Monthly Archives: 2月 2016

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日本教育新聞に『対話の害』

嬉しいことがあれこれ続いています。
日本教育新聞の書評欄に,『対話の害』が掲載されていました!!

タイトルは,「反射的発言求める風潮に警鐘」です。

筆者は庭野三省氏(新潟県十日町市教育委員会教育委員)です。

2月15日号ですので,学校に行くとあると思います。
ぜひ,お読みいただけたらと願っています。
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『対話の害』宇佐美寛・池田久美子著
宇佐美先生は,私の道徳の考えに強い影響を与えて下さっています。
この本にも,うなりました。
具体的に,具体的に考えていくと,どうにも妙なことが見えてきます。
力をつける重要な要素がここに記されていると,私は思っています。
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腸チフスの予防接種

b7798算数ソフト『子どもが夢中で手を挙げる算数の授業』を軸に,海外の教育を支援していく活動を少しずつですが,進めています。
その一環で,今日は国立国際医療研究センターへ予防接種を受けに行きました。

予定では,「A型肝炎の2回目」と「破傷風の3回目」でした。
ですが,3月にケニヤの他にもう1か国行く可能性が高まったので,その旨を問診の先生に話しました。
すると,「腸チフスもやっておきましょう。腸チフスは食べ物から感染します」と言われました。
「あの~,私が行くのは都市部だけなのですが・・」と言ったのですが,「都市部でも感染します」とはっきり言われました。
「都会のレストランやホテルに出てくる食事の中に,腸チフス菌が入っていることがある」ということなのでしょうか。さすがに,ちょっとぞっとしました。

ということで,左肩に2本,右肩に1本,予防接種をいただきました。
今の注射は痛くなので,ありがたいです。
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「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。
島原先生や高本先生が海外教育活動に関心を持っていることがわかりました。
妙に嬉しいものを感じます。
いつか,海外の話を語り合いたいと思います。
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「道徳の徳って何か」と問われたら

b7802「道徳って,なんですか」と問われたら,「それは,徳のある道のことですよ」と答えると,わかりやすいです。

「道」ですから,向かう方向があります。
「道」ですから,それなりに幅があります。

この道があまりに遠いと,歩む気持ちが萎えてしまいます。
この道があまりに狭いと,道をそれてしまいます。

道徳はとても大切な内容です。
ですので,元来,誰しもが歩めるようになっているので,まずは厳しいとは縁がない道と考えられます。
少しずつ歩んでみるとわかるのですが,かなり愉しい道なのです。

ところで,「道徳」の「徳」です。
「道徳」の「徳」って,いったい何のことなのでしょうね。
今日は,その話をしましょう。

徳を考える前に,「聖」を考えましょう。
「聖」は「耳」に重きを置いた漢字です。
何かが聴こえる耳の持ち主,それが「聖(ひじり)」なのです。
何が聞こえるのかというと,昔から決まっています。
「天の声」です。
天の声が聞こえるような偉い人のことを聖人と呼んでいます。
よく知られている聖人といえば,孔子,釈迦,キリストがいますね。

聖人には天の声が聞こえるのですが,残念ながら私たちには聖のようには聴こえません。
すぐに,雑念に心が奪われ,時には天に背いてしまうようなことすらあります。
そんな普通の人ですが,せめてもの思いとして,時々ですが,聖のような目で人々を見るようにしています。
それ次第に板に付いてくるように歩んでしまうので,道徳は道として存在しているのです。
この人々を「聖がごときの目で見る」ときのその心が「徳」なのです。

「徳」のある職業があります。
その代表格は小学校の先生です。
朝から夕方まで同じ子ども達を差別無く見守り,導きます。これこそが徳のある姿です。
家に帰っても子ども達のことをあれこれ思い案じます。まさに徳のある姿です。
学校の先生に多くの方々の期待がかかるのは,人の上に立ち導く徳のある心が必須の職業だからです。

小学校の先生に限らず,大人になり年齢を重ねると,遅かれ早かれ何らかの形で人の上に立つ立場になります。人生のバトンタッチに,「年の功」が必要だからです。
上の人が徳の道を歩めば,付いていく子(人)も,自然と人の上に立てるだけの徳を習得します。
徳の心を一層自覚的にすることです。
それが聖に近づこうと徳のある道を歩む「道徳」なのです。
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ところで,聖人。
日本にもいます。聖徳太子です。
「道徳の徳の図」をよくご覧下さい。
聖徳の流れで子(人)を見ていることがわかります。
また,「太」には,「水の上に、人を両手でおしあげている形で、人を水没から救い、安泰にする意」(字通)という意味があります。
「水没」,つまり,遅れたり,道を外れたりしている子(人)のことです。
見捨てずに救い出そうとする行為が「太子」なのです。
道徳の徳とは,別名「聖徳太子」なのだととらえておけば,かなり良い把握ができます。

さあ,両手を広げてみましょう。天の声が聞こえるように。
さあ,両手を上に押し上げてみましょう。水没した子を救うように。
落ちそうになっている子どもや仲間を,
ひねくれてしまいそうな子どもや仲間を,
救えそうな気持ちになってきます。
聖徳の心で「徳のある道」を歩めるようにしていきましょう。
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「徳は孤ならず。必ず隣あり」(論語里仁第四)
この言葉を思い返すたびに,今からでも徳のある道を歩もうと自分に語りかけてしまいます。
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三宅貴久子先生といつかは

b7805大阪で関大初等部の6年生がブース展開をした「ワン・ワールド・フェスティバル」で三宅貴久子先生と一緒に撮影しました。

この日は,公開研究会の翌日で「日曜日」です。
普通なら,家でホッと一息つくところです。
授業や協議会などの疲れを取りたいところです。

そんな雰囲気を微塵も見せず,三宅先生は朝から終了まで,きわめて元気に,ずっと会場に張り付いていました。
この熱さ,この教師魂,敬服します。

三宅先生とは海外で一緒に活動する日がやってくるだろうなと思っています。
どんな活動になるのかは全くわかりませんが,その日が楽しみです。

b7841この写真を見て,初等部6年生の活躍を思い出していたら,アマゾンから予約していた『ナマステ!会いたい友だちと--友情は国境を越える』が届きました。

この本の表紙カバー。
表紙をめくって内側に折れている所に,グッと来ることが書かれています。
※本書の売上げによる収益金は,ニランジャナスクールの学習環境改善のために使われます。
これがあったので,アマゾンでも予約し,会場でも購入しました。
購入することで,6年生や三宅先生の取り組みに,ほんの少しですが私も参加した気持ちになりました。
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石井敦先生の特別授業

b7807千葉県の小学校で特別支援級の担任をされている石井敦先生から,メッセージが届きました。
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今日、5年生に、ソフト④多角形の内角の和を使って特別授業をさせてもらいました。
子どもの感想より、「全て面白い」「音が面白い」と好評でした。
カマキリのは大爆笑でした。
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特別授業ですから,何かしらの目的を持って,授業を託されたのだと思います。
そういう立ち位置にいる石井先生,信頼の高さを感じます。

「授業の要件とは何か」と問われたら,私は「楽しさ」と「納得感」と答えます。
楽しいと頭が解放され,しかも強い集中が生まれます。結果,どんどん吸収するようになります。
そこに,納得感が次々出てきたら,吸収力はさらに高まり,結果,自分で考える土台ができてきます。

「楽しくて納得,納得してまた楽しく。」
こういう授業,こういう雰囲気,これはまさに『論語』の学而第一にあるあの有名な一節と似ています。

学びて時に之を習う。亦た説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)有り、遠方より来たる。亦(ま)た楽しからずや。

ときどきの復習は,納得感を生み出します。
学友が尋ねてきたら,楽しさが増します。
2500年もの昔から,学びの基本構造は変わっていなように思えています。

ありがたいことに,石井先生から追加のメッセージもいただきました。
「正多角形の数が大きいほど、円に似てくると言うことがわかったことが子どもの収穫になった」
これこそ,「納得感」です。
しかも,微積の素地となっているので,高等数学へと論理がつながっています。
良いタイミングで子ども達に見せたのでしょうね。
私も授業を見たかったですね。

良い友だちを持って,私は幸せ者です。
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「道徳って何?」と問われたら

b7810「道徳って,何ですか」と問われたら,皆さんはどうお答えになるでしょうか。
今日は,そんな話です。

「道徳」ですから,「人格形成」だろうと思えます。
「道徳」だから,「隣人愛」だろうとも思えてきます。
「道徳」なんだから,「聖人への道」のはずだとも思えてきます。

「道徳」という言葉は抽象的な言葉なので,その時その時で解が変わりやすくなります。
変わりやすいままでも良いのですが,できればぶれない解をもてるようにしたいです。
「道徳」に対する考え方に一貫性が出てくるからです。

それには,どうしたらいいでしょうか。
私は漢字から考えるのがベターと思っています。
なぜなら,戦後,道徳が生まれたとき,「修身」とはせず,「道徳」としたのです。
どういう意味を込めてこの熟語を用いたのか,その誕生時の考え方に近づけるような気がするからです。

私の場合は,独善的ですが,単純に「徳のある道」と読み替えています。
少々の解説的には,「普通の生き方ではなく,心に徳のある状態で歩む生き方」と捉えることができます。

すると,道徳を考えるのがそれほど難しくなくなります。
それは,「徳があるか,徳がないか」そこを軸に考えればいいからです。

では,その「徳」とはどういう心の状態を言うのでしょうか。
それについては,またの機会に書きたいと思います。
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こういう道徳話に耳を傾けてくれる先生がいます。
ありがたいです。
「徳は孤ならず。必ず隣あり」(論語里仁第四)とフッと思います。

『心に刻む日めくり言葉 子どものための教室論語』
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