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気分は2011年

  4月末から始まった大仕事。私の分担が今日ようやく終わりました。これで,いよいよ次の大仕事に突入できます。もう,気分は2011年です。嬉しさ極みです。こちらの仕事,今日から1年間のロング仕事です。ボリュームもビッグにあります。でも,きっちり進める自信があります。
  長いこと人生をやってきて,どの年代もとてもグッドでしたが,もしかしたら,今が最高峰かもしれません。こういう時を迎えられているのは,やっぱり時代と周囲の人々のおかげです。感謝しています。  

野口先生と東京駅忘年会

  今年も野口先生と東京駅で忘年会をしました。今年で2年目となります。山中先生も良知さんも一緒です。
  何か特別なテーマがあるわけでもなく,今年を顧みたり,来年を慮ったりすることもなく,思い出したことをあれこれ話しています。でも,それがとても楽しいです。
  印象に残っている言葉は,「最後は人柄だよ」「晩晴だよ」です。
  思い返すにつけ,そうなんだよな,と思います。この10年間,野口先生と一緒にあれこれ歩んできましたが,やっぱり,野口先生のお心の寛さは,一緒に楽しく過ごしているだけでも,伝わってきます。晩年を晴れやかにしていけるよう,今を精一杯生きることが大切なのだと,しみじみ思います。

  来年の流しそうめん野口塾では,野口先生の御著書を野口家のどこかにきちんと並べようと思っています。それを行うための時間を取るのですが,山中先生から,「奉仕の時間」が提案されました。さすがです。

スカイプ

仕事部屋が無線ランになりました。おかげで,かなりの量のコードが姿を消しました。まだ,コードはたくさんありますが,実にスッキリしました。有難いことです。
ついでに,スカイプをセットしました。これで,遠方の師匠と無料で音声通話が出来ます。今日は,その初の試みをやってみました。慣れないので,妙に緊張しましたが,両手使えるので,まるで同じ部屋で仕事をしているような感覚になります。在宅ワークが多いので,こういうのはとても良い感じです。
聴くところによると,もう少ししたら,無料のままで複数でやりとりできるそうです。これも有難いと思います。

朝日小学生新聞の懇親会

  朝小の懇親会があり,参加してきました。
  やなせたかしさんがマイクスピーチで歌をご披露くださいました。とってもお元気です。最前線を走り続けいる方は,いつまでもいつまでもお元気なのだと思いました。
  私の担当をしてくださっている方々ともお会いし,お話しでき,実に気持ちの良い会でした。中学・高校の数学の参考書を書いている先生とも知り合うことができました。いただいた名刺の裏には,書名がびっしり書かれていました。また,難しい漢字の覚え方も教えていただきました。「薔薇」の「薔」は,薔薇の周りに,草が生えているので,土を,人が2人回りながら抜いている,というような感じでお話にするそうです。「薇」は微に横棒が1本入っているので,草がビミョーとなるそうです。なるほどと思いました。
  ふっと思ったことは,「瓜に爪有り,爪に爪なし」です。
  漢字を丸ごと書けないという場合は,丸ごとお話にすると良いですが,部分的にうろ覚えの時は,その部分だけをお話にすると,これはこれで,しっくりいくのではないかと言うことです。

朋有り遠方より来たる

  今週末は,友達の校長先生が千葉に来られるというので,夜8時からコーヒーを一緒にいただくことにしました。とても,楽しみです。
  こちらのブログを書いている校長先生です。
       http://plaza.rakuten.co.jp/mikio319/
  こちらのブログ,私の好む感じのブログで,この頃は,ほぼ毎日のように読みに行っています。何というか,がんばるぞ!という気持ちと,ああいい気分!の両方を感じています。

  年末の27日には,東京で平井社長と会います。ビデオの名人なので,この先,何か一緒に仕事をすることもあり得そうと思っています。平井社長は,ツイッターがすごいです。ビシバシ書いています。会ったときに,ツイッターのことを少し教えてもらおうと思っています。

  

不易流行

  講座の後の懇親会。先生方のスピーチを拝聴できることがあります。若い先生もベテランの先生も思いの丈を話すのですが,ときどき,若い先生から「不易流行」という言葉を聞くことがあります。若いのに,こういう言葉を知っていていることに感心します。それを,自分なりに咀嚼して話してくれます。ちょっと,じーんと来るものを感じます。何かしらの「志」を感じるからです。
  「不易流行」,これについては,ちょっと調べれば松尾芭蕉の言葉とすぐにわかります。立花北枝の問いに芭蕉が答えたことが,北枝の作品『山中問答』に記されています。(山中というのは,石川県の山中温泉の山中です)
  『山中問答』には次のように記されています。
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  萬物,山川・草木・人倫の本情を忘れず,落花散葉の姿にあそぶべし。其すがたにあそぶ時は,道古今に通じ,不易の理を失はずして,流行の変にわたる。然る時は,こころざし寛大にして物にさはらず,けふの変化を自在にし,世上に和し,人情に達すべしと,翁申たまひき。(『日本哲学思想全書12』平凡社)
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  芭蕉が北枝に誘われて山中温泉に行ったのは,もちろんのこと奥の細道の道中です。ですので,奥の細道の作品を鑑賞するとき,「不易流行」を念頭に入れると,なるほどと感じるものがわき上がってきます。
  「夏草や 兵どもが 夢の跡」
  不易流行を知る前の私にはただの夏草だったのですが,知ってからは不易の夏草なのです。何千年もの昔から,何千年の未来に至ってもやっぱり夏草は存在しつづけます。それとは対照的に,奥州藤原三代の栄華が流行として何ともはかなく感じられてきます。俳句に奥行きや広がりが感じられ,まさに芸術として私にしみこんできます。
 
  若い先生のすばらしいところは,こういった歴史的な言葉を自分の向き合っている対象に適用し,見通しを立てようとする点にあります。 
  
  私の研究対象である「算数」をみても,学制頒布以来,基本的に算数そのものの本質は変わらないのですが,その表現の仕方が時代によって変わっています。とくに,昨今はコンピュータによる表現で,算数の表し方は非常にわかりやすい形になってきました。私自身,現役の時,表計算ソフトで瞬時に表からグラフを作ったり,数値を変えるとグラフもつられて変わったりする様子を子ども達に見せました。その変化・動きに子ども達は嬉々として,かつ真剣に向き合っているのです。表現が変わることは,指導法も変わるという衝撃を感じた一瞬でした。そうして,変わらないのは,算数そのものの持つ美しさ,面白さです。これの表現が良くなることで一部の才能のある子だけがわかる世界から,誰でも算数を理解し得る時代へと変わっていくのです。

  時代を進めていこうとする若い先生には,どんどん世に出て欲しいと願います。