江部満さんと上野で一献傾けました。
算数指導として有名な水道方式。遠山啓先生の指導法です。
学生の頃,偶然読んで面白いと思い,何冊か遠山先生や銀林先生の本を読みました。算数研究会のようなものを発足して,半年ほど勉強をした覚えがあります。
わかりやすかったのが,私には有り難かったです。
その遠山先生の算数指導法に「水道方式」と名前をつけたのが,江部満さんなのです。
江部さんと話していると,戦後教育の表話裏話が続々と出てきます。あっと言う間に時間が経ちます。
道中,読んでいたのは『蘭学事始』。
神田神保町の古本市を楽しみながら散策していたときに,目にしました。
医学は自分の道とは違うので,どうしようかなと思いましたが,とても有名な本なので,中を開き滑り出しをちょっと読んでみました。
「今時,世間に蘭学といふこと専ら行われ,志を立つる人は篤く学び,無識なる者はみだりにこれを誇張す。」
この書き出しは,非常に良いです。
その道に入る人と,外から見る人の違いが簡潔に書かれています。
瞬間,宮本武蔵の『五輪書』に似た世界を感じ,買うことにしました。
『蘭学事始』には,『解体新書』をつくったいきさつが書いてあります。『解体新書』は漢文で書いてあるので,読もうにも読めません。何で漢文で書いたのだろうかと思っていましたが,その理由がこの本に載っていました。
なんと,中国の医師も読めるように,ということで,漢文で表したのです。
医学進歩,それが日本だけでなく,中国でも進むようにと願っていたのです。
杉田玄白先生の強い大きな志を感じました。
佐賀への道中,デカルトの『方法序説』を旅の友として鞄に入れました。
でも,早朝からの出立と,慣れない活動で疲れてしまい,帰りにちょっと読むのが精一杯でした。
この本は「我思う故に我あり」の一説が有名です。その箇所を読む時は,やっぱり歴史上の言葉を見るわけですから,ある種の感慨があります。
また,デカルトの視点には強い自信が裏打ちをしていると感じられてきて,それが,自分の進む方向などへ強く働きかけてくれます。
人体の説明に,自動機械という言葉をあてがっているのですが,その部分が,自分には違った世界へ誘う窓になっています。
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自動機械への関心のない大多数の人には,自動機械の未来は奇異に映るであろうが,自動機械に関わっている人には,その未来が現実になりうる手の届くところに来ていると感じられる。
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こういった自分の読みの世界に浸れるので,歴史上の偉人の本は良いなと思います。
何かしら,自分が開拓していく道を持っている先生には,偉人の本はお薦めです。自分の意志が強くなっていきます。
相変わらず,日本書紀を時々読み返しています。
誰も知らないかと思いますが,日本書紀には分数が使われています。
分数は,中国から伝わってきた,まさに舶来の学問なので,やっぱり,日本書紀を編纂するような偉い人は知っているんですね。
また,礼儀に関して,魏志倭人伝に出てくる日本人古来の習慣が,なかなか直らないので詔を出していたことが載っています。実に,感慨深い面白さがありました。これは,行儀作法にも通じてくる所です。武家にどうつながっていったのか,その概略の経緯もあれこれ本を読んでいるうにち分かるだろうと思っています。平安・鎌倉・室町の本を読み深めたいと思います。
このあたりのことは,群馬の羽鳥先生と情報交換をしたいと思っています。羽鳥先生は,小学校の先生の目から見た日本人研究を開始した先生で,個人的に赤丸急上昇です。
日本書紀は面白いです。
論語が好きなので,時々論語の本を読んでいます。
さすがに,2500年の歴史を経て,今日まで読み継がれているだけのことはあります。書かれている言葉が,体に心に響いてきます。重みがあります。
その論語の中から,学級づくりの役に立つ言葉を選んで「日めくり」にしたのが,『心に刻む日めくり言葉 子どものための教室論語』です。
これを教卓に置いて,新学期をスタートさせている先生方がいます。すごい!と感心させられています。
その先生方からのメールには・・・
あっと言う間に注目されました。
「先生俺休み時間に全部読んだよ!」と言った男の子もいました。
とありました。
教卓に置くだけで大注目となり,解説文まで読んでしまう子がでました。さすが,論語と思います。
2年生の教室でも,,子ども達に受け入れられています。
教卓において毎日唱和しています。
うっかり唱和を忘れると「今日はまだ論語を読んでないよ」と子どもたちに言われます。
朝の会で唱和している先生もおられます。
また,係活動の一環に組み込んでいる先生もいます。
係の子が、小黒板に毎朝写してくれ、毎時間の号令の際、全員で唱和します。
興味の湧いた子が、カレンダーの解説を読みに行きます。
小黒板に書き写して,みんなに見えるようにして・・・。これもなるほどと思います。それだけの事をするに値するのが論語なのだと,わかっている先生なのです。力量を感じます。
この『教室論語』は,「日めくり」の形になっているので,毎日のリズムになりやすいのだと思います。
論語の唱和が日課となって,1年間続けたら,孔子の価値ある言葉が子ども達の心に息づきますね。
子ども達同様,私までも良い影響を受けています。仕事部屋でいつでも目にふれているので,孔子の教えが私の心を涵養してくれています。ありがたいです。
論語も好きですが,『日本書紀』も好きで,時々読んでいます。人の名前が出てくるのですが,その数がおびただしく,その上,妙な感じの読み方をするので,何が何だか???という感じになります。
それでも,面白いので,時々読んでいます。
日本書紀は「和語」の宝庫です。
小学校で「漢語と和語」の学習をすると思いますが,この単元が「ちょっと好き!」という先生は,お時間のあるときに,『日本書紀』をちょこっと見ておくと良いです。いろいろな言葉が全部「和語」で出てきます。辞典には出てこないようなマイナーな言葉もあれば,今や意味不明な和語がざくざくと出てきます。
その一例をお話しします。
人の人数を数えると,普通,「一人(ひとり)」「二人(ふたり)」「三人(さんにん)」「四人(よにん)」・・・と数えます。
これが,奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史である『日本書紀』では,読み方が違うのです。
一人・・・ひとり
二人・・・ふたり
三人・・・みたり
四人・・・よたり
五人・・・いつたり
六人・・・むゆたり
七人・・・ななたり
八人・・・やたり
九人・・・ここのたり
十人・・・とたり
二十人・・・はたたり
三十人・・・みそたり
ここまでで,十分,満足できます。
気になることが,出てきます。
1つは,「一人」「二人」までは今も和語。でも,「三人」からは漢語の読み方になっています。いったい,なぜ,こんなところに分かれ目が出来たのでしょう。
2つめは,「ひとり」は,もともと「ひとたり」。「ふたり」は「ふたたり」だったのではないだろうか。
1と2には,ちょっとしたつながりがあるように思えています。
「一人」「二人」は,数えの始まりなので,頻繁に使います。それで,言葉が縮まったのではないかと考えています。
同様に,「ひとり」「ふたり」はあまりによく使われていたので,漢語にならなかったようにも思えます。また,昔は「三」に「たくさん」という意味を込めていました。「八」にたくさんの意味があるのと同様で,たくさんの始まりは「三」だったのです。それで,「たくさん」は学術的にしたくなって,漢語で「さんにん」「よにん」と呼ぶようになったのではないかとも考えています。
『日本書紀』は,こんな推理を楽しむことが出来ます。
※私が読んでいる日本書紀は岩波文庫です。全五巻。とっても面白いです!!
久しぶりに,発見をしました。
かの有名な最澄が分数での表現をしていたことを発見したのです。その使い方が,鴨長明とも世阿弥とも違い,私には「斬新!」という使い方でした。
発見した書は,『小学国史教師用書』(文部省)です。「教師用書」というのは,小学校の先生が授業を良い感じで進められるように作られた,授業専用の参考書です。
この本には,ひたすら国史が綴られています。一区切りが来ると,そこに文献が引用紹介されています。日本書紀も出てくれば,続日本書紀も, 日本後記も,栄華物語も・・・と,「こういう歴史書から本書を作りましたよ」とわかるように掲載されています。
その引用紹介の中に,最澄の著した「勧奨天台宗年分学生式」が載っていました。ここに分数が使われていたのです。
でも,その表現はパッと見ただけでは分数とは理解できません。たまたま,私の読んでいる古書の持ち主だった方が,添え書きとして分数であることがわかるように記してくれていたので,発見でき,「ああ,なるほど!」と思ったのです。
1日之中,二分内学,一分外学
この「二分」と「一分」が分数の意味なのです。一日の内の2/3は内学し,1/3は外学するという意味です。
分母を省略して分数を表しているととらえる事も出来ます。
分子に「分」をつけて用いているとも思えます。
でも,もっとも普通と思われるのは「2つ分」「1つ分」という感覚です。腹の内で1日を3つに分けておいて,文字としては「その中の2つ分」「1つ分」と表していたのだろうと思います。
この表現を用いた文章は,「勧奨天台宗年分学生式」の一部です。「勧奨天台宗年分学生式」というのは,「天台宗年分学生を勧奨する式」と読みます。最澄が学僧を養成するにあたり,12年間は修行しますよ,2人卒業したら2人新規に入れますよなど,学校の校則のようなことを記した書です。
もちろん,日記や物語とは違う,いわば説明文です。ですので,読み手によって最澄の意図が変わって認識されることなく,誰にとっても,同じように最澄の意図が伝わるように書いてある書なのです。ということは,当時の高僧の間では,上のような表現が分数の意味であることが常識としてあったのです。分数を日常的な表現として用いることは,高僧の世界では常識だったと考えられます。
こんな調子で,頭の中をあれこれ巡りました。私にはとても嬉しい大発見でした。