Category Archives: 作法

玄関の靴をそろえる宿題

b8098家の玄関の靴をそろえる宿題。
これを続けている内に,玄関の履き物はそろっていないとちょっといやだなという気持ちが生じてきます。
整っていると美しいと感じる心。
整頓されていると美しいと感じる心。
この心を玄関を見ることで,感じるようになるのです。
そう感じる子が一人でも出てきたら,宿題を出した甲斐があったというものです。

多くを望む必要はありません。
それでも,普通の宿題では得られない思わぬ良いことが出てきます。
禁欲的に,玄関の履き物に焦点を絞って,宿題を出していきましょう。

『行儀作法の教科書』次第に,靴の脱ぎ方などにも興味を持ち始めて来ます。
「入り船で入り,出船で出る」
まだ,ことわざになるほど普及していませんが,こういう言葉もあります。
前を向いて靴を脱ぎ,手で靴の向きを変える。
これが昔からの履き物の作法です。

こういう作法も教えてもらえるなら,教えて欲しいという気持ちが高まってきます。
知れば知るほど,知りたくなるのが文化です。
宿題に余裕がある先生,ぜひ,玄関の靴をそろえる宿題を出してみて下さい。
懇談会もちょっと変わりますよ。
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チーム算数を開催!

「チーム算数」を開催。
参加者は,城ヶ崎先生,佐々木先生と私の3人。
資料が何もないまま3時間ほど語り合いました。

今回の話題。

1,年度末に退職した先生
2,城ヶ崎先生の本がはやくも増刷
3,有田先生の算数ネタ
4,学年のそろえどころ
5,保護者向け話「飲み助さん」
6,アフリカの算数事情(思考ツール学習の不足)
7,新学期に出す「作法の宿題」
8,教師である前に労働者であるという意識の構造的欠陥
9,聖と徳の話
10,スーツ・ワイシャツの話

3の「有田先生の算数ネタ」,その場でザザッと説明しただけですが,実力者の城ヶ崎先生,佐々木先生が,「さすが,有田先生!」と唸りました。驚異的な算数の指導です。
来月2日(土)に神戸で開催される「有田和正継承セミナー」で,参加者の先生方に実際に行っていただく予定です。
算数が好き!という先生,ぜひ,お越しください。

7の「作法の宿題」は,このブログにも先日書いた物です。
「家の玄関の靴をそろえる」という宿題を連日出していくと,親に喜ばれ,子どもも変わってくるという取り組みです。
腕の良い城ヶ崎先生,佐々木先生は,かなり発展的に取り組めると思います。
留意点は,ただ一つ。宿題の範囲を広げないことです。
規定量を少なめに設定すると,「子どもが進んで行う」場面が増えます。
この宿題は,言葉を換えると「善行の勧め」です。
玄関の履き物を1か月でもそろえ続けたら,玄関の善が身につき,玄関を見る目が変わってきます。

5の「飲み助さん」の話は,「いい話だ!」と感動が広がりました。
1分ほどで終わる話ですが,実に奥深い内容です。
改めて,書いていきたいと思います。
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5月9日(土)は,「第3回事前学習法セミナーin大阪」です。
上に書いた5番「飲み助さん」の話,7番「作法の宿題」などは,事前学習としてしっかり行っておきたいところです。
事前に何をするか。あらかじめ,何を教えておくか。こういうところの意識を強く持つことが,良い実践を次々に産出する基なのだと思っています。
事前学習法のセミナー,ぜひ,お越しください。
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『コドモノシツケ』

コドモノシツケ書名がいいですね。
そのものズバリ,『コドモノシツケ』です。

中を開くと,時代の気合いを感じます。
この本は国民学校の時代に発行されていた作法の教科書です。
利用年限が短いので,発行部数も少なく,今となってはなかなかお目にかかれない本です。

また,戦後になると,作法は授業がなくなりました。
作法の本も小学校で使われていません。

結果的に,小学校で使った最後の作法の本として位置付いています。
資料的価値はかなり高いです。
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新学期。
姿勢の指導をされている先生,「今度の先生は,立腰の先生!」と子ども達に言われるぐらい粘り強く進めて下さい。
授業参観観で親御さんがきっと喜ばれます。
立腰の森信三先生もきっと喜ばれます。

そうして,1年生の先生。
時々,「日本の昔話」を語っていただけますか。
長年語り続けられてきた昔話には,孝行とか敬愛とか難しい言葉を言わなくても,日本人が大切にしてきた感情や感覚が込められています。語ることで,子ども達の心にじんわりと伝わっていきます。
お話を語ることで代々伝えられてきた日本人の感性ですが,今,学校の先生が語らないととぎれそうな様子になってきています。
姿勢と同様,取り戻していきたい日本の教育文化です。
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作法の宿題

いよいよ3月31日です。
大学時代の同期が,本日を持って,みんな退職です。
私達の時代はこれで終焉です。

時代が終わったということは,やらねばならないことが0に近くなった,ともとらえることが出来ます。
0ぐらいで普通となります。これがわかると,退職後はやりやすいです。
ちょっとでも良い感じになれば,すぐにプラス(立派)となるからです。

もうすぐ新年度がスタートします。
学校での勉強もはじまります。
自然,宿題も出るようになります。

新年度の宿題に何を出すか。
そんなことを考える先生は普通いません。
宿題は成り行きで出てくる傾向が有るからです。

私が出した宿題でもっとも喜ばれたのは,作法の宿題です。
帰りの会で,明日の予定を板書します。
続けて,宿題を書きます。

「宿題:玄関のはきものをそろえる。」

この手の作法の宿題を出されたことがないので,子ども達はビックリします。
「先生,それが宿題ですか」と疑いの声を上げる子もいます。
驚く子ども達に,玄関は家の顔であることを話し,靴がそろっていると,それだけで「良い玄関」となり,「良い家庭になる」ことを話しておきます。

この宿題を毎日出します。
根気よく出します。
すると,「先生,私は玄関を掃きました!」とサプライズをつけて作法を実践する子が出てきます。
「必ずやる」という範囲が小さいと,すぐにプラス(立派)が生じるのは自然の摂理です。
嬉しそうな顔をして褒めたくなります。
善行を自然に行い,それを自然体で褒める。
この流れが生じるのが「作法の宿題」です。

また,ちらりほらりと,お母さん達からの喜びの声が届くようになります。
「先生に教わってから,うちの子が玄関をきちんとしているんです。」
「先生,続けて出してください。家でも躾を教えたいと思います。」
喜びと共に,継続を願うお母さんもいます。
「よかったですね」とか,「はい,続けるようにいたします」と,返事をします。

また,「先生,もっと範囲を広げてください」とお願いをされるお母さんもいます。
こちらは,残念ですが,応じないようにします。
代わりに,靴をそろえること以上の作法をしたら,それを「進んでやっている善行」という目で見てもらえるように話します。

孟子玄関の靴をそろえるという宿題は10秒もあれば,終わってしまう宿題です。
実に,容易な宿題です。
それでいて,家族全員のことを考えるあれこれが心にわき出てきます。
続けることで,何かが変わってきます。
孟子に「道は近きにあり,事は易きにあり」とあります。(離婁(りろう)章句上)
言い得て妙です。

「道徳は善行の繰り返し」なのだとつくづく思います。
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凜とした卒業生!

野口先生写真は,「日本人の誇り」を語る野口先生です。
染み込みますね。

感動的だったのは「和(あ)え物」のお話です。
日本人は異国の優れた文化を取り入れて,熟成させ,自国の文化としてさらなる発展をさせる名人です。
それを,料理の和え物にたとえてお話下さったのです。
得心いたしました。

このセミナーの会場に東京の山﨑先生が参加されていました。
「横山先生がここに参加するというので,急遽参加しました」と,心暖まる言葉をいただきました。
「卒業式が無事に終わりました。他の先生から,かつて無い凜とした卒業生だった」とほめていただいたそうです。それを報告したくて,わざわざ来てくださったのです。
しばし,目頭が熱くなりました。

山﨑先生は20代の先生です。
20代で学年主任。同学年の先生は更に若い先生が2名です。
卒業式は普通に指導できれば,それで十分と思えます。
しかしながら,山﨑先生は違いました。
卒業式に関わる作法をしっかり勉強しました。
それが,「凜とした卒業生」として,列席の先生方の目に映ったのです。
学んだことが,成果として出ました。
そうして,何より嬉しいことは,それを同僚の先生が褒めてくださったことです。
こういう学校,良いですね。
--『子どもの作法』
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授業づくりネットワーク春集会で面白かったこと

授業づくりネットワークの春集会に顔を出しました。
自分の講座があるわけではありませんが,千葉大で開催とのことなのと,藤川先生とも久しぶりにお会いしてみたいと思い,一日受講しました。

分科会が2回ありました。
1回目の分科会は,テーマで決めました。
「教室のルールづくり」です。
2回目は流れで「『教室』を考える時に若手が直面していることは何か」の教室に行きました。

面白かったのは,近場の人との話し合いです。
話し合いの中身が面白かったのではなく,話し合いに参加している自分の不可解さが面白かったのです。

その場に居合わせた3人とか4人ぐらいで感想を語る場面が,結構多くありました。
見知らぬ人と話すのです。そんなとき,いきなり話し始めるのも何か違和感がありました。まずは,ご挨拶でしょうと,名刺を差し出し,「さくら社の横山です」と一般的な挨拶をしました。

この名刺を出すことをした自分の行為が面白かったのです。
なにしろ,講師の先生のお話を受けて,その事について話し合うのが目的の時間なのです。それも短い時間です。ご挨拶をしている暇はありません。
また,挨拶は話し合う内容に何ら関わりません。ある意味,話し合いの妨害になります。
それは分かっているのですが,それでも,自然と名刺を出して挨拶をしている自分がいるのです。

名刺を出す順番は,普通は用のある人の方から出します。わざわざ御対応をしてくださり,ありがとうございますという感謝の気持ちを伝えつつ,自分がどこの誰なのか名乗ります。
今回はフロアの席なので,誰から誰へと用事があるわけではありません。こういう時は,長幼の序で年齢がそれなりに幅をきかせてきます。
ですので,目上が先に名刺を出すというのは,自然ではありません。
これも分かっているのですが,明らかに年上の私が先に名刺を出しています。

小学校の先生は,廊下でのすれ違いざま,子ども達より先に「おはようございます」と挨拶をします。朝出会ったら朝の挨拶をするんですよ,ということを行動で教えているわけです。
ここに,作法の形を変えてでも挨拶の重要性を教える仕事人,それが先生なんだ!という先生観がでてきます。
私が名刺を先に出してしまうのは,もしかしたら,私の中にこの先生観がまだ残っているからかも知れないと,フッと思ったのでした。

名刺を交換したというだけのことですが,それを思い返すにつけ,妙な面白さを感じています。
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名刺と言えば,若い頃,かなり面白い名刺を作っていました。
学習ゲームを研究していた頃は,名刺に歴史人物モンタージュを印刷して,かなりのインパクトを与えていました。木を薄くスライスした名刺があることを教えて貰った時,早速,自分もそこに注文をして作ったこともありました。珍品名刺の感があり,これも楽しかったです。

今は,極めて一般的な,特に何の特徴もない名刺を使っています。
中庸の教えを良いものだと感じ取れる年齢になったような気がしています。
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