Category Archives: 作法

習字の姿勢

  習字の姿勢です。
  この画像も,戦前の教師用指導書に載っている画像です。

  小学校の1年生の教室には,立ったときの姿勢と,座ったときの姿勢が掲げられています。これと同様に,戦前は習字の姿勢も教室に掲げられていました。また,学校によっては「習字室」があり,そこには掲げるよう指導が入っていました。

  そうして,習字の指導で先ずやるべきこととして,「先づ姿勢を整へて心を落着け」とあります。「静の教育」です。

  私が小学生の頃は,机とお腹の間に「ゲンコツが一つはいるように」と先生がお話くださっていました。足の裏は床につけることも教えられていました。背中には,背中と服の間に定規が入っているつもりで・・・とお話を受けたことも多々ありました。
  落ち着いていると,こういった子細の指導も浸透しやすくなります。

  さて,戦前は姿勢をどのようにしましょうと,指導していたのでしょうか。
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  両脚を稍(やや)開いて
    脚を平に床に着け,
       足先に心持力を入れるようにする。
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  腰はあまり深くかけない
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  上体は腰の上にしっかりと落ち着けて真直ぐにし,
  書く場合は
     体の重みを稍前方に掛ける
  この時下腹に心持力を入れ,
     左手の拇指(親指)は机の前縁
        他の四指は机の上で紙を押さえる
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  読んだだけでも,勉強になります。
  具体的な姿勢の指導が無いままに書かせると,子供たちは勝手気ままな雰囲気を出してきます。
  左手はこうですよ。足先に少し力を入れますよ。と,何をどうしていたらいいのかが毎度毎度話してあげることが大切です。駅や車内で,「構内は全面禁煙です」と毎度毎度放送してくれています。おかげで,次第にマナーを守る雰囲気が生まれ,身勝手が減っていきます。
  
  姿勢のあり方は,もう少し続きます。
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  腹部は机から少し離し,
    眼は紙面から約30糎(センチ)に保つ
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  私ももう少し姿勢をよくしたいと思います。

収録してきました/TBSラジオ

  赤坂のTBSラジオへ行ってきました。
  スタジオに案内されると,すぐに収録です。えのきどいちろうさんがナビゲーターをされていて,秋沢淳子アナが話を盛り上げてくれます。
  えのきどさんは,とにかく博識です。呼ばれた私の方が勉強になりました。
  収録は,とっても楽しかったです。話が脱線しても,奇っ怪なことを言っても,後できちんと編集をしてくれるというので,気持ちが楽でした。編集のプロの方がついていてくださることは,本当にありがたいことなのだと思いました。
  何はともあれ,最初から最後まで,実に楽しかったです。
  最後に記念撮影がありました。えのきどさんと秋沢アナがピースを出したので,ここではピースを出すのが作法と思い,久しぶりのピースをしました。
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     番組名:村田製作所 Presents ミミガク
     放送日時:毎週日曜 21:00~21:30(録音番組)
     ナビゲーター:えのきどいちろう(コラムニスト)
     アシスタント:秋沢淳子(TBSアナウンサー)
     内容:毎週、様々なジャンルの専門家をお迎えしてお話を伺う番組です。
         http://www.tbs.co.jp/radio/mimigaku/
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  この本がきっかけで,このようなすてきな収録を体験できました。
  デスクを見て驚いたことが一つ。私以外に3人の方が座っているのですが,その机の上には,みなさん『明治人の作法』が置いてありました。このような歓迎の仕方は,心にしみます。ありがとうございました。

ご機嫌よう

  テレビのCSチャンネルが好きで,よく見ています。
  古い時代劇は,所々,なるほど!と勉強になります。
  今日は,戦前の忠臣蔵のお仕舞いの方を少し見ました。1938年(昭和13年),板東妻三郎が主演の映画です。

  瑤泉院を訪ねた大石内蔵助が帰り際,「戸田殿 ご機嫌よう」と言うと,戸田は「御道中 後大切に」と挨拶を返します。こういうところ,いいです。

  別れ際の挨拶言葉,「さようなら」。漢字で書くと「左様なら」なります。“それならば”という意味です。
  「おいとまいたしましょう」とか「ご機嫌よろしゅう」などと言われたときの,返す言葉として,「左様なら」と使います。
  それが,今は「さようなら」が別れの挨拶語として記号化しているので,「先生さようなら」「皆さんさようなら」とかわいらしく用いられています。
  もし,昔ながらの意味に合わせたら,日直が「起立」と言って,みんなが立った時に,先生が「帰りましょう」と一言発声し,子ども達はそれを受けて「先生,左様なら」となるのでしょうか。歴史に「もし」は無いので,こういうことを考えても致し方ありませんが・・・。
   現代の時代劇は,今という時代に合わせて言葉を使っているので,見ていると武士の世界もかなり平等化が進んでいることを感じます。そういう感じ方ができるので,昔の映画は面白いです。
  
  昔の時代劇などのポスターを見ると,武士の頭の剃っているところ(月代:さかやき)が,青くなっています。これは,青黛(せいたい)という油を塗っていたのです。通の人が塗っていたそうです。まあ,武士のおしゃれの一つです。お歯黒も現代の時代劇では消えましたが,青黛も消えています。曲げも長くなって,時代にあった格好良さが表現されています。
  
  

清少納言もわがままな子は嫌い

  花巻での講演に向かう新幹線の中では,『枕草子』を読みました。この年になって『枕草子』ですから,かなりの読書音痴と言えます。まあ,それでも,読みたいという衝動が走るので,隣近所を気にせず,黙々と読み始めました。
  ちょうど半分ぐらいまでは読み終えていましたので,新幹線の中は後半からのスタートです。
  そうして,読み進めていたら,なんと,我が儘な子が登場してきました。
  物を取り,散らかし,壊す子です。そんな子に「だめでしょ!」と制しても,そこにお母さんがやってきたもんだから,「あれみたい!ねえ,母ちゃん!」と我が儘を言うのです。そうして子どもが騒げば,親も親で「そんなことしちゃいけません」「壊しちゃいけませんよ」と言いつつも,なんと笑みを浮かべています。
  平安時代にも我が儘な子はいたのです。ということは,いつの時代にもいるということです。それをいつの時代も周囲の人がダメと思うのです。
  さすがの清少納言も切れたようで,「にくけれ」と子にも親にも言っています。

  この下り,152段です。本棚の奥に眠っている枕草子がありましたら,152段を再読されてみてください。清少納言が「先生,がんばれ!」と時空を超えて応援してくれているような気持ちになってきます。

お茶碗の持ち方

  花巻での作法の講演で「お茶碗の持ち方」について,画面を出したところで算数に移らねばならず,中途半端に終わってしまいました。

  お茶碗はどう持つとよいのかについては,書店に並んでいるマナー本などにも正しく掲載されています。

  一般的な正しい持ち方の代表は,図のように4指でお茶碗の下の部分(この部分を「糸底」といいます)を,親指で上端を支える持ち方です。これ以外にも,良い持ち方とされている方法が2つあり,たいていのマナー本に紹介されています。私の書いた『明治人の作法』にも紹介しています。参考にしてください。

  逆に,悪い持ち方として,掌にお茶碗をのせる食べ方が紹介されています。昔から,掌に乗せる食べ方は,悪い食べ方として扱われています。
  でも,どうして悪いのかについては,あまりふれている本はありません。日常作法の研究は実践性を求められるため,今現代の作法にどうしても注目がいってしまい,歴史的に研究することがあまりなされてこなかったからです。

  手の仕組みを理解しておくと,お茶碗の持ち方の理由がわかります。手の仕組みといっても,「作法における仕組み」です。
  日常作法では,基本的に手を次のように考えます。
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    指は物をつかむところ。
    掌は物を乗せるところ。
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  お茶碗は持つ物です。ですから,指で支えるようにして持つのが作法となります。持ち方の基本は,「4指+親指」です。4指の基本は「そろえる」です。
  掌は,お菓子を食べるときにちょっと乗せることがあるように,「台」や「敷物」の代用として使われるところなのです。台ですから,そこにお茶碗をおくと言うことは,台の上にお茶碗を置いたまま食べることになり,これは「犬食い」と呼ばれる食べ方に通じ,卑しまれるのです。
  同様に,糸底には全くふれず,茶碗の縁を人差し指で引っかけて食べる方法もあります。これも,卑しい持ち方とされています。引っかけるのは,猫がお皿などを引っかけてとろうとするのに通じ,「猫がけ」とも言える食べ方です。
  もちろん,このような手の仕組みは,軽い小さな物の場合です。ですので,軽い小さな物を持つときに「手の仕組み」が顔を出してくると心得るとよいでしょう。
  
    (甲の画像は,古書『日常礼法の心得』(徳川義親)より)
    

手の挙げ方

  先生に問われて,自分の意見を言うとき,小学校では手をまっすぐに上方に向かって挙げるのが一般的です。肘を伸ばし,指先も伸ばし,ピンと張って堂々と手を挙げてこそ,「さすが,日本の小学生」となります。「天井に突き刺さるように!」と気合いを入れて手を挙げるように促すことも,教室での大切な指導となっています。
  このような手の挙げ方は現代だけの独特の姿ではなく,戦前の小学生も同様にしていました。

  しかしながら,戦前の女学校では,肘を曲げて手を挙げるように教わっていました。
  この手の挙げ方をみていると,どことなく慎みが感じ取れてきます。自分に考えや答えがあっても,「私をさして!」「私に注目して!」といった,「我先に感」がありません。慎み深く,僭越ですが・・・という雰囲気です。
  明治時代より一つさかのぼった江戸時代には,殿様の前で自分から意見を言うことは基本的には許されていませんでした。殿様からの指名を受けて,初めて自分の意見を言うのが礼儀作法だったのです。どうしても,自分の意見を言うときには,体をグッと小さくして「お恐れながら・・・」と,申し出るのが一般的でした。
  こういった歴史が日本にはあるので,大人になると会議の場では小学生のような手の挙げ方をあまりしません。若いとき,職員会議で「ハイ!」とすっくと手を挙げたら,大先輩の先生方から苦笑がでました。「元気があってよろしい」というようなお言葉をいただきましたが,思い返すに,少々恥ずかしいことだったのです。

  この女学生さん,手の先を頭の頂より下にしています。なんとも上品です。
  頭を越えて手を挙げると,自分の姿が他の方々より大きくなってしまいます。「先生に見えるのでしたら,頭を越えない範囲で手を挙げることが,日本的な手の挙げ方ですよ」とこの女学生さんが教えてくれているようです。(画像は古書『作法要項筆記帳』より)

(この後,「指名を受けたとき」に続きます。これは,後日,書きます)