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「道徳読み」塚田先生から嬉しい知らせ!

野口塾の重鎮、塚田先生から「道徳読み」に関わるメールをいただきました。

「道徳読み」の講座、これから益々注目されることと思います。
『道徳教育』誌にクラスでの実践をちょこっとだけ紹介させて戴きました。
11月号掲載予定です。

講座で話を聞いただけで、すぐに実践をしてくれ、さらに雑誌へ。
有り難いことです。

丸岡先生が、
・毎日新聞に「道徳読み」を紹介。
・道徳の学会で「道徳読み」を発表。
してくれました。

1度しかあったことの無い熊谷先生は
・サークルで提案。
してくれています。
広山先生も、瀧澤先生も同様に
・サークルで提案。
してくれています。

これに、塚田先生の
・教育雑誌に「道徳読み」の実践。
と続きます。

実践や発表、提案をしてくれる先生方がたくさんいてくれているこの状況がとてもうれしいです。

私が願うことは、道徳の専門家の先生でなくても、良い道徳の授業ができる時代を迎えることです。
そういう授業の一つの形を作り出せて、とてもよかったと思っています。

さて、明日は鎌ヶ谷市の小学校で、時間があったら「道徳読み」の話をします。
26日は、山中先生のセミナーで「道徳読み」の話をします。
27日も話しますが、かなり簡略されると思います。
その先は、当分ありません。
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山本正実先生が御登壇!

10月7日(土)に栃木県の宇都宮で、授業道場野口塾in宇都宮が開催されます。
このセミナーの午後一番は「実践発表」です。
そのメンバーが良いですね。
(1)山本正実先生
(2)須永吉信先生
(3)松島広典先生
(4)?

山本正実先生が久々の御登壇です。
流しそうめんで久しぶりにお会いしたのですが、いろいろなことを知っていて、新しい感覚に目覚めている感じでした。
どんな話をしてくれるのでしょうか。

都合がつくかどうか、イマイチわからないのですが、できるだけ顔を出す方向でいます。

山本正実先生の御著書、『伝わる伝わる見える指導』は、Kindle版も出ています。
見せ方ひとつで、伝わり方は大きく変わります。
山本先生の工夫は、大いに勉強になります。
お勧めです。
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今週末の26日の山中伸之先生のセミナー、残席が6となっています。
まだ、間に合います。
私の話も2コマあります。
どうぞ、御参加下さい。
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「道徳読み」の「省みる」のその後で

熊谷先生が、「省みる」と「省く」にどことなくつながりがありそうだということをメールで話してくれました。
こういう思いは、鵜呑みにする学習から思考する学習へと歩みを進めてくれます。

「道徳読み」のパート5の「省みる」と、「省く」は、言われてみて、確かに通じるものがあるなと感じます。

普通の振り返りだと、今日勉強したことを、黒板やノートを見ながら、あれこれ思い返し、あれも勉強した、これも勉強したと、できるだけたくさんのことを書きつづる方向になります。省かない方が良い感じになります。

「省みる」は、心にグイッと来たことを1つ記す程度です。
他のことも大事なのですが、特に心に響いたことに厳選して書きます。
省けるところを全部省いているとも捉えることができますね。

たくさんの現象を記すことと、一つだけを心に落とすこと、どちらが道徳として良いのかと問うてみるのも面白いです。

うそに2つの種類があることをご存じでしょうか。

一つは、皆さんもよく知っている普通のうそです。
「宿題やったの?」と言われて、宿題が出ているにもかかわらず、「今日は宿題が出ていない」と言ってしまうようなうそです。
どちらかというと、人に向けるうそです。
他との関わりがあるので、比較的ばれやすいです。

もう一つは、「言行一致」に関わるうそです。
ゴミを拾いましょうと指導しつつ、廊下に落ちているゴミに気づきながらも無視する。
こういううそです。
若い頃の自分なので、恥ずかしい気持ちが湧き上がってきます。
言うことと行いが一致していないのです。
こちらは、自分へのうそです。
自分の心の中での思いなので、人に知られにくいです。

「省みる」で一つだけ心に落とすように書くことは、それを続ける内に、自分自身の中に「言行一致」の意識が芽生えてくるからです。
ノートに書いたことと自分のちょっとした行動が、ふとした時に気になるようになってくれたら、それはまさに生きた道徳となります。
格好良く言えば、修養の始まりであり、道徳の道を歩み始めたともなります。
悪い道には入りにくいです。
こういう意識がほんの少しでも芽生えてくれたら、道徳の授業をして良かったとなりますね。
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「チーム算数」開始日でした

チーム算数の開催日でした。
いつものジョナサンに着くと、全員がすでに来ていて楽しく語らっていました。
良いですね。

ダンゼン光っていたのは、藪田先生の家訓冊子です。
一つ一つの家訓が勉強になります。

輝いているなぁと感じた家訓を一つ御紹介します。

一寸長くなる楠の木には大木あり
一丈長くなる梅の木には大木なし
(多胡辰敬『多胡辰敬家訓』)

コンスタントに少しずつ。
そういう成長が大木への道。
かくありたいですね。

佐々木先生からはプログラミング研修のテキスト。
スクラッチを用いての研修です。
その手順が分かりやすいです。

スクラッチは無料で、ソースも見ることができるとのことでした。
どんなソースになっているのか、私の関心はそこに向きました。
そうしたら、すぐに小路先生がネットで調べてくれ、Squeakという言語がつかわれているとわかりました。
時間のある時に、ちょっとスクラッチをいじって中のソースを見てみたいと思います。

また、佐々木先生から「パスポートのトリビア」が提示されました。
日本のパスポートも探るといろいろと深い意味があることがよく分かりました。

私からは道徳の話。
右のような印刷物を配ったのですが、あまりに内容を略しすぎていて、話す私も上手いこと話せませんでした。

それでも、この4つの言葉は小学校では意識的に使い、それがどこに結びつくかを時折語れれば、良い導きができます。

この4つの言葉の行き着く先は、「仁義礼智」となります。
そこを話したら、すぐに、「信」もほしいという反応があり、チーム算数の底力を感じました。
八犬伝ではありませんが、「忠信孝悌」がこの「仁義礼智」を一歩高める形で続くので、そこを話そうかと思ったのですが、イマイチ語りの調子が悪いのやめました。

持ち合わせている道徳でも道徳を語り、感じ入ることができますが、そこにこういう学問道徳を学び、思慮することで、道徳力は少しずつ高まります。
道徳は、一寸ずつのびる楠のようでありたいですね。

そうそう、この道徳についても小路先生はさっと調べてメモをしていました。
小路先生のこの力は、いつか良い形で花開くように思えています。
卓越しています。

城ヶ崎先生からは、これから先のセミナーで話すことなど、多岐にわたって話が出ました。
城ヶ崎先生は中庸の考えがしっかり根付いているので、話が安定しています。
こうありたいと思いました。

月末、城ヶ崎先生と同じ会場で話をすることが分かりました。
城ヶ崎先生の次の時間が私となっています。
ですので、帰りは一緒に夕飯を食べながら、楽しく歓談することにしました。

次回のチーム算数は9月16日。SG会開催日です。
午後2時から、いつものジョナサンです。
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熊谷先生、丸岡先生、いいですね!

「道徳読み」に関するうれしい知らせが届いています。

熊谷先生はサークルで「道徳読み」の話をしたそうです。そうしたら、先生の中に関心を持った方がいたそうで、なんだかうれしい気持ちになりました。
私が熊谷先生に「道徳読み」を話したのは、懇親会の席上です。それでもわかる先生にはわかります。
きっとサークルの先生もわかる先生なので、2学期には「道徳読み」で授業を始めると思います。

丸岡先生もサークルのような学習会を夕方から開催したら、13名の先生が集まってくれたそうです。
「道徳読み」を2学期から実践してみたいという先生がたくさんいたそうです。
こちらも、わかる先生が集まってくれたようで嬉しいですね。

「道徳読み」にはいくつかの特徴があります。
その一つは、道徳を大雑把ですが、頭の道徳、体の道徳、心の道徳の3つに分けていることです。

体の道徳と言うのは、戦前、特に低学年に力を入れて教えられてきた行儀作法です。
形だけを真似しているだけでも十分いいのですが、なぜそうするのかと理由が分かったり(頭)、敬意(心)からその行儀作法が出てくるようになると、最高の行儀作法となります。

頭の道徳と言うのは、私がよく用いている学問道徳です。
勇気は大切だが、その心に義が無ければ、その勇気は暴力となる。というようなことが分かる頭を持つことです。
忘れ物をした子を見て、一番大事な忘れ物をしてはいないかと頭が巡ることも、学問道徳です。

心の道徳は、そのまま心の道徳です。特徴的なのは、「心は自分から」ということです。

こういう道徳の話を楽しんで語らえるようになると、徳のある道を歩み始めたことになります。
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「宥座の器」が『孔子家語』に

日曜日、野口家への出立時刻にはまだ間があったので、少し『孔子家語』を読んでいました。
すると、「宥座の器(ゆうざのき)」の話が出てきて、おやまあと驚きました。
『荀子』に出ていることは知っていたのですが、『孔子家語』にも出てくるとは思ってもいませんでした。

そして、野口家へ。
お昼の散策で、山中先生がいつものように野口家ガイドをしてくれます。
その中に「宥座の器」もあり、なるほどと思える素晴らしい語りで聞かせてくれました。
山中先生は宥座の器の資料も用意してくれています。
それを開いたら、出典が私の読んでいた『孔子家語』だったのです。
嬉しくなりました。
こういうこともあるのだなぁと良い気分でした。

良い機会のですので、家に帰り、「宥座」を調べました。
辞書には直接は出てこないですね。
こういう時は、漢和辞典で第1漢字を調べると、案外出てくることがあります。
やってみたら、出てきました。
宥座=人君を鑑戒する。〔字通〕

「鑑戒」の意味が分かりません。調べると・・・。
鑑戒=戒めとすべき手本。また、戒めとすること。戒め。かがみ。〔日本国語大辞典〕
すると、今度は「人君」が怪しい気分になりました。
人君=人の君たるもの。君主。帝王。〔日本国語大辞典〕

だいぶ分かってきました。
上に立つ人が自分自身への戒めとして使う器ということです。
「省みる」を促す器と言えます。
良い勉強になりました。

野口家について座に座っていたら、見覚えのある先生が近づいてきました。
名古屋の佐々木直美先生です。
快活ないい感じの先生です。
すぐに、あれこれ話が始まり、特別支援校、支援級での話をたくさん聞かせてもらいました。
最後の方は、お涙を頂戴いたしました。朝から血行もよくなりました。

宴会でお名前を聞いた先生が、実は昔からの知り合いでした。
茨城の田上和久先生で、今は教頭先生をされています。
役所柄かとても貫禄のあり、まったくわからなくなっていました。
大変失礼なことをしたと思っています。
でも、久しぶりにお会いしての話はとっても楽しかったです。

そうして、夜も更けたころ。
松島先生と算数談義。
松島先生は算数を教えるのが好きと言う程度の先生ではありません。
話題が「緑表紙の算数は・・・」と始まります。
記憶の奥の方にあるあれこれを引っ張り出して話を聞きました。
若い先生と算数の話ができるのもありがたいことです。

8月にも流しそうめん野口塾があります。
仙台の竹川先生御一行様が参加する素麺塾です。
近くのなので少し顔を出そうと思っています。
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