっただろうなと思います。
数年、いや5,6年はかかったのではないかと、読書中に思いました。
奥付には、「本書の執筆と制作にほぼ二年を要しました。」とあります。
にわかには、信じがたいです。
資料の整理がそうとうできている状態ということが推察されます。
この仕事をされた著者の友兼清治氏の情熱、勉強になります。
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