Monthly Archives: 7月 2017

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流し素麺野口塾。楽しいですね

流し素麺野口塾。
30人ほどの先生方と楽しく過ごしました。

実践発表あり、
句会あり、
流し素麺あり、
散策あり、
宴会あり。

「これでもか!」という楽しさの連続でした。
何より、ゆったりと流れる時間に興じられ、ありがたく思いました。

中嶋先生から、生徒指導について、あれこれ教えてもらいました。
さすが、専門家ですね。的確に話してくれ、大いに勉強になりました。

「道徳読み」の実践を重ねている広山先生、瀧澤先生、丸岡先生が揃い踏みでした。
それぞれに話を聞いてみましたが、実に良いですね。
広山先生からは、パート1の後、パート4に進める実践の話を聞き、道が拓けた思いがしました。
瀧澤先生は、文科省の示す指導法にかなった実践ができることを聞きました。ありがたい成果です。
丸岡先生はその指導法の中の最も分かりにくい所に、難なく取り組めていることを聞きました。これにも驚きました。

流し素麺野口塾は、来週も開催されます。
すでに、満席ですので、また、30名前後の先生方と楽しく過ごせます。
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瀧澤真先生の「道徳読み」レポートがナイス

SG会に参加しました。
いつもながら、大量のレポートが出て、一つ一つに明石先生の的確な指摘があり、とても勉強になりました。
8月は例会がありませんが、9月は16日に開催します。しっかり、参加したいと思っています。

今回のレポートの中に、「道徳読み」がありました。瀧澤真先生のレポートです。
目を引いたのは、「道徳読み」と国語での読みとの比較が示されていた所です。
「道徳読み」の5つのパートと国語を比較してくれました。
これはとても分かりやすく、なるほどと思った次第です。

また、「道徳読み」のアレンジも記されていました。
これもありがたいことです。
「道徳読み」が次第に良い流れになっていると感じています。
うれしいですね。

明日は野口家での流し素麺塾です。
瀧澤先生も参加します。
少し、「道徳読み」について語らいたいと思っています。

熊谷先生からも『日めくり 教室論語』ニュースを受けました。
これも良い内容です。来週中に詳しく書きたいと思います。
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中嶋郁雄先生に教わった「生徒指導提要」

大阪の野口塾で、中嶋郁雄先生が生徒指導の話をしてくれました。
勉強していることが伝わってくる良い話しでした。

その中に文部科学省の「生徒指導提要」からの話がありました。
それがちょっと気になり、「生徒指導提要」の中の気になったところを読んでみました。
道徳との絡みの所です。

すると、いじめの所に「仲裁者」と出てきました。
いじめには仲裁者が大事なのです。

昔の話ですが、私が学生だった頃、「生徒指導」という言葉への記憶があまりありません。
その頃、元気に飛び交っていたのは、「週番」とか「風紀委員」という言葉です。
「週番」や「風紀委員」はそれなりに偉い立場で、「准先生」という感じです。
廊下歩行の注意からはじまり、けんかの仲裁、低学年の面倒見、今週の目標を守らせるなど、自分なりに「しっかりしなきゃ」という思いで活動をしていました。
思い出しただけで、懐かしさを感じます。

「仲裁者」が、もし、機能として組織化されていったら、もしかしたら、今風週番や、今様風紀委員になのかも知れない、とふと思いました。
もし今風週番ができたら、それは昔の週番より、もうちょっとセンスの良い形になるでしょうね。

日曜日の野口塾(流し素麺)に、中嶋郁雄先生も参加します。
生徒指導について、少し教えてもらいたいところがあったので、つい、週番系の話を書きました。
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「忠告」の「告」のナイスな読み

16日(日)に開催される流し素麺野口塾in野口家。
いよいよ、今度の日曜日です。
23日(日)の流し素麺野口塾は、すでに満席ですが、16日の部はまだ少しだけ残席があるようです。
今からでも参加してみたい!と思われる先生、<こちら(山中伸之先生のブログ)>を御覧下さい。

野口先生の御自宅の敷地(かなり広い)を散策するのも楽しいです。
また、野口先生の書斎(と言っても、一軒家)を見学するのも楽しいです。
名人の進行形の仕事場を見学できます。
妙に胸打つものがあります。

今日もちょっと『論語』を再読していました。
「告」という漢字について、「しかと伝える」と出ていて、ちょっと響きました。
単に「つげる」のではなく、「確かに伝える」ということなのです。
すると、忠告は心を込めてやんわりと言いつつも、きちんと伝えるべきを伝えると言うことになります。
こういう解釈ができることがうれしいことです。

忠告のできる人が、「助ける友達」なのです。
「助ける友達」には2タイプあります。
1,困っている時、手を貸す。
2,悪い方に歩んでいる時、忠告する。
そうして、親しんでいる間柄が本当の善良な友達ということなのです。

やっぱり、論語は良いですね。
『日めくり 教室論語』もありがたいです!
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6年前の『現代教育科学』貝塚茂樹氏の論文、光っていました

2011年の『現代教育科学』4月号。
特集テーマが「「道徳教育」で伝えたいことは何か」。

あまりの暑さでちょっと休憩していた時、ふと、背表紙のこの文字が目に入り、サラッと読んでみました。
巻頭の梶田叡一氏と貝塚茂樹氏の論文、光っていますね。勉強量が違うということが、すぐに伝わってきます。

貝塚先生の論文タイトルは「修身科はいまだに精算されていない」です。
そこに、柔道の嘉納治五郎の考えが記されていました。
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嘉納によれば、そもそも道徳教育には、「邪悪正邪を明らかにする」智的な側面と、それを基盤とする意志の鍛錬と習慣の形成の側面が重要である(p25)
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読んですぐに、「これは道徳読みの解説か?」とも思いました。

「道徳読み」のパート2は、明らかに「正邪を明らかにする」活動です。しかも、言われてするのではなく、子供達が自分で見つけてくるのです。

「道徳読み」のパート5が目指しているのが、「意志の鍛錬と習慣の形成」です。自分自身に省みることで、人の意志は強くなるからです。

智的な側面」というのは「道徳読み」の「学問道徳」です。これを積むことで人の図に示した第二の天性(習い性)が「習慣の形成」となります。

貝塚氏は論の最後を次のように締めくくっています。
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修身科が問題点を抱えていたということと、修身科を感情的に否定するということは、そもそも次元が違う問題である。大切なことは修身科の功罪を検討することで新たな道徳教育の可能性を探ることである。その際、こうした修身科に対する批判のいずれもが、徳目を「教える」という道徳教育の本質的な役割を否定したものではないことは決して看過すべきはない。(p25)
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上から押しつける形で授業をしたら、道徳ほどやる気を失う勉強はないでしょうね。「心は自分から」というのが基本だからです。そこを押しつけてしまったら、うまく行くものもダメになっていきます。
それが戦前の修身の授業スタイルだったのです。

こういう事が分かると、指導法と徳目とを別物として考え進める必要がある事が分かります。まあ、そんなことはイロハなのですが、どうも戦前のことになると理屈抜きで全部ダメという考え方があります。頑固にはなりたくないものです。
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群馬の藤井先生から「道徳読み」授業の板書写真が

先日、群馬の藤井先生から、「道徳読みで授業をしました」と、板書の写真が届きました。
どうにも、これまでの道徳より、楽しい道徳の授業ができたようです。

・道徳の授業が楽しみになる。
・道徳の授業楽しい。

どちらも、とても大切なことです。
道徳の授業がどんよりしていたら、それって、道徳といえるのかどうか、私は怪しさを感じます。
なぜなら、道徳は道を照らす勉強だからです。
お天道様の下を大手を振って歩ける生き方を教える勉強だからです。
要するに、明るい方向へ向かう勉強なのです。

藤井先生に「道徳読み」を伝えたのは、このブログに最近登場いただいている熊谷先生です。
「道徳読み」が気になる先生に、お伝えしてくれたことがとてもありがたいことと思っています。

「道徳読みを研究する会」に立った今、熊谷先生から授業写真が届きました。
拝見し、感動しています。
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論語と並行して、今、『孔子家語』を読んでいます。
先生方から実践を聞かせていただき、古典からも学ぶことができるこの状況が実にありがたいです。

『日めくり 教室論語』を教室の先生の机の上に、ぜひ!
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