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「巧言令色鮮ないかな仁」の妙味

b7734明日から9月ですね。
9月は例会が2つ。
「チーム算数」は10日(土)の午後からです。
場所は,いつものジョナサン。
あの城ヶ崎滋雄先生の話が聴けるのが,大きな特典です。

「SG会」は17日(土)の夕方からです。
場所は,明石先生のオフィスです。
明石先生の見識の博さ,学ぶところ大です。

どちらも,とても楽しい会です。
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b7476言葉が巧み。
愛想のいい顔をしている。
こういう時の人の心には,仁や誠というような真心がこれっぽっちもないですよと教えてくれています。

この条,読むに付け,いろいろな思いが巡ります。
まずは,「巧言令色で近づく人がいたら気をつけよう」と思います。
それ以上に,「そう言えば,自分もかなり巧言令色だな,もしかしたら,自分には仁がほとんど無いのかも」との思いも生じます。
そうして,言葉巧みになりそうになったとき,愛想良くしているときが,自分の心から仁が遠ざかる時なので,その時こそ,要注意の時なんだと自戒の気持ちになります。

こういう思いがあれこれ巡るのは,この条が言葉・顔色など行為を記した後に,仁という心の様子を記しているからなのだと思っています。
これが,もし,行為から行為へと,例えば,「巧言令色,詐欺に近し」と記されていたら,この条のように思いは巡りにくいです。
論語は心のあり方を示す語が,良いところにポンと入ってくるので,読む度に深みが変わってきます。

ところで,「仁」ですが,仁って何なんでしょうね。
愛とも言われますし,真心とも誠とも言われます。
そう言い換えられるとそんな気になりつつも,どうにもスッキリしない自分もいます。
抽象的な仁を,抽象的な愛・真心・誠へと言い換えるのは,抽象から抽象への変換です。
これは,小学校の先生なら,ちょっとダメかもと思います。
とくに,小学校の算数の教えを身につけている先生には,イマイチとなります。
せめて,半具体レベルの置き換えをして欲しいと思うのですが,そういう置き換えは普通はしません。
でも,そう置き換えたくなる自分がいるので,それについては,後日,記しましょう。

★『日めくり教室論語』 良いですね。b8626_300
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