そろそろ夏休みも終わりに近づいてきましたね。
新学期も明るく楽しく,それでいて,ちょっと難しく。
気がつくと力が付いている。
そんな楽しい一時を,つくってみるのも良いかもしれません。
面積の学習として役立つ,マッチ棒パズルがあります。
マッチ棒10本を使って,図のように,長方形を作ります。
すると,面積は6平方マッチになります。
★余談ですが,こういう単位の付け方は算数の基本です。鉛筆で面積を作ったら,「平方鉛筆」というようにするのです。
わずかなことですが,単位とはどういう事か次第にわかってきます。
マッチ棒の数を変えないで,ちょっと何本か動かして,面積を5平方マッチにするには,図の右側のようにすればできます。
さて,ここで問題です。
かなり難しい問題です。
「わからない」「降参」と口走ってしまう小学校の先生も出るほどの何問です。
マッチ棒の数は10本のままで,面積を3平方マッチにするには,どう動かしたらよいでしょう。
ただし,マッチ棒が重なるようなことがあってはいけません。
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真面目に考えれば,わかる範囲の問題ですが,答えが気になる先生は,フェイスブックのグループ「日本基礎学習ゲーム研究会」に御入会下さい。
明日あたりに,答えが発表される予定です。
プログラミング学習が始まろうというこの時代に,ベタなパズルをやっているのですから,私もどうかしているのかもしれません。
ただ,こういうパズルの解法は,そのこと自体がプログラミングに似ています。
論理一筋だからです。
解法を手に入れると言うことは,論理的に説明ができている状態ということになります。
そう思うと,パズルも楽しいですね。
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ルワンダに3回も行っているのですが,ルワンダの観光は何一つわかっていません。
マウンテンゴリラやサファリが有名なのですが,そう言うところは一回も見ていません。
連日,都市部でのミーティングや調査などで過ごしていました。
都市部だけを見ている私ですが,「ルワンダはとても良い国だ」と痛感しています。
とにもかくにも,治安が良いです。
夜9時を回っても,会社帰りの女性が大通りを一人で歩いています。
そんなの日本では当たり前のことですが,すぐ近くのケニヤでは夕方から外出はできませんでした。車に乗って買い物に行くことすらできませんでした。
襲われてしまうからです。
ルワンダとケニヤを比べたら,ケニヤの方がダンゼン発展しています。
経済的に豊なのはケニヤの方なのです。
でも,治安はルワンダです。
治安はお金だけで作れるものではないことが,ルワンダをみているとわかります。
ルワンダには信号がほとんどありません。
電力事情が悪いのか,信号は無駄だと思っているのか,その当たりはわかりませんが,日本のように「ちょっと進むと信号」ということはありません。
信号が無ければ,無いなりに,それなりの良さもあります。
道路が空いていれば,車は基本的にノンストップでどんどん走れるのです。
それでも,大きな交差点には横断歩道があります。
そこをタイミングを見計らって人が渡るのですが,ルワンダでは人が渡ろうとすると,車が止まってくれます。
日本では普通の光景ですが,中国など私が見てきた国々では,スペースがあれば車は走り抜けます。
時には,渡り始めた私が見えているのに,クラクションを鳴らして,スピードを落とさずに走り抜ける車もあります。
この「道路での譲り合い」に,私は国家の安全安心文化の土壌があると思っています。
ルワンダがこのまま譲り合いつつ,経済的に成長していったら,きっと世界有数の安全な国になるでしょうね。
海外旅行でどこにするか迷ったら,ちょっと遠いですが,ルワンダというのも良いですね。
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昨年の今頃,「アフリカへ行き,現地を見てみよう」と思い立ち,予防接種などでバタバタしました。
あれから1年経ちますが,その間に行った海外視察は合計4回。
1回目はルワンダ・ケニヤ視察。
2回目はバングラデシュ視察。
3回,4回目は,国際協力機構(JICA)の委託を受けてのルワンダ調査です。
そうして,10月にまたルワンダへ行きます。
これだけの回数,教育視察・調査を行えば,普通,誰でもあれこれ気がついてきます。
特に,小学校勤務のある人なら,現地の教育の問題点にすぐ気がつきます。
それを見るだけで終わらせるか,何とかしたいと思うかが,ちょっとした分かれ道になります。
指導方法に気がつく人は,ちょっと大変です。
何しろ,相手はその指導法のありがたみがわかりません。
それを知らずにいても,問題なく授業が進行しているからです。
方法を伝えるためには,伝える自分が現地の人とたっぷりとミーティングする必要が出てきます。
ところが,気づいたことをそのまま伝えるのではなく,具体的な教具を通して伝えようと考えると,これはかなり楽になります。
道具があると,その道具の持つ力により,授業が変わるからです。
自然と,教え方にも影響が出てきます。
ですので,問題点と思ったことへの対策となるような教具をその場で作ってみせることが,もっとも手っ取り早い伝達となります。
後は,現地の先生がそれなりに活用してくれます。
ケニヤの小学校で1年生の授業を見せていただいたとき,位取りの概念が弱いことに気がつきました。
それを口頭で話しても良かったのですが,位取りの重要性に気がついていない人に,それが大事なのだということを伝えるのは,なかなか難しいものがあります。
そこで,その場で教具を作り,簡単に説明をしました。
そうしたら,担任の先生の腑に落ちたようで,その先生は,その後,どんどん創意工夫したそうです。
算数で海外の教育にかかわるようになり,やることが次第に増えてきています。毎日が充実しています。
充実がが続くと,それに合わせて夢もふくらんできます。
1年以内に設立したいことが1つ思い浮かんでいます。
2年以内に進出したい国も1つ浮かんでいます。
そうして,バタバタしながらも,あれこれ取り組んでいる内に,前田先生のこの教師教育も伝えられるだけの土壌ができてくるのだろうなと思っています。
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オリンピックを見ていると,「最後の最後まで何が起こるかわからない」ということをダイジェストで見ている気がします。
自分の将来も,もしかしたら大逆転があるのかも知れないと思ってみますが,何を持って大逆転とするのか,それが定まっていないので,単なる感傷で終わります。
そこを,ふと,少しつっこんで,もしも大逆転があるとしたらと考えてみると,急にがっかりします。
それは今が負け組ということになるからです。
逆転は負けているから生じる現象なので,これは良い感じがしません。
そうこうすると,私の周辺には勝ち負けが無い方がいいなあと思えてきます。
勝ち負けではありませんが,占いが当たっているかどうかを見るのは,そこそそ面白いです。
四柱推命という占いが学生の頃から好きで,その手の本を開いてはあれこれ思っていました。
今は,インターネットで簡単に調べられるので,時折,楽しんでいます。
今日は,「一見素直そうに見えても実はがんこものです」と出ました。
そこそこ当たっているように思います。
また,「親分肌だけどちょっと頼りないタイプ」とも出ていました。
これも,そんな気がします。
ということで,今日も良い占いとなり,「当たり」でした。
「占いなんか信じているのですか??」と言われそうな気がしますが,私は占いを信じているのではなく,出てきた言葉を楽しんでいるのです。
四柱推命は生年月日を入力すると,占いの結果が出てきます。
ですが,自分の人生を今さら占ってっても始まりません。
占いの言葉より,自分の歩みの方が実に面白いからです。
なので,自分の生年月日を入力せずに,指に任せて適当な年月日を入れて,OKをクリックします。
そうして出てきた占いの言葉を見て,良い言葉が出てくるかどうかを占うのです。
先ほど書いた「一見素直そう・・・」というのも,そうやって出てきた言葉です。
その出てきた言葉を良い言葉と思うかどうかは自分の解釈によるので,たいていナイスとなります。
こうして占いの言葉を楽しんでいると,すこし超越した気持ちになってきます。
この感覚が,ちょっと面白いのです。
自分のことを占って一喜一憂するのは,若い人のやることと思っています。
年を重ねたら,おみくじで23番と出ても,「そうか,49番だな」と,別の番号の引き出しを開けるぐらいがちょうど良いのです。
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嬉しいニュースがありました!
JICAルワンダのフェイスブックに,算数ソフトに関する記事がアップされていました。
タイトルは「日本発ICT教材がルワンダの算数教育を変える!」です。
本文を読むと,途上国の算数の問題点が記されています。
これまでも,途上国の算数の問題点については,あれこれ見聞きしていました。
特に,言われていたのは,かけ算ができないことです。
他にも,分数ができないなど,日本にも通じる問題点を聞いていました。
ところが,実際にルワンダの小学生を調べたら,愕然とさせられる現実がありました。
その現実を直視すると,大きな問題点はもっともっと基礎的なところにあることがわかってきました。
そうして,どうすればその問題が解決するか考え,対策を具体的にピックアップし,ブートキャンプに挑みました。
結果は上々!
教員研修も,実際の授業も,大成功です!!
今回の記事は,現地の大きな問題点の解決に向けて,算数ソフト団が一丸となって取り組んだブートキャンプを取材しての記事です。
ですので,良い授業でしたと締めくくっても良いのですが,途上国では,算数の問題解決は,単なる授業の改善にとどまりません。
教員の質の向上や退学者数問題など,国家が頭を悩めている教育問題へも影響を及ぼしかねないのです。
ですので,記事の本文を読んで,私は大いに力をいただきました。
それは,本文最後の段落に,次のように記されていたからです。
「教師不足、そして苦手な理数教育の改善という二つの大きな壁を破る可能性を秘めたICT教材に今後も注目です!!」
取材した記者さんが見ても,かなりの可能性を算数ソフトに感じてくれています。
期待に応えるべく取り組みをこの先もしっかりと進めていきたいと強く思いました。
JICAルワンダのフェイスブック
https://www.facebook.com/jicarwanda/?fref=nf
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久しぶりに,若い先生方と懇親。
埼玉の菅原先生がその中にいたので,私としてはちょっと興味津々。
というのも,菅原先生は,前田先生のセミナーで「そもそも国語とは何か」という問いが出たときに,すっくと手を挙げて答え,その答えがしっかりしていたからです。
「そもそも」と言う言葉から,すぐに浮かぶのは,群馬の深澤先生です。
深澤先生は,なぜか,「そもそも」が好きで,若い頃から講座でけっこう話していました。「そもそろ論」と言っていたこともありました。
ただ,この「そもそも」と問われての答えは,そう問われた時と場合によって,変化しやすいという難点を持っています。
「あのときは,ああ言ったけど,今は,こうとなる」といったことがよくあります。
さらに,もっと大きな難点は,「あの時はどう言ったか覚えていない」ということもあります。
ようするに,「そもそも」を規定する軸が明確になっていない状態で答えると,それはぶれやすいということです。
だから,「そもそも」という事を考えるときには,それなりに考える軸を明確にして,まずはそこから考えるというスタイルを作ることが大切な第一歩となります。
私が菅原先生に興味を持った点は,なぜ,彼自身が答えていた解になったのか,というところです。
そこで,前田先生のセミナーと同じように,懇親の場で菅原先生に聞いてみました。
すると,前回聞いたときと同じ答えが返ってきました。
この時点で,「良いね!」と思い,さらに,その講釈を聞いてみました。
すると,彼は,少し話した後,「日本語は・・・」と語り始めました。
もう,これで十分です。
菅原先生は,この先もずっとぶれずに進んでいけます。
また,機会があったら,彼がどんなことを考えているのか,それを聞いてみたいと思います。
大阪の先生も一緒に懇親しました。
彼らはタイプの違う秀才で,考え方が会うたびに強くなっている感じがしています。
面白さも兼ね備えた,逸材集団なので,これから先,かなり頭角を現すと思っています。
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