Category Archives: 古典

「中江藤樹」 みな私よりおこれり

岩波が出した「日本思想体系」に,『中江藤樹』があります。
あれこれ本を読んでいる内に,どうしても江戸時代の儒学者,中江藤樹の作品を読みたくなりました。
日本の陽明学の始祖とも言われている人物なので,なおさら,一つだけでも作品を読んでおこうと思った次第です。

取っつきの悪そうな感じだったのですが,よく読むと面白いです。
儒学が私にフィットしているからかもしれません。

まだまだ序盤なのですが,「人間千々よろづの迷い,みな私よりおこれり」とありました。
グッと来ています。
この考え方が,中江藤樹の発想なのか,何かで学んだのか,その識別がついていません。
こういう気になるところが出てくると,中国の陽明学もちょっとだけで良いから学んでみたくなります。

個人的な推測ですが,この考え方は200年後の柴田鳩翁には少なからず影響を与えたと思えます。
『鳩翁道話』ではこの「迷いは私より起こる」ことが非常に強められているからです。
究極の「悪しき思い」となっています。

自分の困り事,迷い事をみつめると,藤樹・鳩翁が言うように,この「私」が心の中に入り込んでいるのがわかります。
古来より,変わらない人間の心の姿なのです。

「私」が入り込まないようにと分かってはいても,時として,自分も困り事・迷い事に入り込むことがあります。
そこに,ハッと気がついたとき,大切なことは「克服する強さ」の発揮です。
それには,頭で強い意識を出す必要があります。
これが,頭を冷やすことであり,冷静になることです。
その時に効果的なのが,「作法 教えの図」です。
図で理解していると,自分の心のあり方を客観的に見つめられ,こういうときに役立ちます。

中江藤樹の作品,この先に何が書かれているのか,楽しみです。

『論語』の中に,分数を発見! 嬉しいです!

『論語』は人格陶冶の基本の書と思っているので,時々,読み返しています。申し訳ない程度ですが・・・。
その論語を,今日,読み返していたら,『論語』の中に分数が出ていることを見つけました。

算数は私の研究対象なので,論語からの分数発見は,個人的な大発見です。
嬉しくてなりません。

『方丈記』に分数を見つけたときも,嬉しかったです。
『日本書紀』の発見も嬉しかったです。
そうして,今,かの有名な『論語』に分数を見つけたのです。
非常に嬉しいです。

分数と言っても,小学校で書き表すあの横棒(括線)を使う表記ではありません。
漢字での表現になっています。
その分数は,次のように書かれています。

『三分天下有其二』

「天下を3つに分けて,その2つ保つ」という意味です。

何と,驚く無かれ,孔子が分数を使ったのです。
もう,それだけで,十分に楽しいです。

論語は孔子の弟子がまとめた本なので,孔子が本当に分数を使ったかどうかは,わかりません。
でも,言葉として発したことを記録として記しているので,孔子が分数を使っていたと考えて問題なかろうと思います。

論語自体からも,たくさん学べました。良い一日でした。

伊藤仁斎先生の『童子問』

江戸時代の儒学者,伊藤仁斎先生の『童子問』

孔孟に正宗(せいそう)を得(う)ること無し。高からざれば即ち楽しまず,奇ならざれば即ち悦ばず,常(じょう)を厭(いと)うて新を喜び,近きをすてて遠きを取る。予深く悲しむ。

これが一貫している本です。
野口芳宏先生が「根本 本質 原点」と仰います。 まったく,その道です。
こういう考え方をしていると,「仁者は俗を嫉(にく)むの心少し」「不仁者は世を憤るの心勝つ」といった見方にも納得するものがあります。

この本からの最大の学びは「内外一致」論です。
仁斎先生の内外一致論は実に優れています。
仁斎先生の論により,私は作法の教えを輪切りにした様子を明示できるようになりました。しかも,作法の効用を非常にわかりやすく説明できるようになりました。学んで良かったです。

何かを習得することの説明には,2つの視点が必要です。
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1つは流れ(時)の視点
1つは輪切り(場)の視点
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仁斎先生の内外一致論は,作法をこの「輪切り」から実に明快に説明できるのです。

作法書はたくさん世に出ています。しかしながら,「何をどうする」のハウツーの域から出る書がほとんどありません。
そんな中,戦前の相島亀三郎先生や下田歌子先生の本が奮闘してくれているので,私もその道を拓いていきたいと思っています。
作法の根本・本質・原点は何なのかを,先達の水準を超えて語り記せるように,前進していきたいと思っています。

『源氏物語』を読み終えました

『源氏物語』をなんとか読み終えました。
ただ,目を通しただけ,という感じでもあります。
なにしろ,読んでいるとボーッとしてきて,
何が何だか,よく分からないのです。
ようやく,何かしら分かってきたのは,終盤でした。
目と頭が源氏物語に慣れるのに,十日もかかったことになります。

そんな読み方をしていても,
ところどころ,やっぱり面白いところがあり,勉強になりました。

当時の偉い人が移動するときには,先払いがいたのです。
江戸時代でしたら,「下にー,下にー」と言っていたあの人です。
その声も時と場合によって,変えていました。
これは,なかなか面白いと感じたところです。

船旅の最中に涙を流すのは,不吉とされていました。
水の上で水ですから,分かるような気がしました。

驚いたのは,この頃,すでに火の用心の夜回りが行われていたことです。
火事は江戸の花ですが,そもそも燃えやすい建材で家が造られているので,
昔から火の始末には気を配っていたことになります。
現代語訳でない本を買って,どういう言葉を言っていたのか,
調べてみたい気持ちにもなっています。
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不思議と感じたのは,
数がほとんど出てこないことです。
部屋がいくつあるとか,何枚の重ね着をしているとか・・・
年齢がたまに出てくるぐらいで,
紫式部にとって,数は関心所では無かったようです。
ちょっと残念な思いです。

柳沢淇園の『雲萍雑志』

柳沢淇園の『雲萍雑志』です。

江戸時代,文武両道を極め,人の師として立つことができる芸を16も会得した柳沢淇園の書いた書です。
でも,この本には,そういう道を究めた雰囲気は余り感じられませんでした。
それでも,面白いのは,江戸時代の考え方を知ることができたことです。

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長生きをしたいと思ったら,ウソをつくな。
ウソは心を浪費する。
人,心に労なければ,命長し。
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「夏日の七快」 も載っています。
これを読みたくて,この本を見つけたときに購入したのです。
「夏日の七快」は,戦前の女学校の修身書に採用された作品です。
その出展が『雲萍雑志』と聞いてはいましたが,まだ,読んでいませんでした。
今年の古本市で,偶然見つけ,ようやく読むことができました。

「夏日の七快」 の次には「飲酒の十徳」が載っています。
そのまま,ご紹介しましょう。
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礼を正し,労をいとい,
憂いを忘れ,鬱を開き,
気を巡らし,病を避け,
毒を消し,人と親しみ,
縁を結び,人寿を延ぶ。
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お酒は,良いことずくめと思えてきます。
でも,この後に「罰酒の法」と続きます。
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古人罰酒の法あり。
三合を飲酌の限りとす。
もしこの法を失う時は,
家を乱し身を滅ぼす。
箕子一たびなめて良薬と賞し,
二度なめて心をみだすのなかだちとおどろき,
三度なめて国家を失う基と悟れり。
労なく憂いなき時,飲むべからず。
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江戸時代にも,お酒にはイマイチと思われる所があったのですね。
 

映画館に,日めくり『教室論語』が!

 

 

 

 

さくら社の日めくり『教室論語』が映画館で販売されています!

映画館は,シネスイッチ銀座
映画は,もちろん「孔子の教え」

かなり泣ける映画だそうです。

『論語』を読むと,「不易」が分かります。
2500年もの前の教えです。
その教えと,今,自分が感じる正しい道とが重なるところこそが,「不易」なのです。
ですので,素直な気持ちで,より崇高な人間性を求める気持ちで読むようにしています。そこにしっかりとした教えが重みを持って顕れてくるからです。

日めくりの『教室論語』を1枚めくると,また,新たな気持ちが湧いてくるのは,「不易」に包まれているからだと感じています。