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『孟子』たとえ話がうまいです!

b8614_300久しぶりに読み返しました。『孟子』です。

たとえ話が実にうまいです。
そのたとえ話は、歴史的な事柄や、自然現象から持ってきています。勉強していないとできない話し方です。

『孟子』から出た有名な言葉に、「五十歩百歩」があります。似たり寄ったりという意味で、今使われていますが、孟子は国王の政治がほかの国王と大して違わないことのたとえとして使っています。そこから、何をどうしたらいいのか、ぐいぐいと語るので、王様も納得することになります。

こういう話し方、とても勉強になります。
また、それ以上に学べるのが、根本的なところです。

志を持っていますか。
志を見失っていませんか。
その志は人々の役に立ちますか。
「孝」「礼」に背いていませんか。

困難と感じるのは、志が形ばかりだからですよ。
苦労と感じるのは、志がうわべだからですよ。

こんな風に自分に迫ってきます。
ありがたいです。
人と会って、いろいろと話をしますが、こういうところに触れて話すことはなかなかできません。歴史上の偉人と友達になれて、よかったと思っています。

『日本書紀』

b8647_300打ち合わせがあり,東京へ出かける事になったのですが,ちょっと,十七条憲法のことが気になり,岩波の『日本書紀』第4巻を開きました。

十七条憲法には,当時の役人に向けた仕事の心得が書いてあります。
和をもって尊しとするに始まり,朝は早めに出勤し,退勤は遅めにしましょうというのもあります。読み返して,その通りだなと思います。

今回は,十七条憲法を作るに当たり,参考としていた書が何であるか,そこに注目しながら読みました。「三宝を敬え」とあるので,基本的には仏教系が多いのだろうなと思っていました。その確認の意味で読み返したのです。
そうしたら,全く違っていました。十七条憲法の大方は儒教系の書を参考にしているのです。

ということは,十七条憲法を制定する頃の都では,儒教的な考え方がよりよい考え方としてかなり浸透していたとわかります。
魏志倭人伝にも日本人は温厚と記されていますが,儒教の中庸の精神が,温厚な日本人には非常に良い感じでフィットしたのだと思います。

また一つ勉強になりました。

万葉集で指折り数える

指を使って計算する事が,ちょっと話題になりました。
これは,昔から賛否両論ありますが,意見をお持ちの方は,たいていどちらかが良く,どちらかが悪いと考えています。

私は小学生の頃,算数が得意でした。でも,計算をするときは,暗算だけに頼らず,ちょっとでも不安に思うときは,必ず指でこっそりと確認をしていました。答えが確実に正しくなるように子供心に最善策を講じていたのです。

こういう経験があるので,指を使う子には,そのまま指を使いなさいと話していました。
前の学年で使ってはいけないとしっかり指導を受けていた子は,かなりビックリした顔になります。

小学校で教えている計算は十進位取りによる計算なので,筆算の形で学ぶのがベストです。
右側から一の位,十の位,百の位と配置され,わり算以外は小さな位から進めます。

指で数えるのは,こういった位取り計算法とはちょっと違う世界観になりす。
どちらかというと,指は「そろばんタイプ」なのです。一桁ソロバンという感じです。
珠の変わりに指を折ったり伸ばしたり。
2と言われて,2本まとめてバシッと伸ばすのは,さながらソロバンで一珠を2つまとめて動かすのに似ています。
私がすごいなあと思うのは,4と言われたときに,4本伸ばすというより,1本(親指)だけを曲げるという補数で指の動きを表現することです。これには,時々,「かなりお利口!」と思う事があります。

その指折り数えるという方法ですが,古くは万葉集に出てきます。山上憶良の歌です。

秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種の花

指を折って数えてみたら・・・と歌われています。奈良時代には確実に十進法が文化として定着していた事が分かります。
そうはいっても,やっぱり指は・・・と思う方もおられると思います。
指の難点は,引き算に弱い事です。逆に数え,指も逆に動かすのはなかなか難しいです。そういう障害があるので,指を使う子は,引き算を引く数から順に数える方法でかわしていきます。このあたりになると,指はちょっと・・と感じてきます。

教科書に出てくる十進位取りの考え方は,10の束を考える計算方法です。
これの良さは,慣れるとパッとわかる点にあります。
教科書には,ソフト画面のようなサクランボの形がでてきます。計算の仕組みを理解させるアイデアです。8は後2で10だから,3を2と1に分けて,8と2で10にして・・・と考え進めます。
また,教科書にはブロックか棒がでてきます。具体的に栗で考えると「10の束」が明瞭にならないので,ブロックや棒で思考を助けています。 算数セットなどに入っている,算数的思考の必須アイテムです。

大事な一点は,この10の束をつくる様子を何度も見る事です。
ここが手作業になるので,なかなか見せづらく,理解がイマイチのまま計算に入り,気がつくと指でやってしまうのです。ソフトで何度もみて,感覚を養う事が肝要です。そうして,指は押さえで使うぐらいになればグッドです。

足利で「論語抄」から学びました。

これが足利学校でいただいた『論語抄』です。
「抄」は,元の内容から一部を抜き出すということです。ですので,この本には論語の一部が収録されています。
ということは,「論語抄」という同じ名前の冊子があったら,どんな内容が選ばれているかは,選び手によって変わってくるという事です。
そういう意味で,「抄本」は面白いです。

葉公,孔子に語げて曰く,
吾が党に直躬という者有り,
其の父羊を攘みて,
子之れを証す,と。

孔子曰く,
吾が党の直き者は
是れに異なり,
父は子の為に隠し,
子は父の為に隠す。

直きこと其の中に在り,と。

子路第十三の一節です。

父親が羊を盗んだ事を,子が正直に話しました。
しかし,孔子は,自分の里の正直は違いますよと言われ,父は子のために悪事を隠し,子は父のために悪事を隠します。
本当の正直はこの中にあります。

孔子の時代は戦乱に向かい,人々を法で治める時代になっていきました。
しかし,孔子は法で治めるのではなく,昔の王がそうしたように,徳で治めることが大切と考えていました。

その考えがとても良く出ているのがこの一節です。

人は放っておくと次第に堕落し始めます。
悪さもします。そんなときに,戒めを与え元の人に戻れるように働きかけるのが「法」です。
一方,「徳」は普通の人から少しでも立派な自分になろうと,少しでも善に向かいましょうと,自ら自分に向ける働きかけです。

法は他から与えられ,徳は自ら行う。
この大きな違いが,今の時代も見えにくくなっています。

親の悪行には,3度やんわりと話しますが,それでも親が聞き入れなければ泣いて言うとおりにします。それほど大切にするのが親なのです。親を大切にする事こそが,孝のはじまりであり,親を自分以上に大切にするからこそ,我が身を傷つける事を良しと思えず,兄弟も子も友も大切にできるのです。

羊を盗んだのですから,それをかばう子も一緒に罰せられます。場合によっては命を落とすかもしれません。そこまでして親をかばう子の姿。その思いに,なんで親が気付かないでいられましょう。きっと改心し,善に向かおうとします。
法という他からの力に頼らず,自らの心で善に向かおうとする事,これこそが真っ直ぐな正直の道です。

こういう有り難いことを学べた1日でしたので,野口先生のお話も一段と心に響きました。

私が好きな論語の本は『論語』(吉川幸次郎著 朝日選書)の上下巻です。

足利学校で論語を

栃木県の足利市で野口塾が開催されました。今回は,足利学校で学ぶというオプションが付いていました。
足利学校というのは,日本最古の学校ですので,この機会を逃したら・・・という思いで参加しました。

写真の門に「学校」とあります。小学校で勤めていたので,この「学校」という言葉は心に響きます。
ところで,この「学校」という言葉ですが,記録に残っている最古のものは「孟子」と言われています。随分前の事ですが,そんな一節を作法の本で読み感動した事を覚えています。

ちょっと気になり,岩波文庫の『孟子』を読んでみました。
読み進めていくと,「庠序(しょうじょ)学校」とありました。
昔,中国に「庠序」という名前の学校があったという事ではありません。夏の時代には「校」と呼び,殷の時代には「序」,周の時代に「庠」と呼んでいたのを孟子がまとめて書いたのです。それぞれ学びの場の名称で,「校」は「教える」という意味だと,孟子は書いています。
「庠序校」でも良かったのでしょうが,思うに,一番古い周の時代「校」にある種の敬意をもって,その前に「学」をいれたのでしょう。それが今の普通名詞になっています。孟子がどれほど読まれてきたかが伝わってきます。

そんなことをフッと思い出しながら,この門をくぐりました。
それから30分。論語のお話しを伺いました。

論語抄から3つお話しを頂きました。
有名なところですので,私でも多少知っていました。知っている状態でお話を聞くと,話しは実に味わい深く感じられてきます。
この感覚は,授業にもいえることです。
この日も,算数ソフトのお話しをしました。子ども達がソフトを見て内容を理解した頭で,教科書を見るとどうなるか,ということです。
教科書に書いてある事柄への理解が深まります。

野口先生のお話は,何時にもまして濃い内容でした。下の板書からも,そのすごさが伝わると思います。

今回野口塾で,友達の駒井康弘先生がお話しをしました。実践的に研究を進めている「素読」のお話しです。
私には,かつて無いほど素晴らしいお話しとして聞こえてきました。1日5分の素読が,荒れている学級を前向きな学級へと変えていくのです。素晴らしい事です。しかも,簡単です。素読に使う最高のテキストとして,まずは野口先生の『言葉と作法』(登龍館)を使えばよいのです。クラスが落ち着いて来たら,大学などへと進みます。
参加された先生方の感動も呼んでいたのが印象的でした。

春秋左氏伝の分数

仕事が一段落したので,教育論の本を読み始めたのだが,これがあまり面白くありません。
顔を上げたら,そこに『五経・論語』があったので,それを取り出し,ぱらぱら読みました。

礼記のところで,孔子が仇討ちについて弟子に話しています。親の敵がいるような所へは仕官しないのです。 孔子がこういうのですから,普通の人は敵がいても仕官できるのなら,敵に気付かなかったことにして,まずは飯の心配を無くすことを選んでいたように思えます。面目より飯と考えるのは自然な成り行きです。
そう思うと,孔子は日本の武士道に近い感覚を持っていたようにも思えます。

さらに,パラパラとめくったら,『春秋左氏伝』の初っぱなのページが偶然開きました。
『春秋左氏伝』というのは,今から3000年ほども前のことを記した中国の古典です。その初っぱなから,分数の概念が出てきます。
国の中に邑があるのですが,大きい邑でも,国の三分の一を超えず,中の邑なら五分の一,小は九分の一と昔から決まっていると述べられています。

読んでいる本は日本語訳ですので, 本当に分数が使われていたのかどうか,ちょっと疑問が走ったので,インターネットで調べてみました。中国のサイトです。
運良く,左氏伝を紹介しているサイトと出合いました。

「大都不過參國之一,中五之一,小九之一。」と載っていました。
ただの三分の一ではありませんでした。「三国の一」でした。中国語に詳しくありませんが,分母に単位「国」が付いていると受け止められます。面白い表現です。

一度単位が付いたら,即座に続く所では,「五の一」「九の一」と単位を省いています。これも勉強になります。
省略しても意味が通じるなら,それで良いと考えているのだろうと思えてきます。読み手の補う力を活かした記述とも思えます。

ここに来て,急に日本の古い本が気になりました。
『豊後国風土記』を開きました。700年頃の記録ですので,今から1300年ほど前の作品です。
分数と思える記述は「分両国」とあるぐらいで,国が二つに分かれるという話しです。分数以前の段階です。
左氏伝の「五之一」は,昔からこの広さを超えないのがしきたりで,これを超えると,国が危なくなるとされています。ということは,3000年よりずっとずっと昔から,中国では分数が問題なく使われていたことになります。
昔の中国は算数数学大国だったことが,こんな所からも伝わってきます。

教育論の本は面白くないのですが,また,続きを読みます。つまんないと感じる本を読むことも,面白い本への興味を強める妙な効果があるからです。