Category Archives: 道徳

玄関の靴をそろえる宿題

玄関の靴をそろえる宿題。
とても狭い範囲を整頓する宿題です。
だれでも,簡単にできます。

b8098同じような宿題として,自分の机の上を整頓する,というのを出してもいいのでしょうか。
こちらは出さない方が良いです。

だらしのない机の上は,整頓するのに時間がかかるからです。
玄関はとにかく時間がかかりません。
10秒,20秒で終わります。
その時間を捻出できない子は,基本的にいません。
誰でも確実に出来るから,玄関の宿題は有効なのです。

その上に,大切なことが靴の整頓には含まれています。
とても喜ぶ人がいることです。もちろん,お母さんです。

玄関の整頓は,お母さんが喜んでくれます。
お母さんにとって,乱雑な玄関は訪問者に恥をさらすことになります。
整頓により,「恥」が「誉れ」に変わります。これは,極めて大きな喜びとなります。
お母さんの心が嬉しい気持ちになる行為ですがら,誰が見ても「親孝行」です。

親孝行になる宿題。その最もシンプルな宿題が玄関なのです。
そうして,習慣付いてしまえば,言われなくても整える子になります。そういう子,良い子ですよね。
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玄関の靴をそろえる宿題

b8098家の玄関の靴をそろえる宿題。
これを続けている内に,玄関の履き物はそろっていないとちょっといやだなという気持ちが生じてきます。
整っていると美しいと感じる心。
整頓されていると美しいと感じる心。
この心を玄関を見ることで,感じるようになるのです。
そう感じる子が一人でも出てきたら,宿題を出した甲斐があったというものです。

多くを望む必要はありません。
それでも,普通の宿題では得られない思わぬ良いことが出てきます。
禁欲的に,玄関の履き物に焦点を絞って,宿題を出していきましょう。

『行儀作法の教科書』次第に,靴の脱ぎ方などにも興味を持ち始めて来ます。
「入り船で入り,出船で出る」
まだ,ことわざになるほど普及していませんが,こういう言葉もあります。
前を向いて靴を脱ぎ,手で靴の向きを変える。
これが昔からの履き物の作法です。

こういう作法も教えてもらえるなら,教えて欲しいという気持ちが高まってきます。
知れば知るほど,知りたくなるのが文化です。
宿題に余裕がある先生,ぜひ,玄関の靴をそろえる宿題を出してみて下さい。
懇談会もちょっと変わりますよ。
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『コドモノシツケ』

コドモノシツケ書名がいいですね。
そのものズバリ,『コドモノシツケ』です。

中を開くと,時代の気合いを感じます。
この本は国民学校の時代に発行されていた作法の教科書です。
利用年限が短いので,発行部数も少なく,今となってはなかなかお目にかかれない本です。

また,戦後になると,作法は授業がなくなりました。
作法の本も小学校で使われていません。

結果的に,小学校で使った最後の作法の本として位置付いています。
資料的価値はかなり高いです。
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新学期。
姿勢の指導をされている先生,「今度の先生は,立腰の先生!」と子ども達に言われるぐらい粘り強く進めて下さい。
授業参観観で親御さんがきっと喜ばれます。
立腰の森信三先生もきっと喜ばれます。

そうして,1年生の先生。
時々,「日本の昔話」を語っていただけますか。
長年語り続けられてきた昔話には,孝行とか敬愛とか難しい言葉を言わなくても,日本人が大切にしてきた感情や感覚が込められています。語ることで,子ども達の心にじんわりと伝わっていきます。
お話を語ることで代々伝えられてきた日本人の感性ですが,今,学校の先生が語らないととぎれそうな様子になってきています。
姿勢と同様,取り戻していきたい日本の教育文化です。
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作法の宿題

いよいよ3月31日です。
大学時代の同期が,本日を持って,みんな退職です。
私達の時代はこれで終焉です。

時代が終わったということは,やらねばならないことが0に近くなった,ともとらえることが出来ます。
0ぐらいで普通となります。これがわかると,退職後はやりやすいです。
ちょっとでも良い感じになれば,すぐにプラス(立派)となるからです。

もうすぐ新年度がスタートします。
学校での勉強もはじまります。
自然,宿題も出るようになります。

新年度の宿題に何を出すか。
そんなことを考える先生は普通いません。
宿題は成り行きで出てくる傾向が有るからです。

私が出した宿題でもっとも喜ばれたのは,作法の宿題です。
帰りの会で,明日の予定を板書します。
続けて,宿題を書きます。

「宿題:玄関のはきものをそろえる。」

この手の作法の宿題を出されたことがないので,子ども達はビックリします。
「先生,それが宿題ですか」と疑いの声を上げる子もいます。
驚く子ども達に,玄関は家の顔であることを話し,靴がそろっていると,それだけで「良い玄関」となり,「良い家庭になる」ことを話しておきます。

この宿題を毎日出します。
根気よく出します。
すると,「先生,私は玄関を掃きました!」とサプライズをつけて作法を実践する子が出てきます。
「必ずやる」という範囲が小さいと,すぐにプラス(立派)が生じるのは自然の摂理です。
嬉しそうな顔をして褒めたくなります。
善行を自然に行い,それを自然体で褒める。
この流れが生じるのが「作法の宿題」です。

また,ちらりほらりと,お母さん達からの喜びの声が届くようになります。
「先生に教わってから,うちの子が玄関をきちんとしているんです。」
「先生,続けて出してください。家でも躾を教えたいと思います。」
喜びと共に,継続を願うお母さんもいます。
「よかったですね」とか,「はい,続けるようにいたします」と,返事をします。

また,「先生,もっと範囲を広げてください」とお願いをされるお母さんもいます。
こちらは,残念ですが,応じないようにします。
代わりに,靴をそろえること以上の作法をしたら,それを「進んでやっている善行」という目で見てもらえるように話します。

孟子玄関の靴をそろえるという宿題は10秒もあれば,終わってしまう宿題です。
実に,容易な宿題です。
それでいて,家族全員のことを考えるあれこれが心にわき出てきます。
続けることで,何かが変わってきます。
孟子に「道は近きにあり,事は易きにあり」とあります。(離婁(りろう)章句上)
言い得て妙です。

「道徳は善行の繰り返し」なのだとつくづく思います。
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あやまちをした子への導き

『小学』には,なかなかいい話が載っています。

諸生(しょせい)小(すこ)しく過差(かさ)有れば,
先生端坐(たんざ)し,召して與(とも)に相対し,
終日竟夕(きょうせき),之を語らず。
諸生恐懼(きょうく)畏服(いふく)すれば,
先生方(はじ)めて略(ほぼ)辞色(じしょく)を降(くだ)す。(p368)

生徒があやまちを起こしました。
そのあやまちに気がついた先生は,きちんと座って生徒を呼び出し,相対します。先生はそのままじっと黙っています。
生徒はとうとう恐れかしこまり,あやまちを話し始めます。
その時,先生は初めて顔色を和らげ,言葉を優しくして教え諭しました。

このような導き,小学校の先生もしています。
「先生に言わなければならないことがありますね。」など,子どもが自分から言い出すように流れを作る導きです。
直接,怒られてはいないのですが,いつもと違う雰囲気に,子どもも何か察します。
しまった!悪いことをしてしまった!
自然と,自分がしたあやまちを反省し,先生に話し始めます。

大事な点は,反省です。反省は瞬間的には行えません。それなりに時間を要します。ですので,待つことがポイントとなります。
あやまちを自覚させることは,心の立ち位置を,邪悪から正義・善へと移動させることです。
この心の移動を少し視覚的に見えるようにすると,この導きの意味の伝わりが良くなります。

心の舟心は何かの上に乗りやすいと思ってください。私は舟にたとえることが好きなので,とりあえず,心は舟に乗っていると思っています。
また,心はとても大きな自己愛の力を持っています。ですので,いつでも乗った舟を正しいと思ってしまいます。視覚的に言えば,心は色に染まりやすいのです。
悪い舟に乗れば,悪いことを心は正しいと思うようになります。迷惑をかけた相手が正しくても,自動的に,「あいつが悪い」と判断してしまいます。

反省させて導くというのは,心の舟の乗り換えを自分でできるようにする力を付ける学習なのです。

ですので,生徒が自分のやったことを悪いことと反省し,それを言葉にしたら,先生はにっこりするわけです。
一番難しい,心の乗り換えが出来たので,それを喜ぶのです。

時間があったら,この話の先生は,きっと次のような話をしたと思います。
もし,悪い舟に乗り続けていたら,その先どうなっていくか。
最悪コースのシナリオを話し,そうならなくてすんだことを喜んだことと思います。
また,良い舟に乗り換えた今,それ自体が親孝行であり,社会正義であり,先生も一緒だと話したのではないかと思います。
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二宮尊徳記念館での修養セミナー

野口芳宏先生木更津技法研の第2回修養セミナーに参加してきました。

学校では「研修」が行われています。野口先生は「研修は研究と修養を合わせた言葉。研究は他者改善。修養は自己改善」と常々お話しされています。

自分を改善しようとするセミナーと,他者を改善しようとするセミナー。
そこに参加する時,どちらの方が身を律すべきか。それを考えさせられる場面が,今回の修養セミナーでありました。

修養セミナーというのは,その本質はどこにあるのかと考えると,行き着くのは,「心の入れ替えをする場」と理解できてきます。
これまでの自分自身を省みて,何かしら未熟を感じるところがみつかり,そこを改めてこれより先を歩んでいきたい。そう思える何かをつかんだ人は修養セミナーに参加した甲斐があるというものです。

事前学習法を研究していると,何事にも事前の一策を講じたくなります。
私なりに,「心の入れ替えをするぞ!」といった意識を持って臨んだので,また,少し前進できました。
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野口先生のお話の中に,「居は気を移す」の話がありました。孟子の言葉とのことです。
居というのは居るところの地位。
気は気品。
高い位に立つと気品を変える,という意味です。
先生という地位に立つと,それに応じた気品が備わってくるというこです。

とは言うものの,これもその自覚が無いと,教師でありながらも教師であるまじき様相となります。心の入れ替え・自覚が肝要です。
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孟子の言葉が出たので,家に帰り調べました。
居は気を移し,養は体を移す」(『孟子』第13巻 尽心章句上 36)とありました。
居るところの地位が気品を変え,栄養が体を変えるという意味です。
孟子の時代に,既に言われていた慣用句だったようです。

居→気・・・変化を起こす!
養→体・・・変化を起こす!

これは,いいですね。
居(身なり)・体(姿勢)を整えると,気(心),養(豊かさ)に変化が起こり,
気(心),養(豊かさ)を整えると,居(身なり)・体(姿勢)に変化が起こる。
こうなるからです。
内と外が互いに作用しあうことで,人間として磨かれていくのだと強く感じます。
この作用とて,意図的に続けず放っておくとすぐに崩れてしまい,悪い方向に変化が出てしまうのです。
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次回の修養セミナーの方向が少し話に出ました。
山口の吉田松陰,千葉の伊能忠敬。
どちらも,学び甲斐の大きい偉人です。
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