Monthly Archives: 4月 2011

You are browsing the site archives by month.

人の数え方,「ひとり」「ふたり」の次は?/日本書紀より

  論語も好きですが,『日本書紀』も好きで,時々読んでいます。人の名前が出てくるのですが,その数がおびただしく,その上,妙な感じの読み方をするので,何が何だか???という感じになります。
  それでも,面白いので,時々読んでいます。

  日本書紀は「和語」の宝庫です。
  小学校で「漢語と和語」の学習をすると思いますが,この単元が「ちょっと好き!」という先生は,お時間のあるときに,『日本書紀』をちょこっと見ておくと良いです。いろいろな言葉が全部「和語」で出てきます。辞典には出てこないようなマイナーな言葉もあれば,今や意味不明な和語がざくざくと出てきます。

  その一例をお話しします。

  人の人数を数えると,普通,「一人(ひとり)」「二人(ふたり)」「三人(さんにん)」「四人(よにん)」・・・と数えます。
  これが,奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史である『日本書紀』では,読み方が違うのです。

  一人・・・ひとり
  二人・・・ふたり
  三人・・・みたり
  四人・・・よたり
  五人・・・いつたり
  六人・・・むゆたり
  七人・・・ななたり
  八人・・・やたり
  九人・・・ここのたり
  十人・・・とたり
 二十人・・・はたたり
 三十人・・・みそたり

  ここまでで,十分,満足できます。

  気になることが,出てきます。
  1つは,「一人」「二人」までは今も和語。でも,「三人」からは漢語の読み方になっています。いったい,なぜ,こんなところに分かれ目が出来たのでしょう。
  2つめは,「ひとり」は,もともと「ひとたり」。「ふたり」は「ふたたり」だったのではないだろうか。
  
  1と2には,ちょっとしたつながりがあるように思えています。
  「一人」「二人」は,数えの始まりなので,頻繁に使います。それで,言葉が縮まったのではないかと考えています。
  同様に,「ひとり」「ふたり」はあまりによく使われていたので,漢語にならなかったようにも思えます。また,昔は「三」に「たくさん」という意味を込めていました。「八」にたくさんの意味があるのと同様で,たくさんの始まりは「三」だったのです。それで,「たくさん」は学術的にしたくなって,漢語で「さんにん」「よにん」と呼ぶようになったのではないかとも考えています。

  『日本書紀』は,こんな推理を楽しむことが出来ます。
  ※私が読んでいる日本書紀は岩波文庫です。全五巻。とっても面白いです!!

5年生の算数ソフト/体積の2本目

  5年生の体積ソフトの2つめです。

  昨日ご紹介したのは,「積み木の数」つまり「1cm3の立方体」という単位量でいくつ分になるか,という基本中の基本の考え方の学習に向けたソフトです。

  今日のは,そこから一歩前進して,「計算で体積を求める」には,どうしたらいいのかを考えるソフトです。
  とはいっても,すでに,面積の求め方を知っている子達です。あまり難しく考えずに,底面が「縦×横」になっていて,それに「高さ」を掛ければOKとなっていきます。
  立体ですから,向きを変えれば,違う順番になることもあります。いずれにせよ,一般には,「縦×横×高さ」になっているので,そこに落ち着けます。

  このソフトは頂点にある青い丸をドラッグすると,寸法を変えることが出来ます。画期的なのは,式を見ながら立体の大きさを変えると,式も一緒になって変化することです。
  この「図と式の連動」を見せられるかどうかが,算数の決まりを見いだしていく分かれ目です。学習に遅れがちな子も,図と式の連動を見ることで,「なるほど,そういうことか」と,わかった瞬間がやってきます。しかも,自分で決まりを見いだすのですから,嬉しいです。

  さらに,おまけとして,本当に表示されている数値をそのままかけ算しても大丈夫なのかどうかの確認として,桜スライダーをつけました。
  桜スライダーを下に下げると,積み木が見えるようになっています。「cm」と「個数」が一致しているので,確かに長さのまま掛けても大丈夫なんだと,わかります。
  でも,本当は,昨日紹介したソフトを見ていたら,枠だけの直方体を見て,その中に積み木を感じとってほしいのです。「積み木が入っているんだから!」ととらえてくる子が出てきてから,「さすがです!」と桜スライダーを下げてもらえたら,嬉しいです。これは,私の単なる希望です。授業で子ども達が体積のカラクリ(中は単位体積・単位立体の詰め合わせになっている)ことが体にしみこんでくれたら,それで十分OKです。

  このソフトも,明日(20日)には,もっと算数サイトにアップする予定です。
  

5年の算数ソフト/体積

  5年で「立体の体積」を学びます。その基本中の基本の所のソフトを作りました。

  1cm3の立方体(積み木)を積み重ねたら,積み木の数はいくつになっているかを考えるソフトです。
  
  「縦・横・高さ」の大きさを変えられるように,それぞれに対応したスライダーを作りました。
  スライダーを動かすと,1cm3の数が変わります。それを見ているだけでも,かなり,楽しいです。

  最大の工夫点は,積み重なっている立方体の手前左端の積み木を上にドラッグできるようにしたことです。これにより,重なっている部分の中を見ることが出来るので,どの段も同じ数の積み木で出来ていることがわかります。

  スライダーは,手前左下が原点になるように作ってあります。
  座標の概念の素地がつくようにと願って,作り込んでいます。
 
  明日には「もっと!算数」サイトにアップします。
  5年生の先生,アップされたら,是非ご活用ください。
  なかなか,良い作りをしていますよ!!
  

メールマガジンに

  先生方向けのメールマガジンに原稿を少し書いています。
  関心のある先生は,下記から登録をどうぞ。どちらも,無料です。

    kyositu.comニュース    http://www.mag2.com/m/0000025756.html
           教材・授業開発研究所ニュース  http://www.mag2.com/m/0000196253.html

  「教材・授業開発研究所ニュース」の最新号は,今日出ました。私は原稿は,本日の号から5回連載されます。テーマは,「100点が続出! 算数教育」です。
  このブログにも書いていますが,算数ソフトを使う事で,驚くような成果が出ています。ソフト開発を進めてきて,本当に良かったと思っています。
  
  高崎に行ったとき,若い菅原先生と話が出来ました。算数ソフトを使った授業のことを伺いました。画面の右上に「1」「2」「3」と類似問題が出ていて,それがステップアップの苦手な子を救っているとのことでした。類題なので,すごくわかりやすいのです。そうして,算数が大好きになっていくと言っていました。
  さらに,菅原先生は算数ソフトを使って気がついたことがあると,話してくれました。
  それは,「できる子は,1回でわかる」「できない子でも,3回4回でわかる」ということです。理解に法則があると気づいたのです。
  特に重要なのは,クリック一つで瞬時に次の問題を出せる事だとも言っていました。

  こういう気づきは他の学習でも応用できます。また,どこかでお会いしたときに,お話の続きを伺いたいと思っています。

-----
  茶話会,4月24日(日)の午後2時から。さつきが丘のジョナサンです。城ヶ崎滋雄先生,佐々木智光先生と語らいます。
------
  

最澄も分数を使っていた

  久しぶりに,発見をしました。
  かの有名な最澄が分数での表現をしていたことを発見したのです。その使い方が,鴨長明とも世阿弥とも違い,私には「斬新!」という使い方でした。
  
  発見した書は,『小学国史教師用書』(文部省)です。「教師用書」というのは,小学校の先生が授業を良い感じで進められるように作られた,授業専用の参考書です。
  この本には,ひたすら国史が綴られています。一区切りが来ると,そこに文献が引用紹介されています。日本書紀も出てくれば,続日本書紀も, 日本後記も,栄華物語も・・・と,「こういう歴史書から本書を作りましたよ」とわかるように掲載されています。
  その引用紹介の中に,最澄の著した「勧奨天台宗年分学生式」が載っていました。ここに分数が使われていたのです。
  でも,その表現はパッと見ただけでは分数とは理解できません。たまたま,私の読んでいる古書の持ち主だった方が,添え書きとして分数であることがわかるように記してくれていたので,発見でき,「ああ,なるほど!」と思ったのです。
  
  1日之中,二分内学,一分外学

  この「二分」と「一分」が分数の意味なのです。一日の内の2/3は内学し,1/3は外学するという意味です。

  分母を省略して分数を表しているととらえる事も出来ます。
  分子に「分」をつけて用いているとも思えます。

  でも,もっとも普通と思われるのは「2つ分」「1つ分」という感覚です。腹の内で1日を3つに分けておいて,文字としては「その中の2つ分」「1つ分」と表していたのだろうと思います。
  
  この表現を用いた文章は,「勧奨天台宗年分学生式」の一部です。「勧奨天台宗年分学生式」というのは,「天台宗年分学生を勧奨する式」と読みます。最澄が学僧を養成するにあたり,12年間は修行しますよ,2人卒業したら2人新規に入れますよなど,学校の校則のようなことを記した書です。
  もちろん,日記や物語とは違う,いわば説明文です。ですので,読み手によって最澄の意図が変わって認識されることなく,誰にとっても,同じように最澄の意図が伝わるように書いてある書なのです。ということは,当時の高僧の間では,上のような表現が分数の意味であることが常識としてあったのです。分数を日常的な表現として用いることは,高僧の世界では常識だったと考えられます。
  
  こんな調子で,頭の中をあれこれ巡りました。私にはとても嬉しい大発見でした。

  

千葉大学で大田先生と

  千葉大学の理学部4号館へ。その建物がどこにあるのか,よくわからず,「30年ぶりの理学部」を感じてきました。
  研究室で,大田邦郎先生と2時間も楽しく算数話をしました。
  研究室は算数・数学の本だらけです。棚の上には教科書もそろっています。資料の多さに,やっぱり大学はすごいところだと痛感しました。
  大田先生はいろいろと資料を用意してくださり,私にもわかるような話をたくさんしてくれました。そうして,ありがたいなと思ったのは,今の教科書の内容について,「数学的に問題点がある」という指摘を次々と聞かせてくれたことです。教科書の内容をどう教えるかに終始していたので,こういう気がつきにくい所の指摘は,なるほどと感心させられました。
  算数は新しい時代を迎えつつあります。大学の先生の英知にも学びつつ,前進していきたいと思います。

  研究室のお迎いの部屋が,なんと道徳の上杉先生の研究室でした。ご挨拶をしたのですが,授業中で留守でした。