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尾木直樹さんが選びました!

尾木直樹さんが選びました。

「岩波ジュニア新書2011年夏のフェア」というのがあるようで,あの尾木ママが『行儀作法の教科書』を良い本として選んでくれました。
ありがたいことです。

「しつけ」
もう少し,なんとかしないと,まずいなと感じています。
戦後,公共マナーが高度に発展したのが日本です。でも,家庭のしつけは核家族・孤食が進み,どうもイマイチです。

そんなことを思っているのですが,最近,「日本人を教える」という教育を始めている先生が増えつつあるので,まずは良かったと思っています。

「日本人の作法」を考えるとき,どうしても知っておく必要があるのが,「作法教授要項」ですが,もう少し歴史的に把握するには,「礼記(らいき)」も目配りしておく必要があります。
このあたりの話を,友達の先生とする機会が増えそうです。時代はすこしずつ良い方向に進んでいます。

江戸時代の学びの風景

江戸時代の学びの風景です。
教えている先生は「手島先生」です。教えている内容は「行儀作法,一切の心得事」です。

先生は一段高いところにいます。正座して見台に書を載せ,それを読んでいるのだと思います。

子ども達は,左右に分かれています。先生の左手側に男子。右手側が女子。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」という,中国古典の『礼記(らいき)』の第12章「内則(だいそく)」に載っている言葉を思い出します。内則には「家庭内の礼儀作法」が記されています。この後に続く言葉は「食を共にせず」です。
礼儀作法を教えている教室ですので,古来の作法に則っています。

ですが,中央に線を引いているが何ともいえず,おかしいです。これは,座を分けるために引いたのです。「席を同じゅうせず」の「席」は,椅子ではなく敷物のことです。4人が座れるぐらいの敷物でした。同じ敷物に乗らないのが作法なので,線を引くことで別の座としたのです。座の「見える指導」ともとれますね。

子ども達,少々,よそ見をしていますが,この程度は普通だったようです。
控えの間に大人が2人います。たぶん,付き添いです。その控えの間にいる子ども達は入門前の子のようです。

この本,まだ,あまりよく読んでいません。さっき,ちょっと読んだら,案外良く読めていたので,時間を見て読んで見ようと思っています。書名は『主従心得草』の3編の上巻です。

読売新聞の「編集手帳」

  読売新聞の編集手帳です。
  6月12日の号で『明治人の作法』が扱われていました。読んでいただけて,ありがたいと思っています。

  この記事を書いた方が注目した「御分」ですが,今で言えば「貴方」に通じる言葉です。
  でも,「自分」「貴方」では,文字から強く伝わってくるものがありません。
  これが,「自分」「御分」と並ぶと,日本人の人間観が伝わってきます。
  自分に「分」があるように,人にも「分」があるという,感覚です。人を大切にする感覚です。
  この感覚,古事記や日本書紀,これらの書が出来る前に,日本を記した魏志倭人伝などからも感じ取れます。
  「御分」は,「古来からの日本人らしい感覚」を上手に表した語なのだと私は思っています。
  もちろん,「人様」という言葉が使われる現代にも通じています。

  この「御分」という言葉が使われていたのは,室町時代です。
  『三人懺悔冊子』や『太平記』で使われています。

  太平記は戦記物なので,やたらと戦っています。
  人を殺したり,腹を切ったり・・・と,当時の武士道が手に取るように分かります。武士道が好きな先生は,この本を読まれることをすすめます。かなりボリュームがありますが,面白いです。
  太平記は,随所に迫力があります。その中で驚いたのは,街道で向こうからやってくる敵の騎馬を迎え討つシーンです。
  馬の前足を斬り,返す刀で馬の首を斬り落とします。読んでいて,お見事!と思ってしまいました。でも,本当に斬れるのか,ちょっと半信半疑です。
  馬上の武者には斬りかかったと書いていないので,きっと落ちて大けがをして,恐れも成して逃げていくのだろうと思っています。

  戦いのおもしろさに加え,勉強になるのは,「恥の文化」「名誉の文化」です。
  末代までの恥とか,武門の誉れとか,そういう感覚が随所に出てきます。

  「敵」「戦」の存在が強いと,「恥の文化」が引きずられるように出てくるようです。
  「恥をかかないように」とか「みっともない」という感覚です。
  自分を見つめる思考です。自分がとっても大切なのです。
  
  逆に「和」の存在が強いと,「人様」という感覚が高まり出てくるように思えています。
  「ご迷惑をおかけしないように」とか「不快感を与えないように」という感覚です。
  自分より人を見つめる思考です。人があっての自分です。
  こちらが作法の世界です。

  作法を通じて,歴史を読むのは,なかなか面白いです。

  

読売新聞の「編集手帳」で

  友人の神藤先生からメールが届いていました。今朝の読売新聞の「編集手帳」で『明治人の作法』が扱われているとのことでした。
  http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110611-OYT1T00898.htm?from=navlc

  『明治人の作法』は,何をどうするというハウツー(術)で書いた本ではなく,今の作法の源が明治時代の小学校から始まっていたことなど,作法の「理」なども記した本なので,目先だけでなく歴史の流れで物事を考える方に向いた内容になっています。
  若い人はどうしても「術」を求めますが,その「術」には,「なぜ?」とか「根本」とか「そもそも」とか,そういう「理」がその中に同居しています。
  「術」を知ることは「理」を知ることにつながり,「理」を知ることで「術」が生きます。
  術を「体」と見れば,理は「心」です。
  行儀作法は動作・所作を学びつつ,心のあり方を学ぶ勉強です。
  
  算数ソフトの開発をしていますが,これも作法と考え方は同じです。やり方という「術」と,これはどういう事なのかという「理」を知ることで,なるほど!と思えてくるのです。

作法の本を書いています

  文春新書から出した『明治人の作法』。「何をどうする」というハウツーではなく,作法の考え方なども歴史的な所から書いてあるので,なかなか奥深い作法書となっています。
  この本,横浜市の教育委員会の目にとまったようで,『中学生のための礼儀・作法読本』(横浜市教育委員会事務局/ぎょうせい)の参考文献の欄に載っています。しっかりと役目を果たしているようで,とても嬉しく思っています。
  
  続いて,岩波ジュニア新書から『行儀作法の教科書』を出しました。
  この本はクイズ仕立てになっているので,かなり評判が良いです。そのためか,某出版社の方の目にとまりました。そうして,メールをいただき,目下,3冊目となる作法の本を書いています。

  昨日,その見本原稿を10ページ分ほど書いて送ったところ,とても面白いとのことで,最後までどんどん書いてほしいと連絡を受けました。
  
  こういう流れを振り返ると,やっぱり小さなテーマでもいいから,その道をとことん勉強することが大切なんだと感じます。
  最初は小さなテーマと思っていても,勉強を重ねる内に,どんどんその道の勉強したくなります。すると,その世界がなかなかどうして案外広い世界に見えてくるのです。知れば知るほど広く感じてきます。不思議な物です。そうやって,奥深く入り込んでいいくうちに,その道の専門家のようになっていきます。
  
  小さなテーマといえば,算数ソフトを使って授業をすることも,今はまだまだ小さなテーマです。でも,時代の流れる方向を考えると,いつまでも小さな道のままとはとても思えません。近い将来,それなりの道になるように感じています。時代の流れが急になれば,かなり大きな道になると思えています。
  その道がまだ小さい今の時代から,算数ソフトをどんどん活用する先生がいます。そういう先生と少しずつ友達になっています。その方面の本作りの時には,何人かの先生のお力をお借りしたいと思っています。そのときには,どうぞよろしくお願いします。

TBSラジオ ミミガク

日曜日に放送されました。
http://www.tbs.co.jp/radio/mimigaku/heya/20110213.html
写真も出ています。

『明治人の作法』もお読みいただけると,うれしいです。