Monthly Archives: 3月 2013

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3年生の文章問題「何倍の何倍」のソフトができました!

8708_4003年生の文章問題「何倍の何倍」のソフトが2本,完成しました。
もっと算数サイトにアップしましたので,関心のある先生,ご覧下さい。

昨日のイベントにチーム算数の佐々木智光先生も参加されていました。
佐々木智光先生が,一連の文章問題のソフトについて,「あれは,すごい」と話してくれました。
どうすごいのか,聞こうと思ったのですが,人の流れがあれこれあり,聞きそびれました。
今度,会って,しっかり聞こうと思います。

文章問題の中でも,「逆思考」や「連続思考」を要する問題は,いきなり式とすすめると,分からなくなる子がでてきます。
そこで,図をかてい・・・と進めます。
ところが,その図が面倒で・・・となります。

そこで,この算数ソフトです。
問題文が部分的に切り取られ,移動して,図を形成します。
動くの見ているだけで楽しいです。
しかも,算数ですから,動きにはきまりがあります。
それを見つけてしまったら,もう,その子は類題が解ける子になっています。

文章問題の時間が,面白くて,楽しみな時間となりますね。
これは,もしかしたら,歴史上初めてのことかもしれません。

佐藤正寿先生の新刊記念イベント,充実しました!

b8601_300佐藤正寿先生の新刊『教師の力はトータルバランスで考える』の刊行を記念した,佐藤先生と上條先生のトークイベントに参加してきました。

イベントは,佐藤先生からの新著のお話しからスタートでした。6つの力をどう見ていくか,どう自分のものにしていくかなど,短い時間の中お話し下さり,なるほどと思いました。

その後は,上條先生と佐藤先生のトークイベントです。
上條先生がだんだんヒートアップしていき,今後教育界に必要となる質的研究について熱く語られつつ,しきりに,「この本は良い本だ!」と熱弁されていたことが印象に強く残っています。
会場は大盛り上がりでした。盛り上がりつつも,メモを取られる先生がいっぱいで,充実感があふれていました。

その後のサイン会は,長蛇の列です。
前回の有田先生と同様の列になり,佐藤先生の人気の高さに驚かされました。

サイン会の中,茨城の燃える先生,片野靖久先生と歓談しました。来年度の抱負などを熱く語ってくださいました。ファイトあふれる先生に教わる子は幸せです。

また,神奈川の仲矢理恵先生ともお話しできました。京都での同窓会へ行く前に,このイベントに参加してくださり,ありがたく思いました。担任でありながら,司書の先生もされているとのことで,今進めてい大型プロジェクトに御参加いただきました。

片野先生も仲矢先生も,フェイスブック友達です。それが,今回の三省堂さん,佐藤先生,上條先生のおかげで面識あるお友達になりました。ありがたい一時でした。

懇親会の後,広島の井上先生を「さぼうる」に連れて行きたかったので,濃いメンバーと共に,出かけました。
井上先生は算数を研究している学校に勤務しているので,この先,共に学び会えそうで,それがとても嬉しかったです。

 

「拝啓」「敬具」の手紙を受けたら、「拝復」と何?

b8597_292これは昭和10年の国語の教科書です。

タイトルは「手紙」です。
小学校5年生の教材で,この作品だけが「候文」になっています。ですので,当時,手紙をきちんと書くときには候文を使って書くことが良い書き方として指導されていたのです。
その後,候文は教科書から消えていくので,この時代は,きっと文章風が変わりつつあった頃なのだろうと思えます。

その手紙も,最近はめっきり書かなくなりました。
ハガキも希になりました。
そんな時代なのですが,手紙の書き方をきちんと指導されている先生もいます。
「拝啓」で始まり,「敬具」で終わる。
これを指導するだけでも,今の時代はなかなかのものです。

先日,手紙の指導をきちんと受けているクラスの子から,お手紙を戴きました。ですので,その返事は型どおりに「拝復」と書き始めました。「拝復」と書くことによって,「拝啓←→拝復」という対応を子どもに伝えられるからです。
もちろん,大切なことは,「つつしんで・・・」という相手への敬意です。「拝啓」と書いてあっても,言われたから書いているというのは,いただけません。しかしながら,拝啓など定型化した言葉は,それを何度も使うことで,その感覚が体にしみてきます。
そんな思いがあるので,まずは,子どもが知ること。そのために,子どもに知らせることです。

本文を書き終えたら,最後の一筆を入れるのですが,「拝復」の対は何なのか。これを知っている先生もごくごく少数になりました。
対は複数あるのですが,昭和10年の教科書が教えたのは「拝具」です。

「拝復」「拝具」。
これも,日本人の作り出した美しい手紙様式です。
最近,日本の良さや,日本人の良さを真剣に追求し,少しずつ子ども達に伝えている先生が増えています。
そういう先生の豆知識の一つになればと思います。

3年生の文章問題「何倍の何倍」のソフトを作り直しています

8709_4003年生の文章問題「何倍の何倍」のソフトを大幅に修正することにしました。

ほぼ完成して,何度か見て,そこそこ良い感じと思ったのですが,デバッグ段階で「わかりにくい」となり,図を棒グラフのように縦にしました。

その結果は,ご覧の通りです。
一目で倍の感じがつかめます。

「倍」に関する授業で,その昔,城ヶ崎先生が「図を縦にしたら分かりやすかった」と話してくれたことがありました。授業中に分からない子がいて,とっさに思いついたそうです。
私も似たような経験があるので,「その通り」と答えつつ,城ヶ崎先生のセンスの良さに感心したことがあります。
最近では,福山先生が縦に図をかいて大成果をあげました。
やっぱり,比べるときには棒グラフのように縦にした方が分かりやすいです。

嬉しいことは,もう一つありました。
縦にしたおかげで,棒の間隔を狭めることができました。
これで,「つながり図」とのつながりが,グッと高まりました。
一石二鳥,そんな気分です。

横向きの図を縦に直しただけですが,これを直すのに,かなりの手間がかかります。
画像の作り直し。
画像の配置の直し。
画像に割り当てたビヘイビアの作り直し。
影響を受けた部分のプログラムの修正。
これだけ直すと,バグが出る可能性が高くなります。バグ点検もしっかりやらねばなりません。
それが大方進みました。
これで,「何倍の何倍」を楽しく理解できる子が増えます!
新年度の3年生の何百人,何千人,何万人の子がこのソフトを見て勉強することになります。
そう思うと,力が湧いてきます。ソフトの修正の原動力になっています。ありがたいです。

3年生の文章問題のソフト,「何倍の何倍」がもうすぐできそうです!

8710_400算数・数学好きを増やす会のMLで藤本先生とやりとりして,このソフトを作り進めています。
そのソフトが大方仕上がってきました。

子ども達が新しい学習として学ぶのは,「4倍の2倍」という関係が,(4+2)倍ではなく,(4×2)倍になることです。
「倍の倍だから」とか,「かけ算だから」と言葉で片付けると,その場の記憶になりやすいです。
急がば回れ。
まずは,量で(4×2)となることを,つかませるます。

その量でとらえやすいように,ちょっと工夫をしました。
問題2,問題3には,この画像のように,「今日」「明日」の上の方に「?」ボタンが付いています。
これをクリックすると,「きのうの4倍」「きょうの2倍」の文意をとらえやすい図が出てきます。

こういう量を見て,しっかり(4×2)となることをおさえ,それから「つながり図」だけで思考できるようにと作り込んでいます。
ですので,問題4は,「考え方」がありません。「つながり図」だけになります。
でも,3問やっているので,たいていの子はつながり図をすいすい書けると思います。
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明日からは,倍という言葉を使わない類題のソフトを開発する予定です。今から,その作成が楽しみです。

2年生,かけ算九九,江戸時代の風景

かけ算九九の呼び声を文字にするとき,たいていは「三四 12」などと,漢数字→アラビア数字の順に書いています。
ふつうの数字ではなく,かけ算九九であることへの識別が高くなります。こういう工夫は,良い工夫だなと感心しています。

アラビア数字が日本で普及したのは,明治時代に小学校で教えるようになってからですから,それ以前には漢数字で「三八 二十四」と表していました。
また,大字(壱・弐・参など)を使った表し方もありました。
それが,先日以来読んでいる江戸時代の農業専門書『百姓伝記』(下巻)に出てきました。
「一壱の一」「一一の壱」の二種類です。感動しました。

九九を使った表現として,「五七日」も出てきました。今の時代は人が亡くなってから35日目の日をさしますが,この本では農作業の35日の意味で用いています。
この「五七日」というのも,面白い表現で「7日が5つ分」という意味になります。小学校で教えるかけ算の意味(5が7つ分)とは逆になっています。
こういうところに気がつくと,昔の九九の意味は,今と同じだったのか,逆だったのか,どっちでもよかったのか。こんな所が気になってきます。
「五七日」というのは仏教で使われていた表現ですので,それが農業にも応用されて使われたのではないかと推測しますが,このあたり,今後の読書課題になりそうです。

b8598_292江戸時代に入り,かけ算九九は「一一が1」と一の段から唱えるようになりました。
これと,世界観を表す「天地人」とを結びつけた云い伝えのような話しも載っていました。

一は易で物事の初めとされ,「天」。
一一と続くと,「天地」の心を表します。
一壱の一となると,「天地人」の意味になります。
世界は,「一一が1」から始まるという意味です。

こういうことが書かれていると云うことは,九九は物事の全体(始まり・終わり)を象徴する事例だったのだろうと思います。ちょっとした,江戸時代の生活思想をみた気持ちになりました。

1680年代に易に及んで文章が書けるのですから,これを書いた人(不明)は,ただの農民とは思えません。書物を手にでき,それが読め,しかも,かなり若い頃から師匠について学んでいた人と思えます。