Category Archives: 道徳

毎日小学生新聞に,宇佐美先生の『対話の害』が!

5月21日付けの毎日小学生新聞の1面。
そこに,「ターくんと 頭 ぐるぐる」という大きなコーナーがあります。
ほぼトップ記事です。
今回のタイトルは「アメリカと広島」です。

リードで編集長が,NHKの「白熱教室」から「正義」について取り上げています。
「問1」で,ブレーキが故障した電車の事例が紹介されています。
そのまま進めば5人の作業員をはね殺してしまう。
分かれ道を選べば1人をはね殺してしまう。
「正しい行い」はどちらかという問題なのですが,頭がグルグルして,モヤモヤしていたとのことです。

b8015でも,この後の解決部分で,スッキリ!
以下のように記しています。引用します。
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昨年読んだ大人向けの本「対話の害」(さくら社刊)で,やっと答えを見つけた。(略)
ボクは今,【問1】にこう答える。
「5人の命と1人の命のをてんびんにかけることこそ,正しい行いではありません。
先生の質問そのものに『正義』がないのです。
だから答えはありません」
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この解答を受けて,問2では,「【問1】を20万倍して考えてみよう。」と,『対話の害』の考えで問2へ進んでいます。

コンパクトに,よく練られた非常に良い記事でした。

小学生新聞の1面(ほぼトップ記事)で『対話の害』を扱った西村隆編集長に一度お会いしてみたいと思いました。

※毎日小学生新聞は,私が小学生の頃,家でとっていた新聞です。毛の色が白い猿の物語が連載されていて,それを熱心に読んでいたことを覚えています。「新聞って面白いものだ」と興味を持ち,6年生頃から,少し背伸びして大人の新聞にも目を向けるようになりました。
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『マッキンゼー経営の本質』

遅ればせながら,海外旅行の保険に入りました。
これで万一の時も安心です。

日本は海外旅行がしやすい国と聞いています。
VISA無しで行ける国が,たくさんあるからです。
ひとえに信頼を築いてきた先輩方のおかげです。

でも,私の行くバングラデシュはまだVISAが必要です。
手続きをして,VISAをいただきました。パスポートに張り付いています。
このVISAを見ると,私も微力ですが,日本人の信用を高める方向で活動をしたいという思いが湧いてきます。
いつの日にか,バングラデシュと日本の交易が深まり,VISA無しで行き来できる日がやってきます。
その日が少しでも近づくように,私も心がけを正して行動してきたいと思います。
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b7746『マッキンゼー経営の本質』
この本を読んで,グッと来たのは理念をしっかり持てというところです。
理念といわれても,学校経験が長かった私にはちょっとすっきりしないのですが,まあ,「校訓」とか「学年訓」とかいった「訓」として把握すると,かなりよくわかります。

この「訓」は「家」という字のウ冠の下の横棒。天井板のような一画に位置しています。
b7745家にしろ,学校にしろ,会社にしろ,組織という所は訓で示されたことより広い範囲の内容を含んでいますが、基本的には訓を守って,訓を目指して人々が諸活動をします。

そんな風に思っているので,そこにこの本の話を落とし込んでいくと,なるほどと思えてきました。

訓に向かって力を発揮することを「忠」と言います。
訓がはっきりしていて,それが繰り返されている学級は,普通,良い感じにまとまります。忠義者の学級になるからです。
例えば,「気合い」とか「協力」なんて言葉を学級訓,あるいは先生訓として打ち出すと,これもまとまりが良くなります。大阪ではこの話もしてみたいと思います。でも,大阪に着いたらすっかり忘れているかも知れません。
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野口塾の懇親会での盛り上がり話

4月3日(日),大阪でお話をします。
テーマは「笑いのバロメーターを吹っ飛ばせ!1年中大爆笑するクラスに」です。
笑いのある雰囲気作りに必要な力。
テンポとか,脱線とか,少しバカになるとか,役者になることとか,そういった通俗的なこともありますが,もし,本気で笑いの力をつけたいと思ったら,私は次の2つを身につけることをお勧めしています。
「実況」と「論証」です。
その方法をお話し,簡単に練習もしてもらおうと思います。
関心のある先生,是非,お越し下さい。
たいてい,おもしろいです。
勢い余ったら,道徳の話もするかと思います。こちらも,面白いです。
「道徳は明るいか,それとも暗いか」,このあたりから話すかも知れません。
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野口塾の一つの楽しみ。それは懇親会。
今回は若い人が多かったので,ちょっとかまってしまいました。

あれこれ話して,お開きになる頃に,「さくら社に就職したい」と言い出す青年がいたのです。
これは珍しいと思いつつ,すかさず,「予防注射をしても泣かないな」と聞きました。もちろん,にっこり笑いながら。
普通なら,元気よく,「泣きません!」と返ってくるところですが,彼は関西の出身なのでしょうか。「注射は苦手で・・・」と言ったのです。このかわし方,たいしたものです。

b7754_2予防接種や注射は,子ども達に「大事の前の小事」を教える好材料なのです。
大事な体の健康を維持するためにする,少々痛みを伴う予防接種。
ここから,何か大きな事を目指すときには,「恐そう」「痛そう」「無理そう」など怖じ気づくような壁や穴が自分に向かってくることが,伝わりやすくなります。
本当はビビッていても,そこをちょっと突っ張って笑顔で腕を出すから,前進できるのです。

そんな事をふっと思いだしたので,青年に注射と言いました。
ですが,青年にはこの文脈が見えていません。
それなのに,良いかわし方をしていました。
好青年です。
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若い人たちとテーブルを囲んだので,道徳の話をしました。
その中で,かなり強いインパクトを与えたのは,「“生きる”とはどういうことか」でした。

生きるには「困難」と「習得」の2つの種類があり,その裏が1つ。
合計3つを押さえておけば,大方ぶれない話ができるようになります。
そうして,押さえで「正しく生きた人はどうなるか」までがわかれば,ほぼ完璧です。
今回は,押さえの話はしませんでしたが,「正しさ」の話などもしたので,皆さん喜んでくれました。
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「孝行」って何かと問われたら

b7765◆「チーム算数」の開催日が決まりました。26日(土)の午後2時から。場所はいつものジョナサンです。
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「親孝行」の「孝行」ってどういう事なのか,子ども達に尋ねたことがあります。
「お父さんやお母さんの肩をもむこと」と具体例を挙げる子もいれば,
「お父さんやお母さんのためになることをすること」と方向性を示す子もいます。

同じ事を先生方に聞いてみると,反応がかなり薄くなります。
すっくと手を挙げて,「はい,孝行というのは・・・・・・ということです」とスパッと答える先生はいません。
「きっと,こんな事かな」と,やや自信なさげに手を挙げます。

「孝行とはどういうことか」と一般論を問われたときは,漢字で考えるようにすると,ぶれずに大筋OKの解がみつかります。
なぜなら,「その漢字を用いることがモアベターだ」と歴史的に決められてきたからです。

漢字での考え方には,大筋2種類有ります。
1つは,訓読み。
2つめは,部品の意味。
これらは,漢和辞典ですぐに把握できます。
さらに,もう一つ加えるとしたら,それは
3,古典での漢字の使われ方
をあげることができます。しかし,これはなかなか大変です。

さて,「孝行」です。
「訓読み」で見ていくと,かなりすっきり把握できます。

「行」の訓読みは,「おこなう」。
では,「孝」は?

「孝」の訓読みは大方の人が知りません。小学校では習わないからです。
調べると,「おやおもい」と出てきます。
「孝」の訓読みを「おやおもい」と知った瞬間,「あっ」と小さな悟りを開くような感覚に包まれます。

単純に考えても,「親を思って,行うこと」が孝行の姿なのです。
親を思えば,それは「孝」。
思って行えば,「孝行」。
親に何かしてあげることはもちろん孝行です。
それだけではなく,悪い誘いを受けたときに,ふと親の顔が浮かび自分の取るべき行動を決めることも,これも親孝行なのです。

こうして,訓読みをするだけですが,孝行について自分の考えがしっかりしてきます。
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松島先生は,道徳の時間に家族愛の授業をしたそうで,その最後の一こまに,この「孝行の話」をしたそうです。
子ども達も,「ああ,そうか」と納得したそうです。
実に良いですね。
子ども達に伝えて欲しいですね。
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前田康裕先生,孝行

熊本の前田康裕先生と電話をしました。
話が終わろうとした頃,前田先生が「5月頃,東京に行こうかと思っている」と言ったので,「それなら,セミナーをやろうよ」と返しました。

久しく前田先生の話を聞いていないので,これはなんとか実現したいと思います。
日取りなどが決まったら,皆さん,ぜひ来て下さいね。
場所は,東京の山手線か中央線周辺。
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b7772先日の実感道徳研究会。
山中先生が道徳の指導要領に記されていることを一覧できる印刷物を配布してくれました。
わかりやすい資料で,「家族など日頃世話になっている人々に感謝すること。」という項目には,「感謝」という言葉が束ねの用語として出ていました。
どう束ねようがかまわないのですが,「家族」と来たら普通は「孝」だろうと思います。
親への孝行です。
「孝」は小学校道徳の中心に位置する徳目です。

そんなことを思っていたので,懇親会で松島先生に「孝行の問題」を出しました。
孝行とはどういうことか,孝とはどういうことか。
それがすっきりわかる問題です。

漢字を訓読みすると,それがわかるようになっています。
さて,どう読むのでしょう。
これを松島先生にお話ししたら,体に電気が走ったようです。
良いことです。
日本語となった漢字には,それほどまでにパワーがあります。
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「道徳の徳って何か」と問われたら

b7802「道徳って,なんですか」と問われたら,「それは,徳のある道のことですよ」と答えると,わかりやすいです。

「道」ですから,向かう方向があります。
「道」ですから,それなりに幅があります。

この道があまりに遠いと,歩む気持ちが萎えてしまいます。
この道があまりに狭いと,道をそれてしまいます。

道徳はとても大切な内容です。
ですので,元来,誰しもが歩めるようになっているので,まずは厳しいとは縁がない道と考えられます。
少しずつ歩んでみるとわかるのですが,かなり愉しい道なのです。

ところで,「道徳」の「徳」です。
「道徳」の「徳」って,いったい何のことなのでしょうね。
今日は,その話をしましょう。

徳を考える前に,「聖」を考えましょう。
「聖」は「耳」に重きを置いた漢字です。
何かが聴こえる耳の持ち主,それが「聖(ひじり)」なのです。
何が聞こえるのかというと,昔から決まっています。
「天の声」です。
天の声が聞こえるような偉い人のことを聖人と呼んでいます。
よく知られている聖人といえば,孔子,釈迦,キリストがいますね。

聖人には天の声が聞こえるのですが,残念ながら私たちには聖のようには聴こえません。
すぐに,雑念に心が奪われ,時には天に背いてしまうようなことすらあります。
そんな普通の人ですが,せめてもの思いとして,時々ですが,聖のような目で人々を見るようにしています。
それ次第に板に付いてくるように歩んでしまうので,道徳は道として存在しているのです。
この人々を「聖がごときの目で見る」ときのその心が「徳」なのです。

「徳」のある職業があります。
その代表格は小学校の先生です。
朝から夕方まで同じ子ども達を差別無く見守り,導きます。これこそが徳のある姿です。
家に帰っても子ども達のことをあれこれ思い案じます。まさに徳のある姿です。
学校の先生に多くの方々の期待がかかるのは,人の上に立ち導く徳のある心が必須の職業だからです。

小学校の先生に限らず,大人になり年齢を重ねると,遅かれ早かれ何らかの形で人の上に立つ立場になります。人生のバトンタッチに,「年の功」が必要だからです。
上の人が徳の道を歩めば,付いていく子(人)も,自然と人の上に立てるだけの徳を習得します。
徳の心を一層自覚的にすることです。
それが聖に近づこうと徳のある道を歩む「道徳」なのです。
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ところで,聖人。
日本にもいます。聖徳太子です。
「道徳の徳の図」をよくご覧下さい。
聖徳の流れで子(人)を見ていることがわかります。
また,「太」には,「水の上に、人を両手でおしあげている形で、人を水没から救い、安泰にする意」(字通)という意味があります。
「水没」,つまり,遅れたり,道を外れたりしている子(人)のことです。
見捨てずに救い出そうとする行為が「太子」なのです。
道徳の徳とは,別名「聖徳太子」なのだととらえておけば,かなり良い把握ができます。

さあ,両手を広げてみましょう。天の声が聞こえるように。
さあ,両手を上に押し上げてみましょう。水没した子を救うように。
落ちそうになっている子どもや仲間を,
ひねくれてしまいそうな子どもや仲間を,
救えそうな気持ちになってきます。
聖徳の心で「徳のある道」を歩めるようにしていきましょう。
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「徳は孤ならず。必ず隣あり」(論語里仁第四)
この言葉を思い返すたびに,今からでも徳のある道を歩もうと自分に語りかけてしまいます。
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