Monthly Archives: 3月 2015

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28日(土)は「算数スタートダッシュ!セミナー」です!!

来週の土曜日(3/28)は,東京の水道橋で,「算数スタートダッシュ!セミナー~算数ソフトを授業開きに~」です!!!

今から,開催が楽しみで,わくわくしています。
藪田顕嗣先生 「子供が前のめり!事前学習法×算数ソフト!」
丸岡慎弥先生 「算数ソフトで先生は銅像に~事前学習がすべ~」
佐々木智光先生「算数ソフトをさらに楽しく使う小技」     
佐藤宗巧先生 「算数、年間学年全員満点のミラクル」
奥田吉彦先生 「算数ソフトの三段活用」
藤本浩行先生 「クラス全員100点をめざす!算数授業づくり ~教材教具、デジタル教材の活用~」

豪華メンバーで,中身の濃い話が聞けそうです。
私もお話をしますが,それ以上に,実践を通してつかんできた話の方が内容が楽しみです。

藪田先生,佐藤先生は,まだ二十代です。
若いですが画期的な話が聞けそうで,今から楽しみでなりません。
藪田先生は事前学習法の研究者です。同じ事をするにしろ,事前に何をするかで成果は大きく変わってきます。その事前学習法に算数ソフトがプラスされて登場します。期待が大きくふくらみます。

佐藤先生は,学年のテストで平均点100点を1年間連続しています。
これは偉業です。
そういうクラス全員が100点を目指す算数の授業作り。その話をしっかり聞くことが出来ます。

お時間のある先生,ぜひ,セミナーにご参加下さい。
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「屋根」になぜ「根」がつくのでしょう??

屋根調べ物が一つの仕事のようになっています。
調べを進めていると,フッと,思わぬハテナが生じてきます。
今日も,そんなことがありました。

右・左について調べていた時のことです。「左ぎっちょ」という言葉が出てきました。
小さい頃からよく使っていた言葉ですが,教師になり,「ぎっちょ」には,少々蔑視するような感覚を感じるようになっています。

左ぎっちょというのは,左手が器用ということで,「左器用」が転じて「左ぎっちょ」になったのだそうです。ぎっちょは器用という意味だったのかと思いつつ,「左器用」と声に出すと,あまり蔑視感が出てきません。
だからといって,左ぎっちょの持つ蔑視感はぬぐえませんが,言葉の感覚というのは,誠に不思議なものだと思った次第です。

そうこうしているうちに,「屋根」が気になりました。
屋根は家の高いところにあります。
高いところにあるのに,使われている漢字は「根」です。
なぜ,高いところにあるのに「根」が使われているのでしょう。

「垣根(かきね)」という言葉があります。
これに「根」が着くのは分かります。
石で作った垣は石垣ですから,垣というのはへいのような物であり,それが地面に埋まっているから垣根なのだと理屈が通ります。

でも,ここから先が分かりません。屋根は屋という物があって,それが地面に埋まっていて・・とはならないからです。

さて,ここまで書いたのを読んだ皆さんの中には,「あっ!」とひらめきが出た人もいるかもしれません。きっと,歴史が好きな先生だと思います。

家の構造が歴史を通して変化しているのです。
竪穴式住居の時代の家は,今の家の屋根だけで構成されています。
まさに屋(いえ)が地面に埋まっている状態です。これが屋根だったのです。
ですので,昔は屋根が家を表していました。
そこに柱や壁ができ,土台ができ・・・と変化し,今や屋根は家の上にある物となっています。

屋根という漢字は3年生で習います。
来年度,3年生を受け持つことになったら,黒板に家の略画を描いて子ども達に見せていくのも,楽しいですね。
(「屋根」の語源は,『日本語源大辞典』小学館で調べました。)
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いかにもそれらしく!

二宮神社二宮神社の屋根です。
国語の教科書の説明文のような「これは,屋根です。屋根の上には棒のような珍しい物が飾れています。これは,何の屋根でしょう。」と,問いかけるまでもなく,神社の屋根だと分かります。
丸太のような形をしている棒を鰹木と言い,板状のものを千木といいます。

こういう「いかにもそれらしい」という姿,私は良いものだと思っています。

二宮神社を参拝した日,セミナーに参加した皆さんと道を歩いていました。
途中で,自転車をひいているおじいさんから,「どこから来たのですか」と声をかけられました。それに応えていると,おじいさんは「先生方ですか?」と尋ねてきました。
私達は先生らしく見えたのです。
大方の男性は土曜日ですがネクタイをしていました。その上,あちこちを見聞するように歩いていました。
こうしたことが,他の人の目から見て,先生らしく見えたのでしょう。
ほんのりとした心地よさを感じました。

二宮神社しめ縄も実に良かったです。
これより先は神様のおられる神聖な世界です。私達のいる世界との境目を表してます。結界です。

このしめ縄は,日本書紀に出てきます。神代上。
天照大神が天の岩戸に隠れ,みんなでお祭り騒ぎをし,ちょっと岩戸をあけたとき,手力雄神(たちからをのかみ)が手をとって引き出しました。その後,中臣神(なかとみのかみ)・忌部神(いみべのかみ)が端出之縄(しりくめなは)を界(ひきわた)しました。
しめ縄のはじまりはこの時のこととされています。
しめ縄にも長い歴史があり,それがしっかりとした姿として,現代にも続いています。
しめ縄を見ても,神社だと感じられてきます。

二宮尊徳記念館で勉強をしてきましたと御奉告させていただきました。
とても良い一日でした。
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立腰の辻先生,植田先生!

二宮尊徳生家二宮尊徳記念館での修養セミナーは,金次郎の生家見学からスタートしました。
生家は茅葺きなので,月に2回,いろりに火を入れています。
何でも,虫の駆除と,もう一つ大きな効果があるそうです。
偶然ですが,この日は,いろりに火を入れる日でした。ですので,火のついたいろりを囲んで,記念館の方のお話を伺うことが出来ました。

いろりの火にあたりながら,お話を聴いていたのですが,これが思っていたより暖かいのです。建物の戸は開いているのですが,それでも,暖かく,寒さを感じません。
火との距離が,ほど良くできているのだと感心しました。

会館に入り,ビデオを視聴。
それから,会館の方のお話を拝聴。

辻学級そうして,研修室に移動し,私の話からスタートしました。
その後,お昼をいただきながら,木更津技法研の先生方の発表です。

最初は辻先生。
卒業式練習のまっただ中だったためか,立腰の話でした。
辻先生のクラス(5年生)の正面黒板の上には,ごらんのように立腰の絵が掲示されています。
この絵の伝わりを更によくするために,「常に立腰」と辻先生が掲示されました。
卒業式の練習も,その初回に立腰をキチッと指導されたそうで,一気に子ども達の雰囲気が高まったそうです。

次の発表は植田先生です。植田先生は,昨年度は在校生の卒業練習の指揮をとったそうです。立腰でしっかり進めたら,練習時間が2時間ほどあまったそうです。
今年は卒業生の担任です。
「小学校最後の日を,最高の姿勢で終わりにしたいか,だらっとした姿勢でおわりにしたいか」と,価値ある選択を子ども達にしてもらったら,みんな最高の姿勢で臨みたいとのことでした。

『子どもの作法』立腰教育を推進実践する先生が,少しずつですが増えています。
立腰は,ただそれを行うだけも,人格形成に大いに役立つ教育です。
年度末を,キリッとした姿勢で終わることが出来たら,いいですね。
終わりよければ,すべて良しです。

立腰教育や小学校作法を推し進めていく時のバイブルになるのが,野口芳宏先生の『ちゃんとができる子になる 子どもの作法』です。もうすぐ,発売になります。楽しみです!
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二宮尊徳記念館での修養セミナー

野口芳宏先生木更津技法研の第2回修養セミナーに参加してきました。

学校では「研修」が行われています。野口先生は「研修は研究と修養を合わせた言葉。研究は他者改善。修養は自己改善」と常々お話しされています。

自分を改善しようとするセミナーと,他者を改善しようとするセミナー。
そこに参加する時,どちらの方が身を律すべきか。それを考えさせられる場面が,今回の修養セミナーでありました。

修養セミナーというのは,その本質はどこにあるのかと考えると,行き着くのは,「心の入れ替えをする場」と理解できてきます。
これまでの自分自身を省みて,何かしら未熟を感じるところがみつかり,そこを改めてこれより先を歩んでいきたい。そう思える何かをつかんだ人は修養セミナーに参加した甲斐があるというものです。

事前学習法を研究していると,何事にも事前の一策を講じたくなります。
私なりに,「心の入れ替えをするぞ!」といった意識を持って臨んだので,また,少し前進できました。
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野口先生のお話の中に,「居は気を移す」の話がありました。孟子の言葉とのことです。
居というのは居るところの地位。
気は気品。
高い位に立つと気品を変える,という意味です。
先生という地位に立つと,それに応じた気品が備わってくるというこです。

とは言うものの,これもその自覚が無いと,教師でありながらも教師であるまじき様相となります。心の入れ替え・自覚が肝要です。
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孟子の言葉が出たので,家に帰り調べました。
居は気を移し,養は体を移す」(『孟子』第13巻 尽心章句上 36)とありました。
居るところの地位が気品を変え,栄養が体を変えるという意味です。
孟子の時代に,既に言われていた慣用句だったようです。

居→気・・・変化を起こす!
養→体・・・変化を起こす!

これは,いいですね。
居(身なり)・体(姿勢)を整えると,気(心),養(豊かさ)に変化が起こり,
気(心),養(豊かさ)を整えると,居(身なり)・体(姿勢)に変化が起こる。
こうなるからです。
内と外が互いに作用しあうことで,人間として磨かれていくのだと強く感じます。
この作用とて,意図的に続けず放っておくとすぐに崩れてしまい,悪い方向に変化が出てしまうのです。
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次回の修養セミナーの方向が少し話に出ました。
山口の吉田松陰,千葉の伊能忠敬。
どちらも,学び甲斐の大きい偉人です。
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楽しく教える先生,父母のよう

b8130修養セミナーの準備がほぼできました。
文献からの話なので,あれこれページをめくりました。
そうして,これを使おうといくつか定め,ほぼ終了です。

読んだのが古典だったので,いろいろと勉強になりました。
その中で,『孝経』に出てくる一節「愷悌(がいてい)の君子は,民の父母」という言葉が,良い響きで心に残りました。

「愷」は楽しむ。
「悌」は易(やわ)らぐ。
楽しくって,和らいでいる先生に教わったら,子ども達にとってその先生は父母のようになりますね。

楽しくて,懐が深い先生は良いですよね。
少々の失敗をしても,ガハハと笑って,一言言って終わりにしてくれます。
良い感じでクラスは前進します。

昔,有田先生がセミナーでイソップ童話の北風と太陽の話をしてくれました。
旅人のコートをどちらが脱がすことが出来るかということになり,北風が最初にチャレンジ。
風をビュービューと送ると,コートは飛ばされそうになります。
でも,旅人はコートが飛ばないようにしっかりとにぎっています。
とうとうコートを脱がすことは出来ませんでした。
次は太陽です。ホカホカと暖かくしていきます。
すると,旅人は次第に暑くなってきて,コートを自分から脱いでしまいました。

楽しくて懐の深い先生は,太陽のような先生なのだと思います。
子ども達が先生の願った方向に自分から歩み始めるからです。
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明後日は,修養ツアーです。とても楽しみです。
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