Category Archives: 古典

NHK『花燃ゆ』を見ました

吉田松陰に関わる大河ドラマだったので,「花燃ゆ」の第1回目を見ました。

視聴された方は,かなり強いメッセージを感じたと思います。
それについては書かないでおきますが,
細かいところでも,随所になるほどと感心しました。

『孟子』妹(主人公)が諳んじて言った言葉は,『孟子』の一節で,学校について書かれたところです。
明倫館も出てきているので,よくぞここを選んだものだと,いたく感動しました。
せっかくですので,その一節を引用します。
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ショウ(まだれ+羊)とは養なり,
校とは教なり,
序とは射なり。
夏(か)には校といい,
殷(いん)には序といい,
周(しゅう)にはショウ(まだれ+羊)といい,
学は則ち三代之を共にす。
皆人倫を明らかにする所以(ゆえん)なり。
人倫上に明らかにして,
小民下に親しむ。
(『孟子 (上)』小林勝人訳注,岩波文庫)
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『孟子』には,「学校」という文字も出てきます。
私の知る範囲では,『孟子』が初出です。
明治時代の本にも,そのように書かれていた記憶があるので,きっと初出なのだと思います。

ドラマで示されていた学問への閉塞性。
これについては,同じような時代に書かれた『報徳記』にも,「これは太平の世のならわしであった」として,次のように記されています。
「国の習いとして,賢者・愚者を問わず,身分・俸禄の高下できびしく区別し,
高禄の家臣は微禄の家臣を下男のごとく見なし,
身分のある家臣は愚かな人であっても,人びとは彼敬い,
才智や人徳があっても身分が低ければ,人びとは彼を軽んじた。」

戦後の太平が続いている今こそ,大志を抱いて前進しなさいと教えてくれるようなドラマでした。
次回以降,見るかどうかは分かりませんが,私も遅まきながらしっかり学問をして,夢の実現に向けて進みたいと思いました。

友達の小出先生は,若い先生ですが吉田松陰の研究をしています。
2年ほど前の野口塾だったでしょうか。
休憩時間に彼は松蔭の書いた『講孟箚記』を読んでいました。
孟子について,松蔭が講釈した記録です。
その小出先生は,この日曜日に開催される実感道徳全国大会で発表されます。
気になるので,私も顔を出します。
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『国体の本義』を久しぶりに読みました

『国体の本義』いよいよ大晦日。
紅白歌合戦が始まっています。
学生の頃は楽しんで見ていましたが,今は見たいという気持ちも起こりません。
知らない歌手がほとんどで,歌はさらにわかりません。
自然,いつもと同様,仕事を進めています。

プログラムの途中,本棚を見たら,隅っこに良い感じの本がありました。手にとって見たら,『国体の本義』(文部省)でした。
以前にも読んだのですが,一言で言うとどういう事なのか,よく分かりませんでした。
多分に,素直に読む力が弱いのです。
検めて読んでみると,なるほど!とすとんと入りました。

大事なことは,「本を立てて末を生かす」ことです。
本だけしっかりしていればいいのではなく,末だけ良ければいいのではなく,本をしっかりさせることで,末がいっそう良い形になるように歩むことなのです。
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今年も良い一年でした。
驚くようなことが起こり始めています。
それもこれも皆さんのおかげです。ありがたく思っています。
ますます「本」をしっかりさせ,「末」が躍動するよう,粛々と前進したいと思います。
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木更津技法研の第2回修養会

『二宮尊徳』年明けは,作法の話で始まります。

第135回 野口塾 IN 相模原 1月10日(土)
私のテーマは「明治人の作法」です。
第136回授業道場野口塾 IN 木更津 1月17日(土)
私のテーマは「卒業式の作法 儀式とは何か」です。

そこに向けて,少しずつ準備をしていたら,木更津技法研の第2回修養会で「二宮金次郎」について,話すことになりそうと連絡を受けました。
まあ,実際には話をしないかも知れませんが,良い機会のなで本棚にあった『二宮尊徳』を再読しました。

二宮尊徳と言えば,少年時代の銅像が有名です。
戦前の小学校の象徴のような存在でした。
ですので,細身で小柄,清貧。
そういう印象がつきまとっていました。
こういった印象が勝るのは,調べるように勉強をしていないからです。
「学び薄ければ,印象勝る」

二宮尊徳は身長180cm超,体重90kg超の大柄の人です。
体格が良いと,その体格を活かして・・・となりがちですが,尊徳はそういう生き方はしませんでした。
どう生きたのでしょう。
皆さんも,休み中に修養となる本を読まれてはいかがでしょう。
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1月10日の相模原。
「明治人の作法」について話します。
1,作法とは何か。
2,なぜ明治人なのか。
3,諸作法と作法の考え方。

一番難しいのは,1の「作法とは何か」です。
どういう面から見るかによって,いろいろと言いようがでてきます。
そこを人生という面からみて話す予定です。
人生から見るというのは,作法を真っ正面から見る見方です。
作法は奥が深いです。
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「忠実に働く」と言う言葉を手帳に書いています

事前学習法セミナーin東京の様子について,藪田副会長がブログにアップしてくれています。
ぜひ,お読みになって下さい。
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今週の土曜日は,明石先生の事務所でSG会です。
久しぶりに参加してきます。
23日(祝火)は,神戸で開催される野口塾に参加してきます。
神戸では,事前学習法についても少しお話しすることになるような気がしています。
お近くの先生,ぜひお越しください。
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「忠実に働く」
手帳には自分の好きな言葉を書き込んでいます。
この言葉は,この1年間使っていた小さな手帳の裏表紙に書いてあります。

宴会文化の席で,希に手帳を出すと,この言葉が目に付きます。
近くの若い先生に,「これ,なんと読むか?」と問うと,
たいていは,「ちゅうじつに働く」と返ってきます。
意味は,そういうことなのですが,読みはちょっと違います。

この言葉,別の書き方をすると,「老実に働く」とも書きます。
「忠実」も「老実」も読み方は同じで,意味も同じです。

「忠実に働く」は,「まめに働く」と読みます。

なぜ,忠実がまめなのかは,分かりかねます。
忠実な姿はまじめな姿なので,「まじめ」という言葉とつながりがあるのではないかと,憶測しています。

まじめにやっていれば,良いことはあります。
できれば,それを一貫してやり続けることが大切と思っています。

「吾道は 一以て これを貫く」(論語)
この言葉も好きです。
一貫です。

忠実に一貫して仕事をすることが,その人に相応しい未来を作ってくれるのだと思っています。
算数の道を歩み続けてきて,今,なんだか良い感じです。

西村茂樹氏の『日本教育論』

昨日,記した西村茂樹氏。
道徳を専門としている先生方の中で,歴史的にも学んでいる先生は,一度はチェックをされたことがあるのではないでしょうか。
文部省編纂局長として『小学修身書』を著した方です。
近代道徳の祖とも,小学校道徳の祖ともとらえられる,重鎮です。

その西村茂樹氏は,明治23年に『日本教育論』を講演しました。
それが,本として伝えられています。
この『日本教育論』の中に,論語の一節が2カ所出てきます。
その一つが,孔子の教育思想を現した部分です。

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子曰く,
憤(ふん)せずんば,啓(けい)せず。
悱(ひ)せずんば,発せず。
一隅(いちぐう)を挙げて,三隅をもって返らざれば,
則(すなわち)ち復(また)せざる也。
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学びたい心が膨らんで来たら,ひらき導きましょう。
蓄積されて言いたくてしょうがなくなったら,ひらき導きましょう。
一つの隅(すみ)を持ち上げれば,たくさんの隅(すみ)が持ち上がりますよ。
でも,そうならなかったら,まだ1つの隅が熟されていないのですよ。

とまあ,こんな意味です。

この教えは,算数ソフトを使って授業をしているときの様子とよく似ています。
ひとたび,算数ソフトを使って授業をすると,子ども達は,また明日も算数ソフトを使って勉強をしたいと望んできます。
これが,「憤している姿」です。
こういう状態になったら,先生が教えたい方向へ導くことができます。
また,ソフトを繰り返し見ている内に,十分な蓄積がなされ,何かしら気づいたことを言いたくなってきます。
これが,「悱している姿」です。
こういう状態になったら,発言をさせ,教科書を見せ,導くことができます。
ソフトが滲透し始めた頃,よく,城ヶ崎先生がこういう様子を語ってくれていました。
ソフトを使うと,勉強したがる。
同じソフトを何回か繰り返すと,何か言いたくなってくる。
そんなとき,良い感じで指導が入れられるということです。

算数は「一を聞いて十(たくさん)を知る」勉強です。
1つの「きまり(原理)」をしっかり理解すれば,それを使って,たくさんの問題を解くことができるようになります。
これが,「一隅を挙げて,三隅(たくさん)をもって返る」です。
でも,三隅(類似問題)に取り組ませても,それがよくわからない場合は,もとの一隅(きまり)がしっかり習得し切れていないのですよと,孔子は教えてくれています。

明治16年に『改正教授術』が世に出て,大ヒットしています。
この本に出ている新しい指導法は,それまでの暗記中心の指導法とは異なり,子ども達のやる気を起こす方法でした。
子ども達の能力の開発するので,西村茂樹氏は「開発法」と述べています。
これが,孔子の教育思想と同じなのだと述べています。
西洋・東洋,互いの良いところを教育に取り入れましょうと,非常に先進的な考えが記されているのが『日本教育論』です。

「憤している姿」になる指導。
「悱している姿」になる指導。
目指していきたい姿ですね。

墨子の中の算数

仕事の合間に,『墨子』を読み返しました。b8352
孔子の100年ぐらい後の人です。
言葉の定義で算数に関することも書いています。
そこを,もう一度読みたいと思って,この本を開いたのですが,この本には少ししか載っていませんでした。
そこで,平凡社の東洋文庫の『墨子』を読みました。
これは,本ではなく,ジャパンナレッジで読みました。
読み下し文しか載っていないのですが,文章が実に読みやすく,藪内清さん,最高!なんて思いました。

それでも,算数の定義は,やっぱり少しでしたが,そういう論理的なことを書いていること自体に驚きます。
倍も自在に使われていました。分数も1カ所出てきました。
たいしたものです!

2300年ほども前に,これだけのことを考えていた人が中国にいたことが,驚きです。その当時の日本は・・・。文字で残っている情報がありません。
日本書紀ができたのは,墨子の1000年後です。
日本書紀の内容と,その1000年前の墨子を比べても何にもなりませんが,日本は文章での表現・論理で,ものすごく出遅れていた国だとわかります。

出遅れていても,江戸時代以降,学問の振興策がとられていたので,今やすばらしい状態になっています。
「学問の出遅れは,跳ね返せる」のです。
1000年の出遅れが日本なんですから,今,出遅れている人は,極めて日本的といえます。
今からでも,自らの学問振興を実行しましょう。
きっと,大きな力がついてきます。