Category Archives: 道徳読み

熊谷先生、丸岡先生、いいですね!

「道徳読み」に関するうれしい知らせが届いています。

熊谷先生はサークルで「道徳読み」の話をしたそうです。そうしたら、先生の中に関心を持った方がいたそうで、なんだかうれしい気持ちになりました。
私が熊谷先生に「道徳読み」を話したのは、懇親会の席上です。それでもわかる先生にはわかります。
きっとサークルの先生もわかる先生なので、2学期には「道徳読み」で授業を始めると思います。

丸岡先生もサークルのような学習会を夕方から開催したら、13名の先生が集まってくれたそうです。
「道徳読み」を2学期から実践してみたいという先生がたくさんいたそうです。
こちらも、わかる先生が集まってくれたようで嬉しいですね。

「道徳読み」にはいくつかの特徴があります。
その一つは、道徳を大雑把ですが、頭の道徳、体の道徳、心の道徳の3つに分けていることです。

体の道徳と言うのは、戦前、特に低学年に力を入れて教えられてきた行儀作法です。
形だけを真似しているだけでも十分いいのですが、なぜそうするのかと理由が分かったり(頭)、敬意(心)からその行儀作法が出てくるようになると、最高の行儀作法となります。

頭の道徳と言うのは、私がよく用いている学問道徳です。
勇気は大切だが、その心に義が無ければ、その勇気は暴力となる。というようなことが分かる頭を持つことです。
忘れ物をした子を見て、一番大事な忘れ物をしてはいないかと頭が巡ることも、学問道徳です。

心の道徳は、そのまま心の道徳です。特徴的なのは、「心は自分から」ということです。

こういう道徳の話を楽しんで語らえるようになると、徳のある道を歩み始めたことになります。
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8月26日のセミナー、好評に付き増席。でも残席4!

8月26日(土)のセミナーに「好評につき増席!!残り5名」と出ていました。
事務局の内田先生に尋ねたら、現在39名とのことでした。
そうして、残席は4席です。
40名前後のにぎやかなセミナーになりそうです。

このセミナーは主に山中伸之先生がお話をしてくれます。
毎年、数冊の本を出している優秀な先生です。
ハッとするところが次々と話に出てくるので、私自身がとても楽しみにしています。

私は2コマお話しします。
--横山験也の1コマ目---
15時00分〜15時50分 特別講座:横山験也先生
『道徳の教科化直前! 「道徳読み」で授業をしよう!』
道徳の教科化に伴い、来年度から本格的に教科書を使って道徳の授業をするようになります。主体的・対話的で深い学びの道徳を誰でも簡単に実践できるのが、「道徳読み」です。どの読み物教材でも授業できると評判です。この機会に「道徳読み」を学びませんか。
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今話題の「道徳読み」の話をします。
題材として「ブランコ乗りとピエロ」を使う予定です。
緩やかな模擬授業をしますので、「道徳読み」は使える!と思っていただけたら最高です!

もう一コマお話しします。
--横山験也の2コマ目---
17時40分~18時10分 特別講座②:横山験也先生
「算数ソフトで新感覚の授業をしよう!」
算数の教科書を自力で読める子を育てたいと思いませんか。算数ソフトを使った新感覚の授業でその道が開けます。算数ソフト『子どもが夢中で手を挙げる算数の授業』を使いながら子供達をあっという間に魅了する話術も体感できます。
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算数ソフトを使う授業です。
「算数の授業でどんな力を付けたいのか」という問いを出されたら、私は「教科書を自力で読める力」と答えます。
それには、算数ソフトを使うことが最適です。
そんな話を楽しく語ります。

あと4名の方が参加できます。
ちょっと気になるなぁという先生、ぜひお申し込み下さい。
<こちら>からお申し込みできます。

今日も論語を読みつつ、道徳の奥深さに感じ入りました。
道徳を好むようになっても、学問をして悟らないとダメですよ、というようなことが書いてあり、そうなんだよなぁとつくづく思いました。

『日めくり 教室論語』は良いですね。
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素麺塾での瀧澤先生、松島先生

野口塾の流し素麺。
とにかく一日がゆったりと流れます。
その間に、いろいろな先生方との話でにぎわいます。

瀧澤先生とは、道徳読みの話をしました。
瀧澤先生は、ここ数年、バンバン教育書を出している売り出し中の先生です。
先月出たのが、右の『国語の授業がもっとうまくなる50の技』です。
その中味は、野口先生を彷彿させる内容です。良い本です。

その瀧澤先生から、「道徳読み」で2学期から授業を進める先生が増えてきたと知らされました。
その中の1名は、校内研が道徳なのだそうです。
校内研が道徳になっていても、道徳読みで授業をしてみたいとのことです。
うれしいことですね。

「道徳読み」は校内研のテーマにそぐわすことも容易にできます。
柔軟に頭を使えばいいのです。
2学期にも瀧澤先生とは何度もお会いするので、その後の「道徳読み」が楽しみになりました。

松島先生が算数の発表をした後、司会者から「何か質問は?」と促されました。
国語や道徳のメッカである野口塾です。
そこに算数が出てきても、あまり関心が向かないだろうなと思っていました。
打ち切られるかなと思ったところへ、「文章題ができない子へ、どう取り組んだらいいのか」というような質問が出ました。

配られていた資料に1年生の文章題が事例として出ていたので、そこから誘発されて出た疑問と思います。

この質問にズバリと答えられる先生はそうそういません。
非常に内容が複雑だからです。
相手や場を考えて、どこを話すべきか決めないとうまいこと伝わりません。
そういう伝え方の良い練習になると思って、手を挙げて、ちょっとお話をしました。

話し終えると、良い感じの拍手をいただきました。
上手く話せたようです。
松島先生には特に響いたようで、その夜の算数談義につながりました。
良かったと思います。

8月26日のセミナー。残席が5となりました。
いよいよ満席が間近です。気になっている先生、お早めにお申し込みを。
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瀧澤真先生の「道徳読み」レポートがナイス

SG会に参加しました。
いつもながら、大量のレポートが出て、一つ一つに明石先生の的確な指摘があり、とても勉強になりました。
8月は例会がありませんが、9月は16日に開催します。しっかり、参加したいと思っています。

今回のレポートの中に、「道徳読み」がありました。瀧澤真先生のレポートです。
目を引いたのは、「道徳読み」と国語での読みとの比較が示されていた所です。
「道徳読み」の5つのパートと国語を比較してくれました。
これはとても分かりやすく、なるほどと思った次第です。

また、「道徳読み」のアレンジも記されていました。
これもありがたいことです。
「道徳読み」が次第に良い流れになっていると感じています。
うれしいですね。

明日は野口家での流し素麺塾です。
瀧澤先生も参加します。
少し、「道徳読み」について語らいたいと思っています。

熊谷先生からも『日めくり 教室論語』ニュースを受けました。
これも良い内容です。来週中に詳しく書きたいと思います。
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「忠告」の「告」のナイスな読み

16日(日)に開催される流し素麺野口塾in野口家。
いよいよ、今度の日曜日です。
23日(日)の流し素麺野口塾は、すでに満席ですが、16日の部はまだ少しだけ残席があるようです。
今からでも参加してみたい!と思われる先生、<こちら(山中伸之先生のブログ)>を御覧下さい。

野口先生の御自宅の敷地(かなり広い)を散策するのも楽しいです。
また、野口先生の書斎(と言っても、一軒家)を見学するのも楽しいです。
名人の進行形の仕事場を見学できます。
妙に胸打つものがあります。

今日もちょっと『論語』を再読していました。
「告」という漢字について、「しかと伝える」と出ていて、ちょっと響きました。
単に「つげる」のではなく、「確かに伝える」ということなのです。
すると、忠告は心を込めてやんわりと言いつつも、きちんと伝えるべきを伝えると言うことになります。
こういう解釈ができることがうれしいことです。

忠告のできる人が、「助ける友達」なのです。
「助ける友達」には2タイプあります。
1,困っている時、手を貸す。
2,悪い方に歩んでいる時、忠告する。
そうして、親しんでいる間柄が本当の善良な友達ということなのです。

やっぱり、論語は良いですね。
『日めくり 教室論語』もありがたいです!
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6年前の『現代教育科学』貝塚茂樹氏の論文、光っていました

2011年の『現代教育科学』4月号。
特集テーマが「「道徳教育」で伝えたいことは何か」。

あまりの暑さでちょっと休憩していた時、ふと、背表紙のこの文字が目に入り、サラッと読んでみました。
巻頭の梶田叡一氏と貝塚茂樹氏の論文、光っていますね。勉強量が違うということが、すぐに伝わってきます。

貝塚先生の論文タイトルは「修身科はいまだに精算されていない」です。
そこに、柔道の嘉納治五郎の考えが記されていました。
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嘉納によれば、そもそも道徳教育には、「邪悪正邪を明らかにする」智的な側面と、それを基盤とする意志の鍛錬と習慣の形成の側面が重要である(p25)
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読んですぐに、「これは道徳読みの解説か?」とも思いました。

「道徳読み」のパート2は、明らかに「正邪を明らかにする」活動です。しかも、言われてするのではなく、子供達が自分で見つけてくるのです。

「道徳読み」のパート5が目指しているのが、「意志の鍛錬と習慣の形成」です。自分自身に省みることで、人の意志は強くなるからです。

智的な側面」というのは「道徳読み」の「学問道徳」です。これを積むことで人の図に示した第二の天性(習い性)が「習慣の形成」となります。

貝塚氏は論の最後を次のように締めくくっています。
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修身科が問題点を抱えていたということと、修身科を感情的に否定するということは、そもそも次元が違う問題である。大切なことは修身科の功罪を検討することで新たな道徳教育の可能性を探ることである。その際、こうした修身科に対する批判のいずれもが、徳目を「教える」という道徳教育の本質的な役割を否定したものではないことは決して看過すべきはない。(p25)
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上から押しつける形で授業をしたら、道徳ほどやる気を失う勉強はないでしょうね。「心は自分から」というのが基本だからです。そこを押しつけてしまったら、うまく行くものもダメになっていきます。
それが戦前の修身の授業スタイルだったのです。

こういう事が分かると、指導法と徳目とを別物として考え進める必要がある事が分かります。まあ、そんなことはイロハなのですが、どうも戦前のことになると理屈抜きで全部ダメという考え方があります。頑固にはなりたくないものです。
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