Category Archives: 道徳

二宮尊徳記念館での修養セミナー

野口芳宏先生木更津技法研の第2回修養セミナーに参加してきました。

学校では「研修」が行われています。野口先生は「研修は研究と修養を合わせた言葉。研究は他者改善。修養は自己改善」と常々お話しされています。

自分を改善しようとするセミナーと,他者を改善しようとするセミナー。
そこに参加する時,どちらの方が身を律すべきか。それを考えさせられる場面が,今回の修養セミナーでありました。

修養セミナーというのは,その本質はどこにあるのかと考えると,行き着くのは,「心の入れ替えをする場」と理解できてきます。
これまでの自分自身を省みて,何かしら未熟を感じるところがみつかり,そこを改めてこれより先を歩んでいきたい。そう思える何かをつかんだ人は修養セミナーに参加した甲斐があるというものです。

事前学習法を研究していると,何事にも事前の一策を講じたくなります。
私なりに,「心の入れ替えをするぞ!」といった意識を持って臨んだので,また,少し前進できました。
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野口先生のお話の中に,「居は気を移す」の話がありました。孟子の言葉とのことです。
居というのは居るところの地位。
気は気品。
高い位に立つと気品を変える,という意味です。
先生という地位に立つと,それに応じた気品が備わってくるというこです。

とは言うものの,これもその自覚が無いと,教師でありながらも教師であるまじき様相となります。心の入れ替え・自覚が肝要です。
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孟子の言葉が出たので,家に帰り調べました。
居は気を移し,養は体を移す」(『孟子』第13巻 尽心章句上 36)とありました。
居るところの地位が気品を変え,栄養が体を変えるという意味です。
孟子の時代に,既に言われていた慣用句だったようです。

居→気・・・変化を起こす!
養→体・・・変化を起こす!

これは,いいですね。
居(身なり)・体(姿勢)を整えると,気(心),養(豊かさ)に変化が起こり,
気(心),養(豊かさ)を整えると,居(身なり)・体(姿勢)に変化が起こる。
こうなるからです。
内と外が互いに作用しあうことで,人間として磨かれていくのだと強く感じます。
この作用とて,意図的に続けず放っておくとすぐに崩れてしまい,悪い方向に変化が出てしまうのです。
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次回の修養セミナーの方向が少し話に出ました。
山口の吉田松陰,千葉の伊能忠敬。
どちらも,学び甲斐の大きい偉人です。
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「二宮尊徳の指導観」

今週の土曜日,木更津技法研の修養ツアーです。
小田原駅に集合して,二宮尊徳記念館へ。
到着したら,館の方のお話を伺い,ビデオの視聴,館内見学をします。
それから,技法研のメンバーによる実践発表。
その後,私が「二宮尊徳に関わること(論語・大学など)」のお話をします。
野口先生のお話は,お昼をいただいた後です。
「二宮尊徳・報徳」のお話です。

私のテーマは,「二宮尊徳に関わること」となっています。
どうみても,漠然としていますよね。
推測ですが,「横山先生には,二宮尊徳に関わることを話していただけたら・・・」という段階での言葉がそのままテーマになったのではないかと思えています。
当然,絞り込みができていません。

絞り込みは,中身を知っているから出来ることです。
中身を知らない人に,絞り込んで・・と言うのは酷というものです。
ですので,今回のテーマは,私が絞り込むべき所です。
「二宮尊徳の指導観」でお話をする予定でいます。

「指導観」と書いてあるのを読むと,農業指導の話のように思えてきます。
明治時代の農業の本に,肥やしは土と混ぜて,手ですくって軽く握り,形が崩れない位が良いとありました。当時の肥やしは人糞です。
こういう技術指導の話をセミナーでするわけではありません。

二宮尊徳の本には,農業のハウツーが書かれていません。
人と会って,どうした,ということがみっちり記されています。
ですので,教育という目で読んでいくと,随所に「なるほど!」「さすが!」と思えることが出てきます。
『子どもの作法』それが,不思議と野口芳宏先生に通じてきます。
その道を極めた方は,似てくるのだなと思った次第です。

「自分の品行が少し悪くなると,のせたものはみな崩れ落ちる」
「温泉は人の力によらず,年中あたたかいです。風呂は人の力でわかすことによってあたたかくなります。」
二宮尊徳の言葉です。
人道と天道という尊徳の哲学から出てきている言葉です。
どちらも,同じような意味ですが,時と場合によって表現を変えています。
観がしっかりしているからこそ,なせる表出と感じ入っています。
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来週の土曜日は,修養セミナーです!

来週の土曜日は,木更津技法研の第2回修養セミナーです。
その関連で,ウィキで二宮尊徳を見てみました。
そうしたら,「二宮金次郎」ではなく,「二宮金治郎」と記されていました。
詳しいことは書かれていませんが,↓と書かれています。
通称は金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。

『二宮尊徳』もしかしたら,届け出した名前は「治」だったのかも知れません。
でも,私の読んできた本は「次」なので,セミナーでは金次郎で進めたいと思っています。

また,尊徳の読み方も「たかのり」が正しく,「そんとく」は有職(ゆうそく)読みと記されています。
私は本を通して,二宮尊徳は大変な人物だと思うに至っているので,セミナーでは尊敬の念を込め有職読みで進めたいと思っています。

修養セミナーは,会場が二宮尊徳記念館です。神奈川県の小田原にあります。
東京から小田原まで,東海道線に乗れるので,それが楽しみとなっています。
新幹線で行くことも出来るのですが,東京←→小田原だったら,やっぱり東海道線に乗りたいです。
もう,走っていないのですが,湘南電車に乗っている気分で読書をしていたいからです。

当日の私の話は,二宮尊徳の指導観,指導法。それと,人間観あたりになります。
このあたりは,野口芳宏先生と実によく似ています。
農業の二宮尊徳。教育の野口芳宏。そう実感しています。

また,たとえ話も大変上手だったので,その当たりも少し話したいと思っています。
教師の資質向上に,少しは役立つのではないかと思っています。
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野口塾ビギナーズ,懇親会でお祝いの会

神部先生の還暦祝い「野口塾ビギナーズ」の懇親会の一こまです。
会場である東京未来大学の准教授,神部先生が還暦を迎えられると言うことで,そのお祝いの会も開催しました。

野口塾の還暦祝いは万年筆と色紙。
神部先生がお祝いの品をお披露目してくれ,その万年筆の試し書きを全員で行いました。
書き味が良く,改めて万年筆のすばらしさを感じました。
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お祝いの会も行いましたが,全体がビギナーズの懇親会です。
いつものように,宴会文化のスピーチが始まりました。
山中先生が,「いい話を!」とハードルを上げたのですが,皆さんそれをクリアーされ,さすがだと思いました。

私が話したのは,ビデオと道徳の話です。
人のふり見て我がふり直すのが,これまでのスタイルですが,ムービーを活かすと,「我が振り見て,我が振り直す」という新しいスタイルが誕生します。
これは,観の教育が行われている教室では,非常に大きな効果を発揮します。
より直接的な指導ができるので,子供達の実感度が高くなるからです。
たぶん,道徳の授業全体のあり方にも大きな変化を与えることになります。
そんな話をしたら,実感道徳研究の会長である山中先生が秘密のノートにメモをされていました。
すこし,お役に立ったようです。
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『小学』を買った若い先生へ

『小学』『小学』を読んでいることをブログに書いたら,若い先生が私も買いました!と知らせてくれました。

若い先生が古典を少しずつでも読むと,しなやかで強固な学級経営が見えやすくなってきます。
それは,古典のもつ歴史的重みを理解する力がついてくることに起因します。

『小学』の18ページに,乳母の選び方が書かれています。
低学年の担任となったときの重要な心得に通じます。

同じく18ページに言葉を覚えはじめたら,何を教えたら良いかが書かれています。
覚えはじめは,学び初めであり,学校でいえば新年度です。
学級開きにグイッと力を入れる点がこれです。

小学は鎌倉時代のちょっと前ぐらいの1189年に中国でまとめられた書とされています。その時代に書かれたものもあれば,昔の本からのピックアップもあります。
上の18ページの内容は,『礼記』からの一節です。
孔子の時代の内容ですから,およそ2500年もの昔に,大事ですよ!と言われていたことです。
それが,800年ほど前にも,子供達の教育に実に重要として選ばれています。
さらに,この小学は明治時代に日本で子供達の教育用としてまとめられた『幼学綱要』のたたき台になっています。
要するに,100年ほど前の日本でも,とっても重要とされていた事柄なのです。

こういう歴史を知ると,古き時代に良いとされ,今も良いと感じる事は,普遍的に大事なことなのだと実感されます。
この実感が指導に重みをましていくのです。

クラスに落ち着きが無くなってきたなと思ったら,p242です。何をさせたらよいのか,また何をさせてはいけないのか,それが書かれています。
書かれていることから,その根本を把握すると,学級の状況による実践の仕方が豊かになってきます。しなやかでありながら,強固となるのです。
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今度の土曜日,東京で「野口塾ビギナーズ」が開催されます。
この日,予定が入っているので,参加できないと思っていたのですが,終了際に参加できそうになったので,今しがた申し込みました。

北千住駅での懇親会が主だった参加になりますが,楽しい一時を過ごして来ようと思っています。
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事前の「価値ある選択」で,卒業式の指導

『小学作法 尋常科第二学年』木更津で話した「卒業式の作法 儀式とは何か」を受講していた山﨑先生から,「事前学習法研究会」に投稿がありました。
一部,引用します。お読み下さい。
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横山先生から卒業式の指導について教わったので、学年集会を開き、卒業式の練習に向けた事前学習を1時間やりました。
目的は、
①卒業式の練習に向けての心構えをもたせる
②卒業式の練習がはじまる1か月後までの間に自分が準備しておかなければいけないことは何かを自覚させる
この2つです。

体育館に120名の6学年児童全員を集めました。
はじめに、小学校生活最後のゴールとは何かを確認しました。
もちろんみんなが「卒業式」と答えました。
そこで、
「最高の卒業式にしたいか、したくないか」
の二択で子供に挙手をさせました。
全員「したい」方にあげました。
そこで、担任の思いも伝え、みなさんと担任の思いは同じであることを確認しました。
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卒業式の練習を成功させるか,普通程度に終わらせるかの大きな分かれ目が,上記に記されています。
それは,最高の卒業式にしたいか,ぬるい卒業式にしたいか,これを子供達に選択させていることです。
「価値ある選択」といいます。野口先生から教わっている根本本質原点の指導です。

この事前の価値ある選択が,なぜ重要なのでしょう。
この選択がないと,この先の指導は基本的に教師が引っ張り続ける事になります。返事はこうする。姿勢はこうする。声はもっと大きくハッキリと・・・。教師が望む姿形を示し,そこに向かわせる授業になります。
子供達の心がどこに位置しているのか不明瞭なため,心の持つエネルギーと先生のエネルギーとがシンクロしづらいのです。

価値ある選択をした子供達は,最高を目指す側に位置しています。この立場を定めていることが,重要なのです。
最高を目指す陣営に所属しているので,自分から最高を目指したい,最高を目指すぞ,という強い気持ちを持って,練習に臨めます。
みんなが同じ陣営なので,友達全体と大きなチームを作って前進させることもできます。

学ぶ側の子供達の立ち位置がエネルギーを大きく増大させているので,「最高の返事を考えてみよう」と小さな投げをしても,子供達は力を発揮してきます。その流れに乗りながら,先生は知っている限りの技術指導を付け足していくことができます。

この「価値ある選択」は,善と悪のどちらにキミは立つのかと選択をさせる場面です。
余裕がある時には,悪の側(ぬるい卒業式)の甘味を話すこともできます。
ぬるい卒業式なら,練習は簡単だ。努力もたいしていらない。早く練習が終わるので遊ぶこともできる。
こんな風に,悪の方向の甘~い,甘~い世界の話もして,さらに,最高の卒業式の持つ大感動や一生懸命にやらなければならないといった善(最高)の話もして,どちらを選択したいか聞くこともできます。

子供達は甘い方を選びません。努力して何かを得ることに価値を見いだせるだけの力を持っているからです。それを支えているのが「善の側にいたいという心」です。
これが「成長の原動力」となるのです。
ですので,事前の「価値ある選択」は,遊びたいとか,気楽にやりたいといった,怠惰な心に打ち克つ道徳の学習にもなっています。
道徳は,典型的な善と典型的な悪があり,そのどっちの側に自分が居続けたいか,どっちの世界で生きて伸びていきたいか,という学習です。

事前に価値ある選択を行った山﨑先生の学年。卒業前の道徳心も高まりました。
小学校生活,最後の最大の行事をこういう風に迎えられるのは,幸せですね。
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画像は,戦前の卒業式風景です。学年が終了する毎に,卒業証書をいただいていました。明治時代には,学齢になっても入学できなかった子が,一生懸命に勉強をして,2学年分まとめて卒業証書をいただくこともありました。
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