Category Archives: 道徳

横浜の山内小学校で

横浜の山内小学校へ行ってきました。
ありがたいことに,6年生への姿勢の授業と,5年生への算数っぽい授業をさせていただきました。
若い先生方の研修の一環です。

この日,妙に電車が気になり,30分前には到着する列車に乗りました。
これで十分大丈夫と思っていたのですが,ダイヤの混乱とぶつかりました。
最寄り駅に着いたのは予定の10分後。臺野校長先生をお待たせしてしまいました。
申し訳ないことをしてしまいました。

その臺野校長先生から今朝ほど,メールをいただきました。
私の授業の様子を「校長だより」の記事にしてくれていました。
電光石火の仕事ぶりに,頭が下がります。
少し引用します。(改行は私の好みで変更しています)
--
現役ではないが超一流の先生である。
ありがたい機会をいただいた。参観できなかった方にその一端をお伝えする。
「子どもを励ます」「ほめてその気にさせる」「しかし甘くはない」指導である。見習いたい。
--
この書き出しに恐縮です。
すでに,退職をして15年。
私の腕はさび付いています。この日の授業もあれこれ反省が先立ちます。
--
5校時
6年生全員へ「姿勢の良い人になろう」の授業
宇和島下灘小学校での公開授業(3・4年生対象)をベースにされながら、6年生対象に「最高の卒業式にしよう」という視点で、よい姿勢について具体的な姿、心構えや、さらにこれからの生き方にまで踏み込んでご指導いただいた。
姿勢という熟語の「勢い」が大切であること。勢いのある座り方、と「勢いのない だれて緩んだ」座り方を具体的に動作化させながら、どちらが参観する保護者に感動をもたらすか問いかけられた。
また、椅子の正しい座り方、「もたれる」の意味から背もたれをどう使うのかなど、子どもたちはもちろん、聞いている職員も「そういうことか」と納得する御指導であった。
b7867「人には優しく。自分には正しく」
「心を強くする」
「動かないことに勝てる自分」等々、
子どもたちとのやり取りの中で発せられる横山先生の言葉はどれも、実感を伴って子どもたちの心に入っていたと思う。
1時間で、子どもたち120人の姿勢や返事、何より心構えが大きく変容した授業であった。
--
初めての子供達だったので,いつものように,「人と自分の図」を示しました。
子供達からは,「自分に正しく」とはスッと出てきませんでした。
これは,現状の道徳がこういった基本的な所を教えていないので,答えられなくてごく自然なのです。
なにしろ,先生方に問うても,たいてい答えられません。
先生方も小学生の頃,道徳を学んでいないのです。
やむを得ないことです。

はっきりわかることは,「道徳も教わらないとわからない」ということです。
だから,道徳は授業をする必要があるのです。

この日の6年生に,「人の図」「人生の図」を示しました。
それぞれ重要な内容を含んでいます。
追って記しましょう。
--
関連記事:

横浜の小学校で

次の火曜日,横浜市の小学校で授業をしてきます。
若い先生方を中心とした研究会があり,その研究会の一環として,5校時・6校時に授業をしてきます。

5校時は,6年生全員が対象です。体育館で「姿勢の良い人になろう」というテーマで授業をします。
6校時は5年生の一つの教室で算数です。図形の面積が終わろうとしている頃なので,そこに少し絡んだ授業をします。

授業の後は,若い先生へ向けた講話です。
どんな授業になり,どんな講話になるのでしょう。
明後日には詰めたいと思っています。
--
土曜日は野口塾in相模原です。
私も一こまお話しします。
テーマは「東アフリカ教育事情 算数ソフトの視点から」です。
楽しい話になりそうです。お近くの先生,ぜひお越し下さい。
--
b7858写真はバングラディッシュで販売されているBLACK TEA と GREEN TEA です。
BLACK TEA というのは,紅茶のことです。

そのバングラデシュですが,私は「バングラディッシュ」と言っていました。
でも,どうも,違うようなのです。
フェイスブックで伊藤先生から「バングラデシュ」と普通は言うことを教えてもらいました。
ありがたかったです。

こういう指摘,年をとると,どんどん少なくなってきます。
だから,自分で気をつけないとなりません。
そんな状態が今なので,指摘してくれた人には手を合わせたくなります。
--
関連記事:

「姿勢の良い人になろう」「正しいの図」

b7860「姿勢の良い人になろう」という授業で,「自分に正しく,人に優しく」ということを「人と自分の図」を書いて話しました。
その延長の話を,懇親会で少ししました。

「正しい」についての話です。
「正」は,「一」と「止まる」に分解できます。
ですので,「一寸(ちょっと)止まって考えよう」と思っていれば,正しい判断ができるということになります。
カチンと来たときに,「ああ言えばこう言う」ですぐに返すと,けんかになりますが,ちょっと間をおけば,良い解決に向かえます。

どうしてこんな解釈をするのかというと,漢和辞典で漢字の意味を調べたからです。

「正」の一画目の「一」は,古くは「口」として書き城郭を表していました。
また,「正」から「征」が生まれています。
そうして,説文解字(せつもんかいじ)という中国最古の漢字字典には,正は「一以(もっ)て止まる」とあります。
映像が浮かびますね。
「軍隊が城郭に向かって進軍し,城郭の前で止まった」というようなイメージです。
進軍のまま攻めずに,いったん軍を止めて,どう攻めるか考えて軍を動かします。
そんなことを思っていると,自然と「ちょっと止まって考えると,正しい判断ができますね」となるわけです。

こういう話を知っていると,「正しさ」に関する授業をするとき,タイミングを見て話すことができます。
宇和島での授業では話しませんでしたが・・・。
--
関連記事:

『道徳のチカラ』13号

b7861長崎の辻川先生から『道徳のチカラ』最新号が届きました。
今回のテーマは「批判的思考力」です。

この『道徳のチカラ』は本屋さんでは売っていません。
私家版ですので,辻川先生に申し込みます。

いつも思うのですが,こういう活動を継続的に行っていることが素晴らしいです。
学生の頃,「歌集」を作ることが一つの文化になっていて,その延長線上で「冊子」づくりをする仲間がいました。
その影響もあって,私もこういうことをするのが好きでした。
ただ,継続する力が弱く,長続きはしませんでした。

表紙の一番下,タイトルのすぐ下の枠の中に,↓のように書かれています。
道徳教育改革を志す教師の集い「道徳のチカラ」
継続力は,この「志す」かどうかなのだと思います。
--
特集は「今こそ,批判的思考力」です。
もしかしたら昨年7月に出た,「小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」への批判的思考力なのかなと思いました。「今こそ」と書いてあったからです。
でも,そうではありませんでした。
次号がそうなのかもしれません。期待しています。
--
関連記事:

「姿勢の良い人になろう」「分別があるの図」

b7864「姿勢の良い人になろう」という授業をして,その内容を少し記しています。
昨日は,「ニワトリの図」を書きました。
ニワトリさんやお猿さんたちと,人はちょっと違うんだという話です。
「良い・悪い」がわかるのが人なんだと言うことです。

「良い・悪い」があることの話をしたら,ついでに「分別がある」の話をすることができます。
「分別」は「ふんべつ」です。「ぶんべつ」と濁ると,ゴミの分別になってしまい,話が進みません。

「分別がある」というのは,まさに読んで字のごとしです。
「分けて」「別れる」のです。
何を分けるのでしょうか。
「良いと悪い」を分けるのです。
何と別れるのでしょう。
悪い方と別れるのです。
物事に良い悪いがあり,その「良いと悪いを分けて」「悪い方と別れる」のが分別があるということなのです。

食事の仕方にも良いと悪いがあります。
姿勢にも良いと悪いがあります。
挨拶の仕方にも良いと悪いがあります。
要するに,礼儀作法の世界には良いと悪いが必ずあるのです。

「悪い方と別れるぞ」と判断できる人が分別のある人です。
「悪くてもいいや」と判断する人は分別のない人であり,場合によっては聞き分けのない子なのです。

こういうことを知っていると,時間があれば,「良いと悪いを分けて,悪と別れる」とみんなで唱和したくなってきます。

漢字を訓じることで,道徳の指導に大いに役立つことがあります。
そんなとき,「日本語は素晴らしいな」「漢字はありがたいな」とつくづく思います。
--
関連記事:

「姿勢の良い人になろう」「ニワトリの図」

b7863「姿勢の良い人になろう」ということで,「人の図」「人と自分の図(1)」「人と自分の図(2)」を記しました。

授業では触れなかったのですが,講話で先生方に少し話したのが「ニワトリの図」です。かなり,あっさり話しました。今回は少し詳しく記します。

今回の授業のテーマは「姿勢の良い人になろう」です。
道徳でなければ,「姿勢を良くしよう」でも,「良い姿勢をしよう」ということでも良かったのです。
ですが,道徳の授業ですので,ここは「人になる」ことを目指すようなタイトルにしました。

ここで使っている「人」は,単なる動物としての人ではなく,「徳のある人」「立派な人」ということです。ですので,少し詳しいタイトルにすると,「姿勢の良い徳のある立派な人になろう」となります。

大事なのは,「人になろう」という指向性です。
道徳は時として,その瞬間瞬間を道徳的判断で・・・となることがあります。
そういうこともありますが,道徳は人生を通じて目指していくものです。
基本は指向性にあります。

また,何かを目指すと言うことは,何かから遠ざかることを意味します。
何から遠ざかるのでしょうか。
そこが明確になると,「目指す方向はこっちだ!」と一層わかりやすくなります。

『論語』『礼記』などを読んでいると,時々,「禽獣」という言葉が出てきます。
トリやケダモノです。
人の目指す方向の真逆にいる存在として用いられています。

女性が襲われたり,理不尽なことをされたとき,「ケダモノ!」と叫びます。
徳のある人の真逆の存在。それが「ケダモノ」とされているからです。
2500年もの昔から伝わっている最悪な比喩です。
その「ケダモノ」から遠ざかること,「ケダモノ」と決別すること,それが徳のある人の歩む道です。

では,その禽獣と人は何が違うのでしょう。
もちろん,道徳として何が違うかということです。
それは,「良い・悪いという区別の有無」です。
猫や鳥や猿にも,それなりの姿勢があります。
ですが,そこには「良い姿勢」「悪い姿勢」はありません。
猫や鳥や猿も,食事をします。
しかしながら,良い食べ方・悪い食べ方はありません。

当たり前の話ですが,親猫が子猫に,「姿勢が悪いよ」とか「散らかさないように食べましょう」と指導を入れているところ,見たことがありませんね。
猿も同様です。「良い○○○」「悪い○○○」という概念が無いのです。

「良い」「悪い」の区別ができる頭を持っている人間なのに,心がダメになると悪い方を選んでしまいます。
そんな心になって欲しくないので,「人になろう」とタイトルにつけたのです。

さて,この後,「分別があるの図」をご紹介するのですが,それは今度にします。
--
関連記事: