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久埜先生とお茶しました!

  いやあ,本当に久しぶりです。10年ぶりぐらいでしょうか。
  成城学園前という駅で始めておりました。改札で待っていると,すぐに「横山先生!」と声をかけられました。久埜先生です。
  まったく,お変わりなく懐かしい昔話に花が咲きました。
  すぐに,Aさんもやってきて,移動しました。移動先は久埜先生が愛用している甘味処。お麩のぜんざいがあったので,ちょっと珍しいと思い,それを注文しました。なかなかの珍味でした。
  途中,S社の田坂さんがやってきて,話はぐぐっと盛り上がりました。
  この先,みんなで進みましょう!ということで,解散しました。

1月15日(土)三鷹の野口塾でお話します

  五十嵐先生からメールがあり,年明けの1月15日(土)の「野口塾in三鷹」のお誘いを受けました。
  テーマは「もともと日本人はどういう人たちだったのか」です。立川の実道研と同じ話を,とのことで,このテーマとなりました。
  この話は,作法の一環として位置している内容です。構築中の「作法ファイル」に作り込みをして,1月15日にはプロジェクターから大きく投影してお話を進めたいと思っています。
  
  「作法ファイル」というのは,花巻でお見せしたファイルのことです。鎌田先生が強い興味を持ってくれ,時代を観るチカラのある先生だと感じました。作法ファイルのような先端的なところにグッと来る先生は,未来に何かを作り上げる可能性が高いです。注目度がアップしています。
  

花巻でたくさんの先生方と!

岩手県花巻市で開催された「第6回鍛える国語教室in花巻」に参加,いろいろな先生と出会いました。

古典の100人の会の三好先生とすぐにご挨拶ができました。インターネットで知り合った先生ですが,向き合ってお話をすると,大きな親しみがわきました。ありがたかったのは,三好先生が最前列に座っていてくれたことです。プロジェクターを使って話をしていましたので,三好先生にもマウスでクリックしていただきました。お会いしたばかりの三好先生ですが,夏からの古典プロジェクトで何度もメール交換をしていましたので,とても安心してマウスをお願いできました。
仙台の桜井先生ともお話ができました。中国の北京の日本人学校に勤められていた頃,絵はがきをいただいたことがあり,とても懐かしくご挨拶しました。お話を伺うと,2月11日,仙台で野口塾を開催するとのことで,とても感激し,その場で参加申し込みをしました。
懇親会では,青森の駒井先生や鎌田先生と本作りの話で盛り上がりました。駒井先生が年度末までには!と宣言していたので,こちらもとても嬉しく思いました。明治図書さんからの発売です。
そうして,前夜から照井先生とどっぷりとお話をさせていただきました。国語教室には,100名に迫る先生方が参加され,まさに照井先生のご人徳の大きさを感じた次第です。

私の話は作法です。テーマがテーマなので,いつもとは違うトーンでお話をしました。ちょっと会場が沈んだかなとも思ったのですが,予想以上に好評でした。野口先生からも,本当の姿が見えるほどまじめでとても良かったとご好評をいただきました。最近,社長として人と会うことが多くなってきたこともあり,こういう私も良いのかも知れないと思っています。

宮沢賢治記念館が近くにあるので,帰りに寄りました。宮沢賢治の作品より以上に,明治時代のどんな香りがするかに関心があり,足を運びました。写真に写っていた黒板が良かったです。板を4,5枚横に並べ墨を塗った「塗板」と呼ばれていた明治初期の雰囲気がありました。節も見え,節の穴もありました。こういうの,実に良いです。また,原稿用紙の使い方にも感動しました。とにかく書いて,後から直す。そのための原稿用紙なのだと再確認しました。

分数の言い回し

『花鏡』(世阿弥)分数表記 分数の「1/3」は,「三分の一」と読みます。

 この読み方に慣れているので,これ以外の読み方など,全く頭の中にありませんでしたし,考えてみることすらしませんでした。

 ところが,ある日。
 仕事で,『花鏡』(世阿弥)を読んだとき,実に驚かされました。「三分一」と記されていて,そのルビが「サンブイチ」なのです。「の」が記されていません。
 これは,誤ってルビをつけたのかもしれないと思ったのですが,1ページめくるとそこでも「サンブイチ」「サンブニ」とルビがついています。
 分数の言い回しが,昔は違っていたのです。

   (※左の引用は『花鏡 謡秘伝鈔 演劇資料選書1』(早稲田大学演劇博物館編)

      

          


  『花鏡』は1400年頃から書き始めたものだそうで,これよりさかのぼること200年。1212年に鴨長明が記した『方丈記』にも,分数が出てきます。こちらでは,「三分カ一」と記され,「さんぶがいち」と読んでいました。
     (※左の引用は『新調 方丈記』市古貞次校注 岩波文庫
  
  不思議に思うことは,「三分の一」のように「の」と読ませる読み方が出てこないのです。

  日本に分数が伝わったのは,いつのことなのか,それはちょっと確認できていないのですが,養老令(奈良時代)には出ているそうで後日確認してみたいと思っています。確かなことは中国から伝わったということです。
  その中国では,分数を「三分之一」などと「之」を用いて表記していました。このような中国の表記は,中国古代の数学書「九章算術」(紀元前の書と言われている)に記されています。それが,日本に伝わったのが平安時代。数学的影響は少なかったそうですが,平安時代には分数が日本でも使われるようになったことは頷けます。
  
  日本で,今のような1/3といった,アラビア数字と横棒での分数表記が使われ始めたのは,明治になってからのことです。1,2,3・・といったアラビア数字は文明開化の波に乗って,日本で使われ始めた数字です。江戸時代までは,全部,漢数字でした。それがいきなりアラビア数字になったので,明治初期にはアラビア数字に小さく漢数字でルビが振ってあったこともあります(これは,『明治人の作法』(拙著 文春新書に載せてあります)。アラビア数字は,日本では案外新しい文化なのです。

   (続く。後日,少し書き足します)